糖尿病治療薬にエビデンスは要らない?

今から20年も近くも前のことです。脳循環代謝改善薬という大層な名前のローカルドラッグ群について、承認後10年以上経って再評価が必要とされ、ハードエンドポイントを評価指標にしたプラセボ対照試験が改めて行われました。その結果、プラセボと有意差が認められなかった4成分14品目は製造・販売中止となりました。承認以後合計で8000億円も売り上げたと言われる日本版ブロックバスターの数々がこうして忽然と姿を消したのです(関連記事)。

そんな騒動を経た今日でも、全ての薬についてハードエンドポイントによるエビデンスが求められているわけではありません。特に生活習慣病治療薬のほとんどは、血圧、LDL-コレステロール、血糖といった代用エンドポイントに対する有効性を根拠に承認されています。心血管イベント抑制のエビデンスを検証する試験が行われる場合でも、承認後何年も経ってから、それも多くは企業ではなく、医師主導で実施されてきました。

代用エンドポイントの落とし穴

米食品医薬品局(FDA)がヒドロクロロチアジドを承認したのは1958年。Veterans Administration StudyVA研究)(JAMA 1967;202:1028)によって降圧薬による心血管イベントの抑制が証明されたのは、それから9年も経ってからでした。シンバスタチンの心血管イベント抑制効果を示した4S研究(Lancet 1994;344:1383)が出たのは、1987年にFDAがロバスタチンを承認してから7年も経ってからです。そのスタチンにしても、白人女性における心血管イベント一次(二次ではなく)予防のエビデンスは存在しません。(関連記事

一方、代用エンドポイントでは有効なように見えても、ハードエンドポイントでは無効あるいは逆に有害であることが証明されてしまった薬もあります。FIELD研究(Lancet 2005;366:1849)では、フェノフィブラートに心血管イベント抑制効果は認められませんでした。女性ホルモン投与でLDLコレステロールを下げると、心血管イベントがむしろ増えることを示したWomen's Health Initiativeも、代用エンドポイントのみによる承認に大きな警告を与えました。

脂質異常症治療薬に対するエビデンスの要求

ここ数年の開発事例を見ただけでも、脂質異常症治療薬に対するFDAの要求水準が一段と高くなっていることがわかります。LDL-コレステロールを下げると同時にHDL-コレステロールを上げる作用を持ち、スタチンに代わるブロックバスターとして期待されたCETP(コレステロールエステル転送タンパク)阻害薬ですが、その開発は心血管イベント抑制を検証するための第3相試験の段階で立て続けに失敗しています(関連記事)。CETP阻害薬開発の度重なる失敗は、いかに新規な機序によろうとも、承認にはLDL-コレステロール低下だけではもはや不十分であり、心血管イベント抑制の証明を要求される時代になったことを示唆しています。

20156月に大々的に発表されたIMPROVE-IT試験N Engl J Med 2015; 372:2387)では、18144人を平均6年間した結果、シンバスタチン単独群(34.7%に比べ、シンバスタチンにエゼチミブを追加した群では32.7%と、絶対リスクにして2%(Number needed to treat NNT治療必要数は50の心血管イベント減少が示されました。

Merckはこの結果を基にエゼチミブの心血管疾患再発予防の追加効能効果を申請しました。この申請に対するFDA諮問委員会の票決反対10賛成5だったこともあって、FDAMerckの申請を却下しました。たとえNNT50といっても、ハードエンドポイントを評価指標にしたプラセボ対照試験で得られたエビデンスを基にした承認申請すらも認められないとなれば、ハードエビデンスのない糖尿病治療薬には、今後どんな運命が待ち受けているのでしょうか。

糖尿病治療薬にエビデンスは要らない?

糖尿病治療の経口薬としては、長年にわたってSU(スルホニルウレア)薬とビグアナイド薬しかなかったところへ、1990年代になってαグルコシダーゼ阻害薬が承認されてから、チアゾリジン誘導体、グリニド系、2000年代半ば以降はジペプチジルペプチダーゼ(DPP)-4阻害薬、ナトリウム・グルコース共輸送担体(SGLT)-2阻害薬と、立て続けに「期待の新薬」が出現しました。

ところが、いずれの薬も血糖やHbA1cを代用エンドポイントとした試験の結果で承認されています。このため経口糖尿病治療薬の第一選択は、今でも唯一心血管イベント抑制のハードエビデンスを持つメトホルミンであり、その次の第2選択薬に何が妥当なのかはわかっていません(JAMA 2015;314:1052)。にもかかわらず糖尿病治療薬の売れ行きはなぜか好調です。

2014年に市場拡大再算定(予想よりも大きく売り上げが上がった薬剤の薬価を下げる仕組み)の対象となって薬価が10%下げられ、2015年には経口C型肝炎治療薬が登場し、いきなり売り上げ1位と4位に躍り出るという大激震が業界を襲ったにもかかわらず、ジャヌビア(シタグリプチン)は2013年から連続3年間トップ10に残り続け、5000億円以上を売り上げた糖尿病治療薬は、薬効別でも抗血栓症薬、脂質異常症治療薬を抑えた上に、経口C型肝炎治療薬を含む全身性抗ウイルス薬の猛追もかわして堂々の3位です(関連記事)。

それもこれも薬の販売代理業である医師達が次から次へと出てくる「期待の新薬」をせっせと売ってくれるからです。エビデンスがなくてもこれだけ売れるのですから、企業が市販後臨床試験などやるわけがありません。臨床試験をやれば刑事裁判にかけられる時代に、医師主導で有効性を検証しようなんて動きも全く期待できません。

エビデンスのない糖尿病治療薬がトップセラーに名を連ねているのは、有効性を検証したばっかりに消えていかねばならなかった脳循環代謝改善薬の苦い教訓が生かされているからでしょうか。このような糖尿病治療薬のエビデンス取得の先送りを,エゼチミブのエビデンスを認めなかったFDAがどう考えているのか?機会を改めて探っていきたいと思います。(2016年7月 日経メディカルオンライン掲載記事)


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