患者不在の神学論争

○○先生

Generalist vs Specialistの二項対立神学論争には、いつも悩まされていると思いますが、実は、悩むことはありません。放っておけばいいのです。その理由は次の通りです。

この論争の背景の大部分は、医者の変な自尊心や嫉妬や利権やくだらない縄張り争いであって、論争は患者のためになっていません。我々の最優先課題である「目の前の患者に集中する」ことと、この種の論争は何の関係もありません。我々は限られた時間の中で、我々の最優先課題である「目の前の患者に集中する」ことと、次の優先課題である「教育」に,貴重な時間という資源を集中的に投入すべきであって、くだらない論争に関わっている暇はないのです。論争したい人達に勝手にやらせておけばいいのです。

実は患者さんを前にした時、我々は専門性になんて、これっぽっちもこだわっちゃいないんです。胸部レントゲン写真の読影は放射線科医にのみ許されている なんて国で診療しているわけではないのです。我々を教え、導いてくれる患者さんは、専門性によって目の前の医者を差別しません。その分け隔て無い教えに従って我々は育ってきました。

筋強直性ジストロフィーの患者さんは、不整脈や心筋症、糖尿病の勉強をするように我々に促してくれました。多くの神経難病で生じる嚥下障害に対処するためには、耳鼻科医の技量を学びました。その患者さんが嚥下性肺炎を起こした時には、「では呼吸器内科に行ってください」で済ませませんでした。その患者さんが寝たきりになって褥瘡ができた時も、皮膚科病棟へ送ればいいとは考えませんでした。細菌性髄膜炎の患者さんを受け持った時は、抗菌薬の使い分けを必死になって勉強しました。

患者さん達はそうやって我々を育ててくれました。患者さんは分け隔て無く医師を教育してくれます。そこで教育機会の差別が起こるように見えるのは、医師の方が教育の機会を選別してしまうからです。目の前の患者さんに集中すれば、「専門医 vs 総合医」の二項対立構造という幻は直ぐに消えて無くなります。

専門医制度(もちろん総合医や家庭医の「専門医」制度も含めて)って、一体誰のため?という、根本的な問い掛けが埋もれたまま、神学論争が繰り返されています。馬鹿馬鹿しい。まあ、「専門医制度は学会の収入源として極めて重要である」というhidden agendaを白日の下に晒すのが嫌なので避けているだけなのですが。

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メモリークリニックの認知症診断後治療の効果は一般診療を上回らず(Biotoday 2012-5-18)

オランダでの無作為化試験の結果、メモリークリニック(Memory clinic)での認知症診断後治療/ケア連携の効果は一般診療を上回りませんでした。

メモリークリニックはもともと認知症診断に特化したものでしたが最近では診断後の治療/ケア連携にも関与するようになってきています。この傾向は抗認知症薬(コリンエステラーゼ阻害剤)の導入後に顕著となっています。

現時点では患者/介護者の好み等の効果以外の要素に基づいてメモリークリニックか一般診療かが選択されることになるだろうと著者は言っています。

Effectiveness of dementia follow-up care by memory clinics or general
practitioners: randomised controlled trial. BMJ 2012; 344 doi:
10.1136/bmj.e3086 (Published 15 May 2012)
http://www.bmj.com/content/344/bmj.e3086
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