こうして教授はだまされた
(日経メディカルオンライン 2016年1月記事)

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 仙台市泉区の旧北陵クリニックで起きた筋弛緩剤点滴事件で、クリニックの実質経営者だった半田康延東北大名誉教授が20日、仙台市で記者会見した。(中略)半田氏は「容体急変直後のコンピューター断層撮影(CT)検査で、脳卒中に似た症状は確認されず、ミトコンドリア脳筋症ではない。乳酸値もすべてのデータではなく、高い値だけを採用して結論を導き出すなど、医学論文ならば罰則を受ける内容だ」と語った。再審請求については「受刑者の権利であり、再審請求だけならば何も意見は述べなかったが、医学的根拠のない主張を展開し、A子さんの家族を傷つけているので記者会見した」と話した。(「医学的根拠ない」意見書に反論 仙台・筋弛緩剤事件(河北新報 20100721日)---------------------------------------------------------------------
医療事故裁判での検察官は、判決を自分たちに有利な方向に導くために、権威あるお医者様に味方になってもらおうとします。北陵クリニック事件の裁判でベクロニウム中毒説を展開したのは、当時東北大学医学部麻酔科学教授だった橋本保彦氏でした。その後を継ぎ、「医学的根拠のない主張を展開し、A子さんの家族を傷つけている」(関連記事)のが、仙台地裁の検察官や河北新報ではなく、ミトコンドリア病と診断した矯正医官であると信じ込んでいる半田氏も同大名誉教授です。


教授だからこそだまされやすい

詐欺師は相手がだまされたと決して気づかないように心を砕きます。裏を返せば、詐欺被害を回避するために不可欠なのは「もしかしたら自分はだまされているのかもしれない」という謙虚さです。しかし、大学教授のような権威者は、「自分が『バカなマスコミ』や脈の取り方一つ知らない警察官や検察官にだまされるわけがない」という傲慢な思考停止に陥っていることに、ほとんどの場合気づいていません。そんな教授をだますのは、国家試験に備えて様々な分野を猛烈に勉強している医学生をだますよりもはるかに簡単です。マスメディアや検察にとって、教授のような偉いお医者様こそが絶好のカモなのです。

さらに、ようやく手に入れた教授の椅子は、初心や基本を忘れさせる重大なリスクになります。たしかに橋本氏にとっても半田氏にとっても、ミトコンドリア病は全くの専門外でしたし、科捜研鑑定の嘘を見破るための質量分析の知識も持ち合わせていませんでした。しかし、検査診断学の初歩さえ知っていれば、ベクロニウム中毒が真っ赤な嘘であることは簡単に見破れたのです。それは冒頭の記事半田氏「急性期のXCTで脳に異常が認められないからミトコンドリア病が否定される」、つまり「ミトコンドリア病の急性期脳病変に対するXCTの感度は100%である」とした橋本氏の初歩的な過ちをそのままなぞっていることからもわかります関連記事)。

教授に「自分は万能医」と思わせる「魔法」

北陵クリニック事件では、守大助氏は1人の殺人と4人の殺人未遂で全て有罪とされました。ミトコンドリア病のA子さん(当時11歳)は4人の殺人未遂のうちの1人で、北陵クリニックと救急搬送先の仙台市立病院での診断名は「原因不明の脳症」でした。その他の4人についても、てんかん重積(1歳女児)、脳性麻痺とてんかん発作(4歳男児)、薬剤によるアナフィラキシー(45歳男性)、心筋梗塞(89歳女性、死亡例)と、全て麻酔とも手術とも全く関係のない診断・病態であり、年齢層も小児科から老年病内科まで多岐にわたっていました。

麻酔科学教授だった橋本氏にとって、5人とも全て専門外の患者さんであり、誰一人として診療はおろか顔さえも見たことはありませんでしたが、担当医による診断名を全て否定し、5人が全てベクロニウム中毒であると診断しました。しかしその診断根拠は不明です。なぜなら橋本氏は、意見書も鑑定書も一切書かなかったからです。橋本氏は法廷で証言していますが、それは医学の素人である検察官や弁護人との問答集に過ぎませんから、そこには合理的な診断根拠は一切示されていません。

A子さんがミトコンドリア病であると診断するにあたって、私も橋本証言を検証し、再審請求審に提出した意見書としてまとめました。その橋本証言は、病歴や神経症候に対する考察を欠き、血中乳酸の高値を始めとしたミトコンドリア病を支持する検査所見を見落とし、前述のようにミトコンドリア病の急性期脳病変に対するX線CTの感度が100%であると主張する等、専門医どころか、臨床医として最低限弁えておくべき常識すら欠いたものでした。

検察側証人の大学教授に誘導尋問により専門外の患者さんの診断を否定させながら、その破綻した論理に気づかせない。そして誤診の証拠になる文書も残させない。これが北陵クリニックでの医療事故を殺人事件に仕立て上げた検察官お得意の“魔法”の正体です。数々の冤罪に関与した古畑種基も、マスメディア・警察・検察によって、自らが法医学の神の化身であると信じ込まされていたのかもしれません。

それでも我々は、橋本氏や半田氏をあざ笑うことなど決してできません。自分がだまされていることに気づけない教授は、検察官が使うトリックを学生に教えることもできません。こうして検察官と彼らに媚びへつらうジャーナリストたちを一切批判できない医療者が拡大再生産されてきました。その結果、高濃度カリウム製剤誤投与裁判でも、ウログラフィン誤使用事故裁判でも、我々は本質的な事故原因の隠蔽を阻止できませんでした。患者・家族、そして市民を食い物にする医療事故ビジネスの横行も許してきました。

では、我々はこれからも無力であり続けるのでしょうか?私自身は決して悲観的ではありません。現状に対して問題意識を持ち、法的リテラシーやメディアリテラシーを身につけることが自分と患者さんの両方を守ることになる。そのことに気づいた仲間が、学生、医師、市民、さらにはジャーナリストの中でも確実に増えてきています。そういう仲間との交流の楽しさがなかったら、今日まで6年間も北陵クリニック事件に関わり続けてはいなかったでしょう。

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