人助けという嘘八百

人助けをしたいから医者になりたいという人がいる。そう考えて実際に医者になり、その考えに何ら疑問を抱かずに死んでいける人もいる。しかし、私 はそうはなれなかった。

私は、医者になる前から、私は世の中には二種類の病気しかないことを知っていた。それは医者がいても治らない病気と、医者がいなくても治る 病気である。そうして医学部に入ってから、医者がいなくても治る病気は医者がいると治らなくなることがあることを知った。

だから医者になった時、自分は病気が治せないまでも、病気を見つけることぐらいできるのではないかと思ったが、そんな淡い期待も裏切られた。病気 を見つけるどころか、自分が病気を見逃していることには、その場では決して気づけない。そんな当たり前のことがわかっただけだった。

ごくたまに、あの時、お前はこんな病気を見逃していたんだと、親切な患者さんなり、お医者さんなりが教えてくれたが、ほとんどの場合には、病気を 見逃した私に対して 「この藪め」と心の中でだけ毒づきながら、サイレン トクレーマーとして、私を見捨てて通り過ぎていっただけだった。

私が病気を見つけたのは、たまたまそこに私が居合わせたからだった。私の前に誰かが病気を見つけてくれれば、私という存在は不要だった。私が病気 を見逃せば、誰かが私に代わって病気を見つけてくれるので、やはり私という存在は不要だった。

つまり私は医者になってから、自分が日々病気を見逃し、その後に診た医者がその病気を見つけて・治している、つまり日々、他の医者に助けられてい ることがわかった。

だから自分は、自分の前に診た藪医者が病気を見逃し、自分という名医が病気を見つけたと、そんな下劣な自慢するような愚か者になるまいと思った。

それは私にとっては大発見だったのだが、あなたは当たり前だと思うだろう。第三者のあなたが当たり前だと思うぐらいなら、当事者である私の患者さ ん達は余計にそう思っているだろう。

だから今でも私が辛うじて医者を続けていられるのは、人助けという嘘八百を患者さんが信じているふりをしてくれているからに他ならない。

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