日本語の鍛え方

次に紹介するのは,ある語学学校の宣伝文句である

”英語ができることと仕事ができることは違います。しかし、英語力がないために実力をうまく発揮できない人も少なくありません”

では,次の文章についてあなたはどう考えるだろうか

”日本語ができることと仕事ができることは違います。しかし、日本語力がないために実力をうまく発揮できない人も少なくありません”

日本語での医療面接能力,日本語での交渉,日本語でのプレゼンテーション,日本語での学会発表,日本語での症例報告.ああ,日本語の能力を要求されることって,なんて多いんだろう.なのに,あなたの日本語能力って,なんて貧しいんだろう.英語を習っている場合じゃないんだ,いや,英語を習ってもいいんだけど,同時に日本語の能力が高まるような学び方をしないと,能率が悪くって仕方が無いだろう.

かく言う私も,日本語力の大切さに気づいたのは,英国滞在中であった.狭い意味の語学力ではなく,相手に納得してもらうためには,どのような理由を挙げればいいか,論文を受理してもらうためには,どのように論理を展開したらいいか,といった,広い意味でのコミュニケーション能力の必要性を痛感したのだった.その能力は,ヒースロー空港の忘れ物の取扱所への問合せ,British Telecomとの電話の取り付け交渉,近所のクリーニング屋のおばさんへの頼みごと,大家との賃貸契約事項の確認,あらゆる日常生活場面での交渉事の際にも要求される能力だった.

自分の英語の語彙や言い回しが貧しいだけに,余計に論理構成を厳密にしないと,相手にわかってもらえない.単なる語学力以上の力が研ぎ澄まされる.研究計画の議論,学会での口頭のプレゼンテーション,学会発表のポスター作り,研究室での研究結果の発表,研究論文作成・・・かつて日本語でもきちんとした教育を受けていなかったのが,英語でやらねばならなかったわけだが,そこで求められたのは,TOEFLで測定できるような語学力ではなく,どんな人種,どんな言葉を使う場合にも共通のコミュニケーション能力だった.それは帰国後,日本語を毎日使う環境でも,十分に役立った.

私の場合は,たまたま留学中にコミュニケーション能力の大切さに気づけたわけだが,これは,たまたま私が日本語によるコミュニケーション能力の必要性に疎かったからに過ぎない.臨床現場でのコミュニケーションの重要性をご存知の皆さんは,疾うにお気づきに違いない.

言語が違えば自ずから応用の限界もある.日本語のコミュニケーション能力は日本語で喋る,日本語で書くことでしか鍛えられない部分が多い.ではどういう場面を使うか.それはなるべく多くの人に聞いてもらえる,一緒に議論できる,そして読んでもらえる場面である.このうち,口頭発表の機会は,診療現場での症例プレゼンテーションを始めとして,比較的恵まれている.一方,日本語を書く能力を鍛える,自分が書いた物を批判してもらえる機会は非常に少ない.

だから,日本語の文章で症例を呈示し,診断と治療について自分の考えを文章で表わし,それを適切な第三者に批判してもらう機会を,臨床医は何としても確保せねばならない.だから,本来ならば,せっかくの日本語の学会誌を英文化するなどという寝言を言っている場合ではないはずだが,それでも英文化すると主張するのは,もはや日本語の文章能力を鍛える場としての学会誌の機能が廃絶しているからなのだろう.

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