誰のための「専門性」なのか?

「患者さんからは尋ねられないのに,患者さん以外から医者が尋ねられる質問」
医者以外にとっては立派ななぞなぞになるが,医者にとってはなぞなぞでも何でもない.

患者さんから「ご専門は?」と尋ねられることは滅多にないだろう.私も,もしかしたらこの35年近くの間に一度か二度ぐらいはあったかもしれないが,明確な記憶はない.患者ではない人から尋ねられる「専門性」とは,音楽,テニスとか茶道といった,単なる世間話のネタに過ぎない.患者さんから尋ねられることはないのに,患者さんではない,たまたま出会った人からしか尋ねられない質問が,医者の商売と関係があろうはずがない.

患者にとって,目の前の医者の特性の中で最大の問題は,「自分のこの苦しみを和らげてくれるかどうか」である.目の前の医者が,いつ,どこの学会の,どんな専門医資格を取ったかなんて,そんな悠長なことを考えている余裕なんてありゃしない.

自分にとっては,今,こいつしかいないんだ.そのぐらい患者だってわかってる.自分の体,自分の命を預ける相手との出会いは,車選びとは訳が違う.そのぐらい患者だってわかってる.

自分の患者さんから専門医資格を取るように頼まれたから受験勉強をして試験を受けた.そんな医者がもしいたとしたらお目にかかってみたいものだ. 「専門性」が患者にとって二の次三の次だとしたら,ことさら「専門性」を重んじるのは医者自身である.そして専門医資格を取るのは,その医者の都合,その医者の自由意思に基づく.「患者都合ではなく医者都合」という意味では,脳神経外科専門医,総合診療医,皮膚科専門医,かかりつけ医,胸部外科専門医,家庭医・・・・どんな呼び名であろうと,同じことである.

わかっただろうか?「専門医云々の論争はそれぞれの学会の政治に興味のあるお医者さん達の間だけで勝手にやってくれ.ただし,自分の苦しみを和らげてくれるのに役立つかどうか全く不明な免状を手に入れたからといって,割増料金を請求するような馬鹿げた真似だけはしてくれるな」 患者も,そして患者の立場に立って考える医師も,みなそう思っている.

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