コラム: 池田正行の「氾濫する思考停止のワナ」

医学部では教えない、ある法医学者の「業績」

2015/2/4

池田正行

 北陵クリニック事件1)で再審弁護団長を務める阿部泰雄弁護士と打ち合わせをしていた時のことです。懐かしい名前を交えた医学教育談義に花が咲きました。

「池田先生、この再審請求審の最大の特徴をご存じですか?」

「うーん、特徴がたくさんありすぎて、どれが最大か、さっぱり見当がつきませんね」

「それは御用学者が一人も出てこないことです」

「えーっ、だって阿部さん、質量分析と臨床診断の両面で、これだけでっち上げがはっきりしていれば、誰も出て来られるわけないですよ。御用学者が出て来ないのは特徴でも何でもない」

「そう思うでしょ、ところがひどいもんですよ、他の冤(えん)罪事件では、必ず御用学者が出てきて、言い掛かりをつけるんです。それが再審請求棄却の最大の根拠になるんです。元祖御用学者の古畑種基なんか、いくつ冤罪を作ったことか」

「やっぱり、有名なんですね。彼のことは」

「そりゃあ、もちろんですよ、法曹資格を持っている人間なら古畑の名前は誰でも知っていますよ。医学部でも習うでしょ、日本一有名な御用学者として」

「いやあ、私は学生時代、彼の直弟子に法医学の講義を受けたものですから、彼の名前は“禁句”だったようで」

「直弟子だっただけに師匠の悪行の数々を知り抜いていたわけですね?」

「まあ、そういう見方もあるかと」

「それにしても古畑のことを教えない医学教育って一体どうなってるんですか?」

「自らの教育能力に謙虚な教授たちが、学生たちの独立自尊の姿勢を尊重しているんですよ。自分のような無能な教官など当てにせず、大切なことは自分で勉強しなさいって」

「さすが池田先生、教授を経験しているだけあって、医学教育の実情もよくご存じだ」

文化勲章を受けた法医学者の「業績」
  古畑種基(1891〜1975年)は、1923年、32歳の若さで金沢医科大学(旧制)法医学教授となり36年には東京大学教授、47年学士院会員、56 年には文化勲章を受章した、日本で最も有名な法医学者です。しかし彼の死後、その輝かしい経歴は完全に暗転しました。77年弘前事件(那須事件)(懲役 15年)、84年財田川事件(死刑)と松山事件(死刑)、89年島田事件(死刑)と、彼が鑑定を行った4つの殺人事件のすべてが冤罪だったことが、いずれ の事件でも確定判決後20年以上も経ってようやく認められたのです。

 特に弘前事件の再審は非常に興味ある経過をたどりました。1971 年に真犯人が名乗り出て鑑定がでっち上げだったことが判明していたにもかかわらず、74年12月に仙台高裁刑事第一部は再審請求を棄却しました。ところが なんと同じ仙台高裁の刑事第二部が、わずか1年半後の76年7月に刑事第一部の棄却決定を取消し再審開始を決定、翌77年2月に再審終了という神速で無罪 が確定しました。

 裁判所は、棺を覆ってから古畑の評価を定めたばかりでなく、冤罪の判断根拠が古畑鑑定の真偽ではなく彼の没年であるこ とを明確に示したというわけです。これほどまでに彼の冤罪への関与は明確に示されているにもかかわらず、その威光はいまだに衰えを見せません、少しネット を検索しただけでも、古畑の薫陶を受けたお弟子さんの一部が、引き続き冤罪事件の再審請求棄却のために大活躍してきたことが分かります。以上の事実はすべ てネット上で複数のサイトで公開されており、独立自尊の姿勢を持っていらっしゃる方は、誰でもその真偽のほどを確認することができますが、医学部では決し て教えてもらえません。

国家権力に対して利益相反を抱える医師たち
  大手メディアを走狗として使い、政治家を逮捕・起訴し、有罪にして刑務所に送り込む。検察は誰もが認める現代日本の最強権力です。大手メディアばかりでは ありません。国家権力に対する利益相反にまみれた医師や研究者が「業績」を上げた事例も決して希ではありません。利益相反というと製薬企業が医師に払うお 金の額ばかりが注目されますが2)、歴史的に重大な問題を起こしてきたのは、国家権力と医師・研究者との間に生じた非金銭的利益相反です3)。法医学者ばかりを糾弾していては公平とは言えませんので、ここでは私と同じ神経内科医で、ナチの民族浄化政策実行役を務めながらも、戦後も戦犯追求を免れるどころか医学界の重鎮であり続けた事例を紹介します。

