何が独創性を担保するのか

そりゃもちろん、自分が面白いと思っても、誰も見向きもしないことだよ。誰かが振り向いてくれる、ちやほやしてくれることを期待している人間には、独創性の女神は決して微笑まない。嫉妬と競走の渦に巻き込まれて遭難するのが関の山。もう少し詳しく言うと、自分が面白いと思っても、誰かにアイディアを盗まれるから秘密にしておこうなんて思うことは、大した仕事にはならないもんだよ。だって、そういう仕事は、嫉妬と競走の渦が生まれる可能性が極めて高いからね。

よく、「意識障害の診断における血圧の意義の研究は、一体どうやって思いついたんですか?」って訊かれるんだけど、そんなの、どうやっても何も、救急で山ほどやってくる意識障害の患者を診てれば自然と気づくだろ。だったらそれを検証しようと思っただけだよ。そうして、「この研究は凄く面白いから、一緒にやりませんか?」って20年間もの間、いろいろな人に呼びかけたよ。でも、返ってくる答えと言えば、「そんな研究、もう誰かやっているよ」と「そんな仮説は、お前の思い過ごしだから、ものにはならないよ」の二通りだけだった。研究者じゃなくて、やりたくない理由ばかり探している小役人みたいな医者ばっかりだった。だから、こんなに面白いことが理解できないバカどもを相手にするのは止めようと思って、自分で研究やって自分で論文書いちゃった。それだけだよ。どこにでも転がっているような筋書きなんだ。

その論文(BMJ 2002;325:800)をひっさげて厚労省に就職した時だって、「池田先生は臨床を辞めて役人になったんですね」と冷笑を浴びたもんだったよ。でも、すでにBMJの論文を書いていた私にはすぐにわかったよ。給料をもらいながら臨床試験の勉強ができる、歩いて30秒のところに日本でトップクラスの生物統計家がいる環境だってね。、それを僕は隠すどころか盛んに宣伝したのに、厚労省/PMDAに来たのはほんの数人だったよ。それも決して喜び勇んでではなかった。さすがに彼らも入ってからはそこで働く意義に気づいて、臨床研究リテラシーを身につけて、今はみんな押しも押されもせぬPMDAの臨床担当統括なり、研究機関で臨床研究を指導する立場に立っている。

矯正医官になった時も全く同じ。「なんでまた刑務所なんかに」って、紋切り型の声はたくさん聞こえてきたけど、もう、慣れを通り越して、「やった、これなら行ける」って思ったよ。自分の人生の危機管理の基本中の基本である法的リテラシーを身につけるられるのは現場、つまり塀の中しかないの。だけど、公務員試験を改めて受けずに塀の中で仕事ができる資格は医療職の国家資格だけ。その特典を利用しない手はないじゃない。

そこで、「筋弛緩剤中毒なんてイカサマ」だって叫べば、日本の検察官・裁判官の医学教育に携わる世界でただ一人の医師という、絶対的な独創性が確保できる。嫌われるのに勇気なんか要らない。独創性さえあれば、少なくとも仙台地検・高検の検察官、仙台地裁・高裁の裁判官は蛇蝎のごとく私を嫌ってくれる。そして独創性の女神が微笑んでくれる。これで少なくともあと数年は医療法務の第一人者として君臨できるってわけさ。この仕事の魅力がばれてしまって、参入者が増えれば、私もおちおちしていられないけどね。

医療法務というキャリアパス

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