ナショナリズム

ユダヤとアラブ、チェコとスロバキア、ポルトガルとスペインと、2年間の滞英中にナショナリズム論争は何回か見聞したが、参加する気にはなれなかった。私は別に国を代表して来ているわけではなかったからだ。米国に追従しながら米国と戦って死んでいった人々のためにお参りするような支離滅裂な態度をとる某国首相の弁護をする気など、今でもさらさらない。

英国では日本人に対する差別もあったが、相手にしなかった。英国では人種差別は路上の犬の糞のように、あまりにも普遍的な存在なので、たまたま踏んで怒っていたらきりがないからだ。そんな暇があったら、自分の研究をする時間、仲のいいスコットランド人の学生ととゴルフをする時間、なじみのパキスタン人の雑貨屋のおじさんとおしゃべりする時間、スーダンの戦火から逃れてきた学生の話を聞く時間の方がずっと大切だった。

2004年6月、ワシントンDCに出張した時に、米国のナショナリズムの象徴に接する機会があった。一つは到着した日にロナルド・レーガンが亡くなったこと。ぴかぴかに磨かれたエノラ・ゲイを見てきまたこと。(エノラ・ゲイは、スミソニアン航空博物館といっても、ダレス国際空港構内にある別館にある)エノラ・ゲイの解説版には、事実だけが淡々と書かれていた。同じ館内には、紫電改やメッサーシュミットもきれいに磨かれて飾ってあった。その翌々日、一緒にエノラ・ゲイを見た私の同僚A君が、加齢現象による行動低下がますます顕著になってきた私を尻目に、ロナルド・レーガンの弔問の列に加わった。好奇心の強いA君は、連休中のディズニーランドのアトラクション顔負けで3時間並んだが、列の隣の人は、アメリカ人で、A君に対して、日本人なのに合衆国元大統領の弔問に加わったことに敬意を表してくれた。彼はエノラ・ゲイの修復に加わった技術者で、修復の技術的な苦労話も率直にしてくれて、またワシントンDCに来ることがあったら是非自分の家まで遊びに来てくれと、A君にメールアドレスの入った名刺までくれた。

私がグラスゴーにいた時も、かつて父母、祖父母達の時代に、敵国であった国々の人々と仕事をする時、まず目の前にいる個人を尊重し、その個人と、どういうふうに建設的な関係をつくれるか。そちらの方の課題をこなすのが精一杯で、抽象的なナショナリズムの議論なんかしている暇はなかった。そして、この課題に本気で取り組んではじめて、歴史を多面的に観る目が生まれてくると思っている。

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