  パントテン酸キナーゼ関連神経変性症(Pantothenate kinase-associated neurodegeneration;PKAN)の忌まわしい旧称であるHallervorden - Spatz症候群は、自らの興味と名声のために、ナチ政権下で「安楽死」させられた神経疾患患者の脳の“コレクション”を用いて、「多大な研究業績」を上 げたHugo Spatz(1888〜1969年)とJulius Hallervorden(1882〜1965年)にちなんだ病名です2)3)。 戦後も彼らは、その「業績」が認められ、二人仲良くMax Plank研究所の神経病理学研究を主導し、共に天寿を全うしています。しかし、それは彼らが特殊な人生術を持っていたり、特別に幸運だったりしたからで はありません。突出していたのは彼らの「学術業績」だけで、国家への忠誠ぶりは同時代人の間で「人並み」でしたから、絞首台どころかニュルンベルクの国際 軍事裁判法廷に行く必要さえありませんでした。もしも、HallervordenやSpatzを裁こうとすれば、彼らと同様に収容所の外で職場を確保して いたドイツ中の医師・研究者を根こそぎ起訴・逮捕しなければならなかったのです。

法医学会の沈黙と『法医学の話』絶版問題
  斯界を代表する大学者のスキャンダルに対し、関連学会は長期間沈黙を守ってきました。戦後も大切に保存され続けていたHallervordenと Spatzの「研究資料」をMax Plank研究所が埋葬し犠牲者たちを追悼したのが、研究開始から50年後の1990年、二人を含む学会泰斗達の名のもとに、ナチ政権下で行われた強制移 住、強制断種、強制研究の被害、そして殺人に対し、ドイツ精神医学精神療法神経学会が謝罪したのは、それからさらに20年、70年もの沈黙の後でした4)。一方、日本法医学会は古畑の冤罪への関与についていまだに「完全黙秘」を貫き続けています。では、その沈黙を可能にしているメカニズムとは何でしょうか?

 1977 年に弘前事件再審で古畑の鑑定の誤りが判明した後、岩波書店は古畑の著書『法医学の話』を絶版にしてしまいました。確かに今は古本で安価に入手することが できますが、問題の本質は入手可能性ではありません。「悪い奴の書いた本は絶版にする」、それはナチスの焚書坑儒の裏返し、出版社の自殺行為です。私がナ チスの歴史を学ぶようになったのは、中学3年でゲッベルスの伝記を読んで「こんな国家のイカサマで殺されてたまるか。今から“敵”のやり口を学んで対抗手 段を考えておかねば」と思ったからです。『わが闘争』が今でも世界中の誰でもが読めるようになっているのは、リテラシーは負の歴史を学んで初めて芽生える ことを世界中の市民が知っているからです。ドイツ精神医学精神療法神経学会がついに謝罪しなくてはならなかったのは、いつの時代になっても世界中の誰もが 第三帝国総統の名前と彼を支えた人々の歴史を決して忘れないからです。

 国家権力とそれに寄り添う学会が、市民に対して是非とも忘れてもらいたいと願っている著者による本の復刻。そういう地道な努力を通して市民がリテラシーを獲得していかない限り5)、御用学者たちが跳梁跋扈する中世裁判は今後も100年、200年と続くでしょう。

【参考資料】
1)池田正行.北陵クリニック事件Q&A
2)Shimazawa R, Ikeda M. Conflicts of interest in psychiatry: strategies to cultivate literacy in daily practice. Psychiatry Clin Neurosci. 2014;68:489-97.
3)池田正行.日常診療は利益相反にまみれている
4)岩井一正.70年間の沈黙を破って ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN )2010年総会における謝罪表明 精神神経誌.2011;113:782-96.
5)池田正行.医師と一般市民のための法的リテラシー
6) 9. 公安医学の犯罪 前坂俊之著「冤罪と誤判」田畑書店

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