重症急性呼吸器症候群:SARSの臨床(2003/11月現在)

国立感染症研究所へのリンク問題はこの冬原因疫学なぜやっかいなのか?臨床症状検査所見個人でできる予防法院内感染対策治療剖検所見参考サイト&文献
 
 

国立感染症研究所へのリンク:疫学情報,患者管理・感染制御,検査・診断,治療,消毒

救急外来におけるSARSの簡易診断法。Gabriel M. Leung and others. A Clinical Prediction Rule for Diagnosing Severe Acute Respiratory Syndrome in the Emergency Department. Ann Intern Med 2004;141 333-342

2002/11/1から2003/7/31までに発症したSARS症例
累積症例数:8098
死亡数:774
死亡率:9.6%
医療従事者の症例数:1707(21%)

問題はこの冬(2003/11)

第一ラウンドを何とか切り抜けられたのは,新型インフルエンザへの備えがあったからだ.そもそもSARSは,すわ新型インフルエンザかと思ったら,そうではない,特殊な異型肺炎として注目された.その後の国際協力体制も,新型インフルエンザに備えていたWHOのネットワークを使って整備された.その様子は,下記のランセットの記事に詳細に述べられている.

World Health Organization Multicentre Collaborative Network for Severe Acute Respiratory Syndrome (SARS) Diagnosis. A multicentre collaboration to investigate the cause of severe acute respiratory syndrome. Lancet 2003; 361: 1730-33.

新型インフルエンザへの備えがあったことは,不幸中の幸いだった.しかし,この冬の第二ラウンドはもっと大きな波がやってくる恐れがある.冬はインフルエンザとの鑑別が非常に困難となり,完全に封じ込めることができなくなる恐れがある.

第一ラウンドで明らかになった問題点として:

1.早期診断のRT-PCRがこの冬の流行までに間に合わないかもしれない:当初の楽観論が後退し,かなり手間取りそうだ.問題は感度.

2.ワクチンは間に合わないと覚悟する

3.感染の封じ込めと,移動,労働の自由,流行地の関係者の差別との折り合いのつけ方.

4.医療機関の診療体制の維持と,医療従事者の確保:感染の可能性があるとして自宅待機を命ぜられる人が多くなれば残った人々が過重労働を強いられ,医療機関の危機管理能力が更に低下する.核になる医療機関に人的資源を融通できる体制,例えば,文京区には大学病院が4つもあるわけだが,SARS流行の際には,そのうちの2つだけを残して残りの二つは閉鎖し,閉鎖された二つの大学病院のスタッフを開いている方の二つに回すとか,大胆な施策が必要.

一方,今からできることは何だろうか?それは今ある手段を最大限に活用することだ.今ある手段とは,SARSと紛らわしく,SARSコントロールの最大のかく乱要因であるインフルエンザに備えておくことだ.具体的には以下のごとし

1.従来のインフルエンザの予防注射をしっかり行う:インフルエンザワクチンの十分な確保
2.インフルエンザ診断キットや治療薬の確保:今年の冬のように,足りないなんてことがないように
3.マスク,ゴーグル,キャップ,手袋などの感染防御用品の備蓄
4.SARSとインフルエンザの流行が同時にやってくるという最悪のシナリオとその対策の周知徹底

棺桶の増産,死亡診断書の増刷も必要になるかもしれない,というのは冗談ではない.スペイン風邪の時は現実にそうなったのだから.

原 因

新型のコロナウイルスがコッホの4原則を満たすSARSの病原である (文献1文献 2,文献3, 文献14).コロナウイルスは人間と動物の両方に感染するので,新型インフルエンザが生まれる時と同じように,動物の体内でヒトのコロナウイルスと動物のコロナウイルスの間で遺伝子組み替えが起きて,人間が全く抵抗力を持たない新型のコロナウイルスができた可能性がある.ただい,これはあくまで私の個人的な推測であって学問的裏づけはない.

