「健康」があなたの首を絞める

「健康第一」なる言葉には、病は撲滅すべき悪であり、病者は敗者であり、医療者は敗者を復活させる救世主であるとのメッセージが含まれています。「最新医学」という言葉も同じです.最新医学があたかも不老不死を実現するかのような宣伝は後を絶ちません.これらのメッセージは,全ての日本人を不老不死の薬を求める始皇帝と化し,病者ばかりでなく、救世主になりきれない医療者も苦しめます。

「病気を治すのが医者の仕事なのに、大切な人が死んでしまったのは,最新医学を知らない医者に重大な過失があったからに違いない」という妄想は、健康第一→病は撲滅すべき悪、病者・死者はみな敗者→最新医学は不老不死を実現する という妄想の産物です。皮肉なことに、後者の妄想はしばしば医療者側から発信されますが、多くの医療者は、自分が発信した妄想が、ブーメランのように自分を攻撃に来ることに気付いていません。そこで、ドクハラ vs モンスターペイシェントの泥沼闘争が生じます。

上記のような医療過誤妄想まで行かなくても、もっと日常的な面でも、「健康第一」というスローガンは、医療者を攻撃します。「先生は若くて健康でいいですねえ」って、患者さんから羨ましがられたことはありませんか。このような嫉妬攻撃に対して、多くの研修医は為す術もなく立ちつくすばかりです。では、このような攻撃に対して、どう対処すればいいのか?この場合もやはり、「健康第一」,「最新医学」というメッセージを取り下げる必要があります。

「健康第一」を取り下げ、代わりに、病は居候であり、病者は大家(おおや)であり、医療者は近所のご隠居さんであるとのメッセージを掲げます。そういう関係とわかれば、いつも居候を強引に追い出せるとは限らないこともわかるし、強引に追い出すよりも、折り合いをつけて、未払い家賃の足しに少しは働いてもらうようし向けることもできるし、居候をたしなめてくれるご隠居さんを攻撃するような愚かな真似もできなくなります。

「健康第一」というメッセージが怖いのは、病者と健常者を白黒のデジタルで分けることによって差別し、前述のように結果的にドクハラ vs モンスターペイシェントの対立構造を煽る点です。実際には、病者と健常者はデジタルでは区別できません。現在病を持つ者とまだ持たない者とは,排他的で対立する関係にあるのではなく、グレースケールで連続性のある関係にあります。病気の診断は、そのグレースケール上でのカットオフポイントを恣意的に設定する作業に過ぎません。グレースケールで連続性のある関係は、病者と健常者ばかりではありません。生死の関係さえもグレースケールで連続性があるのです。

医療者が、病者や死者に対して、憐憫の情ではなく、共感を持てるようになれば、そこには対立構造は生まれません。患者から医療者への攻撃もなく、際限のない救世主願望に医療者自らが苛まれることもありません。

参考、
「毎日少しずつ死んでいる」 職務か趣味か 不完全な痴呆患者

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