グラスゴーに来て3日目,まだ右も左も判らない頃,勤務先の近くのフィッシュアンドチップスの店へ食べ物を求めに出かけた.まだ住まいも決っていない大学の寮暮らしで,料理をする術も乏しかったからだ.
その店の構えは何処にでもあるようなもので,看板は”フィッシュ,チップス,チキン,ピザ”とあっさりしており,店内も飾り気のないカウンターの後に,当地では普遍的な存在の,脂肪が極めて過剰なおばさんが,脂っ気の多い店の品物を体現する如く,でんと控えていた.チキンや魚のフライだけじゃ寂しいなあ.食後にちょっと甘い物でも食べたいなあ.そう思いながら店先に掲げてあるメニューを見る.すると”PUDDING”とある.あっそうだ.プリンが食べたいな.仮の住いの大学寮の自室でとる寂しい食事が,今日ばかりはほんの少し楽しくなるような気がしていた.
”チキンとプリンください”
”他に御注文は”
”いいえありません”
早速包んでくれる.見ていると,一つは日本でも良く見かける鳥のもも肉であって,何の不安も催さないのだが,もう一つは何やら分厚い衣をかぶったひどく太いソーセージのような代物を包んでいる.ううーっ,ありゃ何だい.僕の発音が悪かったのだろうか.チキンの上,更にあんな馬鹿でかいてんぷらなんて食えないよ.
”チキンとプリンてお願いしたんですけど”
”はあ”
”その揚物がプリンなのですか”
”そうです”
かのおばさんは,この東洋人は何をいぶかっているのだろうかとでも言いたげな顔つきである.少し嫌な予感がしたのだが,所変れば品変わると言うし,ぎょうざでも揚げぎょうざと水ぎょうざがある訳だし,まあ食べ物には変わりないだろうから,スコットランド式のプリンというのは,かりんとうのお化けみたいなものかもしれない.大きな”揚げプリン”も一興だと腹を決めようと思ったその次の瞬間には,太い腕に掴まれた,ビールの1リットル缶もの大きさの容器から塩が滝のように流れ出て食べ物の上にふりまかれていた.うわーっ,またやられた.これで3回目だ.あらかじめ,言っとくんだんた.あーっ参ったなあ.
こちらの料理,特に肉料理の塩味の濃さは,時として日本人には耐えがたいことがある.ベーコン,ハム,シチューなど,これで塩辛くなければ随分美味しいだろうになあと思う事が何度もあった.この極端な例がチッピーでのこの”塩”なのである.イギリス人の多くは前述の”滝の如き”塩の味を好むので,おばさんも親切心でかけてくれたのだが,日本人にはとんだ災難で,あとでどんなに苦労して塩を振り払っても,塩辛を塩漬けにしたとしてもこうはなるまいと思われる味になってしまう.
でも,プリンに塩をかけるっていうのはどういうことだろう.たとえ”揚げプリン”にしたってお菓子なんだから.不安は更に大きくなったが,今更どうすることも出来ず,塩まみれになったチキンと”プリン”を抱えて寮にもどった.空腹は有難いもので,必死の努力で塩を取りのけたチキンは何とか食べられた.さて残るはこの”プリン”である.分厚い衣の中には何物が,と思いつつ中身を割って見ると,ああ,その中身は,塩を取払う気力もなくさせる,どす赤黒いミンチ肉の塊なのだった.
あなたの辞書が実用的かどうか(少なくともこの国でまともな食生活を送るために)の判定基準の一つに,PUDDINGという単語に対して次の訳語が掲載されているかどうかを含めるべきである.
”ミンチ肉と血液を固めて作ったソーセージ(腸詰め).ブラックプディング”.