臨床研究の社会的側面
暗黙知をどう言語化して教育に生かすか?

あるワークショップのプログラムを巡る議論の中から

臨床研究の科学的側面はいろいろなところで議論されていますし、既存の紙媒体やらネットの上でもいろいろ情報があるのですが、下記に例示するような、臨床試験の社会的側面や臨床試験の環境因子って、いますぐにも必要な知識、スキルが議論され、共有されることって、非常に少ないですよね。これ、どうします?

お金:臨床研究を行うための資金調達にはどんなルート、どんな方法がある
人:例:生物統計家はどこにいる?誰に頼む?何をしてもらう
規制:研究倫理、利益相反
リスクマネジメント:臨床研究の介入による事故とその対応
臨床研究を進めて行く上で要求されるコミュニケーション、リテラシー
ネットワーク形成:地域の組織(他の医療機関、医師会、地方メディア)との連携、琉球大学以外の大学、製薬企業、中央の規制当局、日本医師会治験促進センター

医療経済、リスクマネジメント、コミュニケーション、規制、ネットワークといった知識、スキルは通常の診療でも、現場に出たその日から要求されるのに、学校ではほとんど習わない。それにはいろいろな理由があるのですが、「経験知」(暗黙知)として、言語化して教えられないものだと頭から決め付けて、教育を放棄していることで、現場での教育効率も非常に悪いばかりか、診療アウトカムにも悪影響を及ぼしている。

臨床研究は、診療よりもコントロールされた状態で行われるから、そういった経験知の必要はないかというと、とんでもない。むしろ、有効性、安全性の吟味が極めて未熟な介入を行うわけですから、倫理、リスクマネジメント、コミュニケーション、規制は、より高度のものが要求される。ネットワーク形成スキルなども、実際の診療では確立された既存のネットワークを使えばいいけれど、臨床研究ではそのたびに改めてネットワークを組む必要がある。

そう考えていくと、臨床研究を円滑に進めていくためには、臨床研究の社会的側面、臨床試験の環境因子の学習が欠かせないと思うのです。もちろん経験知の部分が多くて明確に言語化できない部分もあるのですが、だからといって、問題意識の共有や、部分的にせよ言語化して、知識・スキルを共有し、教育に生かす努力を初めから放棄してしまっては、人々の心の中にある臨床研究に対する心の障壁はいつまでたっても高くて厚いままに留まるでしょう。

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