ディオバン事件告発の「成果」──結審を迎えて
日経メディカルオンライン2017年1月掲載記事

警察・検察への通報を受けての起訴・裁判が、事故原因の氷山の一角に過ぎないヒューマンエラーだけを取り上げ、システムの末端で働く個人を処罰することによって海面下にある氷山の本体、つまり肝心のシステムエラーの数々を隠蔽・放置する。そんな構図は、医療事故に限りません。昨年12月15日に結審した、いわゆるディオバン事件裁判でも、ウログラフィン誤投与事故裁判と同様の構図が再現されました。

中身のない丸投げ告発
「中身のない告発状」 「事実解明を『丸投げ』する内容で、凡そ本来の『官公庁の告発』のレベルではない」「厚労省側に『告発のアドバルーン』だけ上げられ、ほとんど白紙の状態から捜査を行わなければならない特捜部には、同情を禁じ得ない」(郷原信郎が斬る 2014年1月11日同 1月14日

いつもは厚労省を厳しく批判する人々の代表である桑島巌氏(臨床研究適正評価教育機構理事長)や薬害オンブズパーソン会議は、厚労省によるディオバン事件の告発を高く評価しました。それに対し、郷原信郎氏の評価は上記のように散々なものでした。常に検察に対して批判的な郷原氏をして「同情を禁じ得ない」とまで言わせしめた、「中身のない丸投げ告発」とは一体どんなものだったのでしょうか。

厚労省の告発が適用を求めていたのは、「何人も(中略)虚偽又は誇大な記事を広告し、記述し、又は流布してはならない。」とする薬事法(現薬機法)66条1項でした。この規定における「何人も」とは、個人であって法人ではありません。ですから、告発する場合には誇大広告を作成、流布した行為者を特定する必要があります。

確かにディオバン事件裁判では、両罰規定(薬事法(現薬機法)90条本文)によりノバルティスも被告になってはいます。しかし両罰規定による法人の処罰は、行為者個人についての犯罪成立が大前提です。行為者について犯罪が成立するか否かが不明確なまま、法人だけを処罰することはできません。

郷原氏が「中身のない丸投げ告発」と非難したのは、厚労省が被告発者を「氏名不詳者」として特定していなかったからです。それでも、一部のジャーナリストに煽られた官邸の強硬な態度を受けての官公庁による告発だったため、東京地検特捜部は告発を受理し、独自に捜査せざるを得ませんでした。

上記の経緯を踏まえれば、厚労省による告発に先立つこと2カ月前に提出された薬害オンブズパースン会議(YOP)による告発が不受理になってしまったのも納得できます。YOPの告発状では、告発対象が「被告発会社 ノバルティスファーマ株式会社」とあるだけで、被告発者については一言も触れていなかったのです。

告発の生まれた背景
バルサルタン問題は、特定の個人の犯罪で到底説明できるものではなく、製薬企業と医師の間にある利益相反を始めとした数々のシステムエラーが表出した結果です。YOPもそれを百も承知だったからこそ、肝心のシステムエラーを白橋氏一人の薬事法違反にすり替えるような、姑息な告発を潔しとはしなかったのでしょう。

厚労省による「中身のない丸投げ告発」は、YOP同様に厚労省も告発に対して懐疑的だったことを示しています。処方箋の書き方一つ知らない検察官に「ディオバン事件の真相究明」ができるとは誰も思いません。ましてや薬の専門家集団である厚労省が、一個人を刑務所に入れただけでバルサルタン問題が解決するなんて能天気なことを考えるわけがありません。

そんな告発が生まれた原因は、またしても「裁判真理教祭り」でした。処方箋の書き方一つ知らずに「つべこべ言わずに白橋を吊せ、ノバルティスを吊せ!」と叫ぶ国民の皆様からの熱い声援を受け、ARBが何の略号かも知らない敏腕記者が、やはり処方箋の書き方一つ知らない政治家を焚き付けた。「中身のない丸投げ告発」は、そんな彼らの怒号を鎮めるために生まれたのでした。

スケープゴートによるシステムエラーの隠蔽
全ては凶悪知能犯・白橋伸雄の仕業である。松原弘明氏(元京都府立医科大学教授)や、「降圧を超えた効果」の世界的権威であり、KHS(Kyoto Heart Study)の前代未聞の「査読スルー」に多大な貢献をしたであろうBjorn Dahlof氏を含めた偉いお医者様達は、絶対に犯人などではなく、むしろ白橋の犯行の哀れな被害者である──。

この検察官シナリオには誰が見ても無理があります。しかし、他にどんな選択肢があったというのでしょう。何せ「中身のない丸投げ告発」が元ネタです。処方箋の書き方一つ知らないのに、何が何でも有罪を勝ち取らなくてはならない。現地の地図も持たずにガダルカナル島に投入された帝国陸軍兵士もかくやと思われるような状況に陥った検察官には、郷原氏ならずとも同情したくなるというものです。

桑島氏にとって不倶戴天の敵であったはずの松原氏を含むお医者様達は、検察側証人として、自分たちは潔白である旨、証言をしました。松原氏が獲得した奨学寄付金の額とか、KHSの輝かしい発表が行われたバルセロナでの欧州心臓病学会への大名旅行の費用がいくらで、それを誰が負担したとか、そんな下世話な話は一切ありませんでした。

いつ、どこで、誰が、どのデータを操作したか。いい大人達がそんな重箱の隅のつつき合いに血道を上げ、医師と製薬企業の関係におけるシステムラーの議論を徹底して回避したディオバン事件裁判。それは、真の事故原因に関する考察を一人の医師の業務上過失致死罪にすり替えたウログラフィン誤投与事故裁判を彷彿とさせました。それが「喜ばしい」とまで高く評価された刑事告発と、その告発を受けて行われた裁判が生んだ「成果」なのです。

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