SARSの病像は非定型性肺炎だが,Mycoplasma pneumoniae, Chlamydia penumoniae, Legionella pneumoniaeは,疫学的にも,細菌学的にも,臨床的にも否定されている.除外診断でウイルスが原因と推定されるが,これまで,インフルエンザA,B,パラインフルエンザ,アデノウイルス,RSウイルスなどについて,剖検材料も含めてさまざまな角度から検討が行われたが,いずれも否定されている.

疫 学

年齢:患者は中高年が中心であり,高齢者に重症例が多い(下記).小児や若年者ではより軽症となる可能性が指摘されている(文献4).

危険因子:Peirisらは,75例のprospective studyで,年齢とHBs抗原陽性が有意な危険因子だったとしている.

潜伏期間:平均潜伏期間は6.4日(95%CIで5.2-7.7)(文献10

伝播様式:飛沫感染の可能性が高く,WHOの感染予防指針も飛沫感染が中心であろう,インフルエンザのような空気感染も否定できないが,空気感染にしてはインフルエンザほど伝播力が強くないので,中心は飛沫感染と考えられる.患者と濃厚な接触を強いられる医療従事者に感染率が高いことも飛沫感染を支持する.

当初問題になった香港のアモイガーデンの大量発生は,空気感染が原因ではなく,排水系統の汚染が強く疑われている.したがって空気感染を明らかに示す事例はこれまで報告されていない.

ウイルスの排出:結核菌の排菌量が患者によって大きく異なるのと同様,SARSにおいても,ウイルスをばらまく量は患者によって大きくことなる可能性が指摘されている.濃厚な接触をする家族でも発症しない例がある一方,Super-spreadersと呼ばれる大量ウイルス排泄患者がいることが推測されている.どんな人がSuper-spreaderになるのかはよくわかっていないが,感染症の常として,ウイルスに対して抵抗性の弱い高齢者や,腎不全などで免疫機能が低下している例がSuper-spreaderとなる可能性が指摘されている(文献6).コロナウイルスは痰ばかりでなく,便,尿にも排泄される.

死亡率:WHOは,5月7日に致死率に関する最新の推定値を報告したが,それによると全体で14-15%,24歳以下では1%未満,25歳-44歳では6%,45歳-64歳では15%,65歳以上では50%以上という結果となっている。このように,高齢者ほど死亡率が高い。2003年5月29日の時点では,累積で死者は745人、可能性例を含む感染者は8240人に達した。死亡率は9・04%となっている.

なぜ,やっかいな病気なのか

近年問題になった他の多くの感染症と比べると,SARSが,なぜとてもやっかいな病気なのかがわかる.

1.飛沫感染+便にも出てくる:エボラなどの出血熱の死亡率は50%以上と,SARSよりもはるかに高い.しかし,こういった病気は飛沫感染ではなく,血液に代表される体液に直接接触しない限り,感染しない.エボラのようなblood-born infectionでは,手袋,マスク,ゴーグル,ガウンテクニックをしっかりしていれば,SARSよりもコントロールしやすい.一方,コロナウイルスは痰による飛沫感染ばかりでなく,便や尿にも出てくるので,余計に始末が悪い.

2.潜伏期間が比較的長い&軽症例がたくさんある→簡単に広がる:発熱もなく自覚症状もない状態であちこち移動できるから多くの人と接触可能.また発症しても単なる風邪の症状で終わる軽症例も多い.そういう軽症例からハイリスクグループ(例;高齢者)に感染し,その中からsuper spreaderと呼ばれる,周囲への感染リスクの高い人が出てくることになる.それに比べると,エボラなどはいくら死亡率が高いと言っても,病気なったらとても旅行などできる状態ではないから,その地域だけに病気が留まる.

3.発症早期の診断が困難:当初は楽観的に考えられていたRT-PCRによる早期診断が簡単にはできそうにない.

