全ては臨床研究法のために?
特捜検事は騙されなかったが・・・

「私が名古屋高裁に勤務していたころの話です。友人のN検事から、こういうことを言われました。『裁判官は、検事の主張とあまり違ったことをしないほうがいいぞ。何故かというと我々はむずかしい問題については、庁全体あるいは高検、最高検まで巻き込んで徹底的に協議してやっているんだ。それに比べてあんたたちはいったい何だ。一人かせいぜい三人じゃないか。そんな体制で俺たちに勝てるはずがないんだ。仮に一審で俺たちの主張を排斥して無罪判決をしたって、俺たちが控訴すれば、たちまちそんな判決は吹っ飛んじゃうんだ』」(木谷明『刑事裁判のいのち』法律文化社)

「事件の記録は、俺もよく見た。確かに証拠から言って無罪だ」と言われた。けれども、その次のセリフがすごかった。「でも、これは筋から言って有罪。高裁でひっくり返してやる」と言われた。「なんですか」と。「証拠は無罪って、言ったじゃないですか。筋って、何ですか」と僕は怒ってしまった。でも実際、本当にひっくり返された。「東京地検公判部東京高裁出張所」

特捜の怒りと誇り
いくら無罪の動かぬ証拠が積み重なろうと,筋で裁判官を「説得」して有罪を勝ち取る.それが検事魂というものです.ディオバン事件の場合も然り.誇大広告は全くのでっち上げだと,東京地検特捜部(以下特捜)は初めから見抜いていました.Kyoto Heart Studyのような,誰が見ても研究不正てんこ盛り論文が誇大広告になるのだったら,厚労省はともかく,薬害オンブズパースン会議 (YOP) なら,論文が出た時点で待ってましたとばかりに刑事告発していたはずです.

それを20098月末の出版から公訴時効の3年を過ぎてさらに12ヶ月もの間,放置プレイ挙げ句の刑事告発.そんな茶番劇でも相手が裸の王様ならば十分騙せるとでも思ったのでしょうか. 2014年8月1日,YOPによる刑事告発嫌疑不十分で不起訴処分となった背景からは,「何が誇大広告だ!?特捜を舐めるな!」という怒りの声が聞こえてくるようです.

筋の悪さではYOPと五十歩百歩の厚労省の丸投げ刑事告発を特捜が受けたのも,相手が行政庁だったからこそであって,その筋書きに決して納得していたわけではありません.そもそも肝心の被告発者が「氏名不詳」,つまり「犯人が誰かなんて俺の知ったことか.お前の仕事だろ」という告発状でした.

さらに「ガッテン問題」で放送2日後にNHK担当者を呼びつけた薬機法の主務官庁が,市民団体よりさらに2ヶ月も遅れて刑事告発なんて,特捜でなくとも「ふざけるな!」と言いたくなるでしょう.それでも起訴・公判請求にまで持って行くところが,特捜の特捜たる所以です.

俺の相手は医者でもなければ生物統計家でもない.俺と同じく処方箋の書き方一つ知らない裁判官だ.その裁判官に「納得」してもらえるような筋立てが作れるのは,同じく処方箋の書き方一つ知らずに,ずっと裁判官と仲良く仕事をしてきた俺しかいない.ちんぷんかんぷんの論文が広告にならないことぐらい俺だってわかる.だから証拠なんかどうでもいい.これは筋から言って有罪なんだから。絶対に高裁でひっくり返してやる.

最近の若い検事は,このような特捜魂(今風に言えばノスタルジックな体育会系のノリ)を嫌って,特捜志望者が往事より減少している(週刊ダイヤモンド2017225日号 特集弁護士・裁判官・検察官 司法エリートの没落)そうですが,ことディオバン事件に限っては,積極意見が大勢を占めた結果控訴となりました.

 それゆえ「医学ジャーナリスト」の方々も,ゆめゆめ一審のように決して無関心になることなく,DTC略号かをあらかじめ調べた上で,「調査報道の真骨頂」で特捜の大活躍を記事にすれば,志望者も倍増し特捜も大喜び・・となるかどうかについては何の証拠もありませんし,「筋」としても難しいところかと.

刑事告発も裁判もどうでもよかった
ディオバン事件裁判における被疑者・被疑事実は,YOP,厚労省のいずれの告発内容とも大きく違っていました.しかし,YOPも厚労省も素直にそれを受け入れました.彼らにとって刑事告発は自分たちが正義の味方であることを示すための単なる手段に過ぎなかったからです.

臨床研究者を研究不正で刑務所送りにするためには薬機法(当時は旧薬事法)では無理であることを百も承知だった彼らの頭の中は,既に起訴前から臨床研究法のことで一杯でした.

臨床研究法のたたき台となった報告書を作成した臨床研究に係る制度の在り方に関する検討会の第一回会合が開かれたのが2014417日、なんと同年ディオバン事件裁判の起訴に先立つこと2ヶ月以上前に、万が一無罪判決で出てもいいように、厚労省はしっかり新法の準備を始めていたのです。YOPもこの厚労省の動きを特捜に対する背信行為と咎めるどころか、臨床研究法を強く支持してきました。

3年間にわたる周到な準備の末にこの度目出度く成立した臨床研究法のことで、もう人々の頭の中は一杯です。あれほど大騒ぎした誇大広告の定義や、ディオバン事件裁判の行方など、みんなもうどうでもよくなっているかのようです。それでも特捜からは「俺たちを出汁に使いやがって」という怒りの声は全く聞こえてきません.検事とは,何という忍耐を強いられる商売なのでしょうか.

参考:臨床研究法が臨床研究を撲滅する

目次へ戻る