英国における「報道しない自由」

サウジを厳しく追及できないイギリスの冷酷なお家事情を読んで,「金持ち喧嘩せず」の意味がよくわかった.相手が喧嘩を売れないようにしておけば,わざわざ自分から喧嘩を売る必要もないわけだ.そしてその仕掛けも至極単純明快.ただ札束で相手の親分の横面をひっぱたけばいいだけ.下記は上記記事からの引用
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2000年11月、サウジアラビアの首都リヤドで数件の爆破テロ事件が発生した。後に反政府勢力による犯行という見方が定説になっていくのだが、当時サウジで働いていた英国人、カナダ人、ベルギー人らの外国人数人がテロ事件の容疑者として逮捕・投獄された。その一人となったのがカナダと英国の二重国籍を持つウィリアム・サンプソン氏だ。ほかの容疑者とともに爆発物を仕掛けたとされ、当局に拘束中に取調官によるレイプを含む拷問を受けて、サウジアラビアのテレビで「告白」を強要された。実際には無実であったがサウジの法廷では有罪とされ、死刑判決を受けて2年以上の投獄生活を送った。2003年から04年にかけて、各国政府の外交努力や「囚人交換」措置によって全員が釈放された。

サンプソン氏と数人の元受刑者は「アムネスティ・インターナショナル」など慈善組織の支援を得て、拷問、不当禁固による損賠賠償やサウジアラビアの内務省を訴える裁判を英国で開始した。2004年、控訴院の判断でいったんは訴える権利を得たが、2006年、最高裁の判断で「国家免責法」(1978年)によって、その権利は与えられずに終わった。
 
筆者は、2006年にサンプソン氏にあるイベントで話を聞く機会を持った。「自分は拷問を受けたので、『殺人を犯した』と嘘の自供をせざるを得なかった。今でもこの汚名が晴れていない」と悔しさをにじませた。「私たちがサウジアラビアで拷問を受けていたことを、英政府は知っていたのではないか」と自説を語ったサンプソン氏。「多額の武器取引を反故にしたくなかったら、何もしなかったのではないか」。2012年、サンプソン氏は心臓発作で亡くなった。(引用ここまで)
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ジェット機を買ってくれる「お客様」には何も言えねえくせして,何が「人権」だ.何が「自由」だ.何が「民主主義」だ.自国民が他国で拷問に遭ってもだんまりを決め込んで,賠償請求さえ起こさせないなんて,てめえらが散々非難する朝鮮半島の某国以下だろうが.

カショギ氏事件を巡る英米の対応で,サダム・フセインが米英に使い捨てられた経緯を振り返ってみた.すると,ここでもサウジアラビアが一枚も二枚も噛んでいたことが思い出された.

かの国は女性が車を運転できるようになったのが,2018年の6月というお国柄.参政権にしても,2018年10月現在,まだ地方だけで,国政参政権はない.そんな時代錯誤がここまで罷り通ってきたのも,「人権」「自由」「民主主義」とがなりたてる,おしゃべりな腰抜けどもを札束で黙らせればいいだけだったから.

この,21世紀版「宥和政策」ともいうべき札束攻勢に屈して,沈黙を保ってきたのは政治家達だけではない.英国とサウジアラビアの「友好関係」が今日も保たれているのは,
英国のジャーナリスト達の多くがサンプソン氏の問題について「報道しない自由」を謳歌したからこそであろう.

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