知るべきは限界

プロとアマチュアの本質的な違いは,「○○ができることを知っているかどうか」ではない.「○○の限界を知っているかどうか」である.

今時,「FDG-PET/CT検査で,こんな小さな癌まで見つかる」,「アバスチンを使うと余命が延びる」なんてことは,ネットを使えば,中学生でも調べられる.だから,「○○ができることを知っている」ことはあなたと中学生を区別しない.そして,「○○ができることを知っている」点については,あなたは国家試験を控えた医学生に決して太刀打ちできない.

でも,あなたの給料は,国家試験をくぐり抜けた学生が研修医になってもらう給料よりもはるかに高い.それはなぜか?研修医より長い時間働いているからではない。研修医ではできないような、他人の尻拭いをやっているからでもないし、経営サイド病院の収支改善のプレッシャーを受けているからでもない。そんな風に自分を攻撃しても、自分のストレスが高まるだけだから止めておいた方があなた自身のためだ。

あなたには、以下に説明するような、研修医よりもはるかに優れた才能があるからこそ、研修医よりも給料が高い。

FDG-PET/CT検査では,どんな部位の,どのくらいの大きさの癌までわかるのか,裏を返せば,どこの部位のどんな癌が見えないのか,あるいは見落とすのか,読影者はどの程度の経験が必要なのか,見落としのばらつきを少なくするためにはどんな工夫が必要なのか.そういった,現場で必須の情報は,ネットにも教科書にも載っていない.そこを掴んでいるのがプロである.だからあなたの給料は研修医よりもずっと高い.

しかし,研修医よりもはるかに高い給料をもらいながら,医学生並みの仕事しかできないアマチュアも時に見かける.

アスピリンが脳梗塞の予防になることは医学生でも知っている.だから,脳ドックで,MRI上に異常信号を見つければ,その人がどんなに元気であろうと,予防のためにアスピリンを処方する馬鹿なアマチュアが後を絶たない.アスピリンによる脳梗塞予防効果の限界を知らないからである.

アスピリンによる脳梗塞予防の有効性が検証されているのは二次予防だけである.一次予防は全くエビデンスがない.だから脳梗塞の既往の無い人に脳梗塞予防のためにアスピリンを処方しても,有効性は期待できずに,脳出血や消化管出血のリスクに晒すだけである.ヒポクラテスの誓い第一項さえ守れないレッドカード処方である.

たとえ二次予防として処方するにしても,年齢,性別,高血圧,糖尿病,高脂血症,喫煙,冠動脈疾患といった様々な因子の組み合わせにより,有効性が異なる.さらに,アスピリンによる脳梗塞二次予防の日本人のデータは無い.

だから,「こんなことができるようになった」,「あんなことがわかるようになった」との講釈(眠っていても専門医点数が稼げる”○○の最前線”とか,”××の最近の動向”という題名のお話)は,暇人の趣味に任せておくがいい.

「えっ?だったら何を勉強すればいいの?」だって.やだなあ,あんなに忙しい忙しいって言ってたじゃないの.私の素敵な助言のおかげで,暇ができたのを喜んでくれないの?フィレンツェでも、能登半島でも、ブエノスアイレスでも、好きなところに遊びに行けばいいじゃないの。年休、全然消化していないんでしょ。

「”○○の最前線」とか,「××の最近の動向」はもう聴かないようにするから,池田先生の言う「限界」を勉強するにはどうしたらいいか教えてください」 だって?

やれやれ、どうして他人に答えを教えてもらおうとするのだろうか?別に意地悪しているわけじゃない.思考停止に陥らないように助けてあげているんだよ.

不安なんだよね.答えが直ぐに手に入らないと.迷うのが嫌なんだよね.でも,どうして不安をすぐ消そうとするのだろうか?どうして迷いを嫌うのだろうか?「不安や迷いは誰だって嫌じゃないですか」 だって?

そうかな?僕は違うよ.検査の限界、治療の限界、医療の限界、そして自分自身の限界・・・あらゆるものに限界を感じて、不安になり、迷うだろう。そこからなんだよ。お楽しみが始まるのは。

「限界があるものは全て駄目」という自動思考は、「この世の中は全て完璧なものでできていなければならない」という妄想の裏返しに過ぎない。どんな検査がどんな治療が、どこに住んでいるどんな患者についてどんな限界があるのか、そういった疑問の連続だったよね。あなたのやってきた臨床は。それでいいんだよ。そこにお楽しみがあったじゃないの。

アスピリンによる脳梗塞予防の限界を、一次予防、二次予防別の有効性・安全性はもちろん、患者の年齢、性別、喫煙、アルコール、コレステロール、耐糖能、冠動脈疾患、消化性潰瘍、喘息・・・・たくさんのことを踏まえて考えたあげく、患者本人に飲むかどうか聞いてみたら、薬価を聞かれて、慌てて調べて説明したら、「そんな安い薬で効くんですか」と、もっと高くて有り難味が感じられそうな薬を出してくれとばかりの不満げな顔を見せられる始末。そんなことの繰り返しだったけど、それが臨床の面白さだよね。

不安や迷いは大歓迎だ.不安や迷いがあるからこそ,ここまで伸びてきた.不安や迷いがあるからこそ,思考停止に陥らずに済んだ.不安や迷いがあるからこそ,勉強を続けられた.年をとって不安や迷いの灯火が弱まってきたら,患者や若い医学徒や研修医の不安や迷いを学んで自分のものとして,さらに勉強を続けた.だからこそ,四十後半を過ぎても,五十代になっても,こうして勉強を続けて、まだまだ伸びていられているんじゃないか.

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