問診が苦手でありつづける意義

この本は、あなたの苦手を克服する本ではない。逆にあなたの苦手を次々と指摘していく本である。なぜなら苦手は素晴らしい資源だから。「得意でなければいけない」と思うと,「得意になれない自分」を永遠に攻撃し続けることになる.「苦手である」との思いを肯定的に捉えることによって,その背後には,「得意になりたい」,「勉強したい」という気持ちを意識できる.

そこで気をつけてもらいたいのは,「苦手」と「得意」は白黒のデジタルで分かれるのではなく,それぞれ,グレースケールで連続したスペクトルの一端に過ぎないということだ.このグレースケールの中で少しずつ伸びていくものだ.その成長も,実は、苦手意識が原動力となっている。成長とは、大リーグボール1号から2号、2号から3号というような難行苦行ではない。苦手の発見は楽しい。こんなことがわかっていなかったのかと思う。それが、成長の糧となる。

苦手が楽しいなんて、一体どういうことだと思う方は、自分の専門領域を考えてもらいたい。あなたの専門科では、あなたは、非専門家が苦手と呼ぶ領域のことを、未知の領域、独創的な領域と呼んでいるはずだ。あなたはそれを飯の種にしているはずだ。

問診は、どんな診療科でも、未知の領域、独創的な領域である。そこで、問診が苦手と意識している人は真に貴重な存在である。問診に苦手意識を持たない人が圧倒的に多いにもかかわらず。

自分ひとりが苦手だと思うから辛くなる。嫌になる。しかし、偉そうな顔をしてハンマーを振るい、おごそかにフランス人かドイツ人の名前のついた症候群の名前を出す専門医でも、やはり問診で悩んでいたとわかれば、仲間意識が生まれる。神経内科医との仲間意識!!まるでおとぎ話ではないか。

目次へ戻る