40年後に

高校時代、私は将来医師になるつもりはなく、宣伝の仕事をしたいと思っていました。大学でコンピュータ(当時はまだ、電子計算機という呼び名でしたが)を使って歴史上の出来事から人間の心理・行動パターンを分析・モデル化して、卒業後は大手広告会社に就職して、大学時代の仕事を応用して、宣伝を作り、その宣伝のアウトカム評価によって、心理・行動パターンのモデルを、より洗練されたものにしてから、しかるべき政府機関に移って、そのモデルを使って、世論操作の仕事をしたいと思っていました。

世の中のほとんどの人と同じように、五十半ばの現状は、高校時代の事志とは大きく異なってしまいましたが、それでも、医師としての自分と、メディア・一般市民との関係をどうするかという課題を常日頃意識しているがゆえに、インターネット草創期以来、自分の名前を出したホームページを運営して、15年が経ちました。

多くの医師にとって、メディアは、厚労省や政治家とと同じように、現場を知らずに誤った言説を垂れ流し、自分の仕事を妨害する、諸悪の根源でしょう。その場合、なぜ、メディアが「けしからん」存在になってしまうのか? メディアが「けしからん」存在にならないためには自分は何ができるのか?といったことは考えません。

不愉快な存在なのに、なぜその不愉快な存在が減少することを考えないのか?心理学者ならずとも、非常に興味深い問題です。個人的には、仮想敵を設定することによって、身の回りで起こる無数の不条理を説明しようとする心理が働いていると思うのですが、この話をするとまた長くなりますので改めて。

私は、メディアを仮想敵と決めつけてしまうのは損だと思っています。私にとって、メディアは仮想敵ではなく、面白いことをやるための道具に過ぎません。私が見ていても、メディア関係者から話を聴いても、メディアをうまく使っている医師は、片手の指で数えられるほどです。

かく言う私も、メディアをうまく使っていると自称するつもりは毛頭ありません。新聞を購読していないのはもちろん、現在でも絶大な影響力を持つメディアであるテレビジョンの受像機を持っていないのです。ところが、そんな私にテレビ番組出演の話が舞い込んできたのが、この2月、二つ返事で引き受けて既に収録を終えました。

7月28日から、毎週木曜午後10時、NHK地上波(総合テレビジョン)で放送されることになった「総合診療医ドクターG」。病歴だけでどこまで診断が詰めることができるか?その病歴から、診察をどうやって組み立てるか?必要な検査は何か?そういう問い掛けを生かした教育が、あちこちで行われるようになっています。司会の浅草キッドとゲストを交えて、その教育場面を広く一般市民に見て、評価してもらう。それがこの番組の目的です。(と、少なくとも私はそう思っています)

ドラマであろうとなかろうと、テレビ番組に医師を登場させる時は、必ず何らかの意味で「名医」あるいは「カリスマ」の名札をつけた医師を主役に据える必要がありました。このような現実にはありえない構図が、テレビジョンの草創期から今日まで採用され続けてきました。その責任の一端は、「マスコミはけしからん」としか言えなかった医師達にあります。なぜなら、「現実とは違う」と指摘し、是正できるのは、現実を知っている医師をおいて他にはいないからです。

ドクターGの画期的な点は、名医が登場しないことです。4人の研修医と一緒に悩む中年医師の肩書きこそ、大学教授、院長、部長と錚々たるものですが、皆さん、実際の収録の場面では、相当悪戦苦闘しています。そのあたりはいくら編集してもプロの目は誤魔化せません。医師の方々には、そのあたりも批判的に(もう少しはっきり言うと、意地悪く)見ていただける番組のつくりになっています。

ドクターGで披露されるのは、名医ではなく、現場の医師達の姿です。躓き、転倒しながらも、真摯に、ひたむきに、学んできた4人の研修医と、その研修医達の姿に感激して、自分もまた成長していこうと勇気づけられる一人の中年医師の姿です。今まで、どんなテレビ番組も描けなかった現実を一般市民に見てもらえる。そんな番組の作成に関わることができて、方法論は大分異なるけれども、40年前にやりたかったことが一つの形になったという達成感と、これを手掛かりに、また面白いことができるかもしれないという期待を抱くことができたのでした。

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