引越しに見るmemento mori

2008年9月.埼玉から長崎へ,生涯13回目の引越し.自分はここからいなくなるという意味では,引越しは死の疑似体験である.身体的苦痛を味わわずに死を疑似体験できるので,随分と得をした気分である.

いくつかの引越し業者に見積もりを頼み,対応を見ながら業者を決定し,持って行く荷物と捨てていく荷物の選別,公共料金や自治体関連の手続き,送別会の日程調節,挨拶状を出す相手の住所整理と,準備を進めていく.お別れをする職場,お別れをする上司,お別れをする本,お別れをする論文のコピー,お別れをする役所,お別れをする商店街,お別れをする街路樹,お別れをする小学校の子供達・・・・

愛別離苦とはお釈迦様の言葉.さよならだけが人生だって言ったのは誰だっけ.

自分が死ぬ前に,これほど時間があるだろうか,これほど,準備作業を淡々と進められるだろうか?

でも,死の準備作業なんて必要なのだろうか?もし死の準備作業があるとしたら,それは,生きているうちに,面白いこと,楽しいことに集中することに他ならないのではないだろうか?でも,それは,少なくとも,私の場合には常に心がけていることだから,私にとって,改まった死への備えなど必要ないことになる.

そして,引越し先は,三途の川の向こうの疑似体験となるのか?愛別離苦があるのなら,怨憎会苦がある.しかし,会うは別れの始めなら,怨憎会苦は,時が経てば愛別離苦となるのだろうか.

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