4.死亡率が高い:エボラを初めとする出血熱ほどではないが,10%以上という死亡率は呼吸器感染症としては異常に高い.インフルエンザでも死亡率はそれほど高くなく,1%未満である.(菅谷によれば,日本で毎年600−1200万人がインフルエンザにかかる一方,死亡するのは5000-2万人としている.死亡者の絶対数自体は多いが,率にすれば1%にも満たないことになる)

5.ワクチンが簡単にできない:コロナウイルスはインフルエンザウイルスと同様,頻繁に変異を起こす.(文献12

臨床症状

重症例は一言で言えば劇症のウイルス性肺炎の像を呈する.すなわち,高熱,空咳に引き続き急速に低酸素血症が進む.ただし咳は半数程度にしか認められないという.また.鼻水や咽頭痛といったありふれた感冒症状は少ない一方で,筋固縮 (rigor),頭痛,筋肉痛,下痢といった呼吸器外症状がしばしば見られる.病状が進行しても,ARDSにしばしば伴う多臓器不全の像を呈することはない.一方で,低酸素血症を呈さない軽症型もある.Peirisらは,病気を三相に分けている.
第一週:発熱,筋肉痛などの全身症状が出るが2−3日で軽快.この時期にウイルスの増殖が見られる.
第二週:熱の再発,下痢,低酸素血症.半数で肺炎の陰影が移動する.この時期,発症10日以降,たとえメチルプレドニゾロンを使っていても,血清抗体価が上昇するとともにウイルス量が減少するが,重症化する場合には,発病10日以降である.このことは,SARSの重症化は,ウイルスによる直接の障害ではなく,免疫学的な機序によることを示唆する.
第三週:約2割がARDSとなり,人工呼吸器を必要とした.

検査所見

胸部X-P:初めは一側の下肺野に肺炎の像を呈し,それが2−3日のうちに急速に両側肺に広がるという形を取る.間質性の陰影や胸水は一貫して認められない.Peirisらは気縦隔の合併が多いことを指摘している.
その他の検査所見:リンパ球減少,LDHの上昇,GOT,GPTの上昇が見られることがある.
ウイルス特異的な検査:三種類あるがどれも万能ではない(文献9)
1.ELISA:回復期の血清での抗体上昇を見るものだから,発症から20日以上たたないと陽性にはならず,病初期で患者を見つけられない.
2.免疫蛍光抗体法:ELISA同様,抗体を検出するがELISAよりも感度が高く,感染後10日で検出できる.
3.PCR:期待されていたが,いまだに十分な感度を有し,偽陰性が少ない方法の開発に手間取っている.2003年5月9日の時点のPeirisらの報告では,鼻咽頭吸引液での発症初期陽性率は23%に過ぎなかったという.

個人でできる予防法

飛沫感染するウイルス感染で最も重要なのは手洗い.飛沫感染は相手の正面1メートル以内に入らなければうつりにくい。感染者のつばなどが付着した場所に触り、その手で食事したり,無意識のうちに手で目をこすったりや鼻をほじったりして,粘膜にウイルスを刷り込んでうつる「間接接触感染」の危険性が高いので,手洗いが最も重要である.手洗いは流水が一番いい.石鹸や消毒薬を使うよりも効果的である.それに加えて,やたらと目をこすったり鼻をほじったりしないことが大切.飛沫感染の場合,市販のマスクの予防効果は疑問が多い.口に手をやる動作が減ればいいのだが,かえって増えるようであれば,むしろ感染のリスクを増やすことになるかもしれない.

院内感染対策

飛沫感染として対応する.砂川は,香港で行った院内感染対策に関する予備的な提言の中で,Air handlingに対しての推奨は特に行なわなかったとしている.”空調に関しては,この病院には陰圧室はなかった。すでに病棟では空調を止めて,窓を開け放っている状況があり,そよ風のような空気の流れが感じられた。ハノイ(ベトナム)のSARS患者収容病院においては,当初より窓を開放する体制にしていたと聞いた。常時窓を開放にして換気を行なうことが病院周辺の感染拡大のリスクにはつながらないであろう,と視察グループの中で話し合った。 ”(砂川富正.香港におけるSARS調査の経験.週間医学界新聞 2537号(2003年6月2日)

治療

香港で行われた標準的な治療の試案が5月10日号のランセットに掲載されている(文献7).それは,基本的には次のとおりである.最初,levofloxacinあるいはクラリスロマイシンで治療を開始し,2日間で改善が見られない場合にはメチルプレドニゾロンを 1mg/kgを一日3回,つまり3mg/kg/dayで開始し,3週間で漸減.同時にribavirin 400mgをやはり1日3回,つまり1200mg/dayを10日から2週間続けるというプロトコールである.これでも悪化するようだとパルスを行うとある.

特別な薬や治療方法を使うわけではないから,どこでも行えること,判断基準が簡単明瞭であるところがいい.これなら私が明日やれと言われてもできる.SARSのような火事場そのものの臨床では悠長に対照などとっていられないから,エビデンスとしては呈示できないわけだが,それでも,みんながほしい情報を進んで公開していこうという投稿者とジャーナルの態度は見事である.このような気概に応えるためにも,改善できる部分があったら,どんどん意見を出していく.それが本来のジャーナルのありかたなのだが,日本の臨床家はそのように貢献しているだろうか?未曾有の数だったO157感染の経験はどう生かされたのだろうか?

剖検所見

肺胞浮腫,出血,硝子膜形成を中心とした瀰慢性の肺胞障害(alveolar damage)であり,炎症細胞浸潤はほとんどない.つまり肺炎ではない.組織の壊死,細菌,真菌,ウイルス封入体は認めらない.5月16日には詳しい病理がランセットにonline publicationとして掲載されている.(文献5) それによれば,肺胞上皮の増殖,マクロファージの増加に加えて赤血球貪食現象が認められたという.以上の病理像より,cytokine dysregulation をともなうアレルギー反応が示唆され,ステロイド治療の根拠の一つになっている.

参考サイト,文献

感染症情報センター

1.T.G. Ksiazek and Others. A Novel Coronavirus Associated with Severe Acute Respiratory syndrome. NEJM online

2.  C. Drosten and Others.Identification of a Novel Coronavirus in Patients with Severe Acute Respiratory Syndrome. NEJM online

Kenneth W. Tsang and others. A Cluster of Cases of Severe Acute Respiratory Syndrome in Hong Kong. 10.1056/NEJMoa030666

S.M. Poutanen and Others. Identification of Severe Acute Respiratory Syndrome in Canada. (10.1056/NEJMoa030634)

3.J S M Peiris and others. Coronavirus as a possible cause of severe acute respiratory syndrome. Lancet 2003;361:1319-25

4.K L E Hon and others. Clinical presentations and outcome of severe acute respiratory syndrome in children. Lancet 2003;361(No.9367)

5.John M Nicholls and others. Lung pathology of fatal severe acute respiratory syndrome. Lance 2003:361:1773-78.

6.Tomlinson B & Cockram C. SARS: Experience at Prince of Wales Hospital, Hong Kong. Lancet 2003;361:1486-7

7.So L K-Y and others. Development of a standard treatement protocol for severe aucte respitaroty syndrome. Lancet 2003;361:1615-7.

8.菅谷憲夫 インフルエンザ 丸善ライブラリー.

9.World Health Organization Multicentre Collaborative Network for Severe Acute Respiratory Syndrome (SARS) Diagnosis. A multicentre collaboration to investigate the cause of severe acute respiratory syndrome. Lancet 2003; 361: 1730-33.

10.Christl A Donnelly and others.Epidemiological determinants of spread of causal agent of severe acute respiratory syndrome in Hong Kong. Lancet 2003; 361: 1761-66.

11. J S M Peiris and others. Clinical progression and viral load in a community outbreak of coronavirus-associated SARS pneumonia: a prospective study. Lancet 2003; 361: 1767-72

12. YiJun Ruan and others. Comparative full-length genome sequence analysis of 14 SARS coronavirus isolates and common mutations associated with putative origins of infection. Lancet 2003; 361: 1779-85

13. Ivan Oransky. Obituary: Carlo Urbani. Lancet 2003;361:1481

14. Kuiken T and others. Newly discovered coronavirus as the primary cause of severe acute respiratory syndrome. Lancet 2003;362:263-70