生命科学に興味ある人のためのプリオン病の解説

正常なプリオンと異常なプリオンBSEの起源定型的CJDの原因プリオン:正常と異常の差正常なプリオン遺伝子の機能nvCJDの特徴nvCJDの原因がBSEプリオンであることの根拠と弱点プリオンはなぜ経口感染するか?プリオン病の診断言葉の整理文献

正常なプリオンと異常なプリオン:
プリオン病の病原体といわれるプリオン蛋白には,実は正常のものと,病原性,感染性を持った異常なものがあります.プリオン遺伝子と正常なプリオン蛋白は健常な動物にも存在し,異常なプリオン蛋白だけが海綿状脳症を起こします.
実はプリオン遺伝子自体は,ほ乳類でCONSERVATIVEで,かつありふれた遺伝子です.脳に一番多く発現していますが,他の臓器でも発現しています.この遺伝子は正常な個体では少量の正常なプリオン蛋白を作っています.この正常なプリオン蛋白は,蛋白分解酵素で分解されます.BSE/CJDでは,蛋白分解酵素で分解されない,異常なプリオン蛋白が徐々に産生,蓄積されて神経細胞を障害するのですが,どうして異常なプリオン蛋白が生成されるのか,わからないのです.

BSEの起源:
BSEは1980年代に英国で初めて見つかりました.しかし,なぜBSEが出現したのかは,実はまだよくわかっていません.これまでの通説では,羊の死体を原料にした餌(肉骨粉:ボーンミール:bone meal)に羊の海綿状脳症(スクレーピー)のプリオンが含まれていて,牛がそれを食べて,腸管からリンパ節などを経由して異常なプリオンが脳に到達し,そこで,異常なプリオンが増殖した,とされていました.しかし,一方で,BSEは羊のスクレイピーが牛に感染したものではなく,スクレイピーとは独立に,1970年代に南西イングランドで出現した,たった一匹の羊あるいは牛の,極まれなプリオン病に由来するという説 (6)があります.どちらが正しいのか,わかっていません.

定型的CJDの原因:
はっきりと感染経路がわかっているBSEの場合でさえそうなのですから,感染経路が明らかでない人間の(定型的)CJDの場合にはもっとわからないことだらけです.異常なプリオンが増殖して,海綿状脳症を発症するためには,正常のプリオン遺伝子が存在することが必要です.というのは正常のプリオン遺伝子をなくしてしまった(ノックアウト)マウスを人工的に作って,そのマウスの脳内に異常なプリオンを接種しても,脳に変化は起こらず,マウスはぴんぴんしているからです.とは言っても,異常なプリオンはプリオン遺伝子をおかしくするわけではありません.CJD症例の9割ではプリオン遺伝子の異常は見出されません.あとの1割では,遺伝子の異常が見つかりますが,このようなケースでも,遺伝子異常は生まれつきにあることがわかっていて,異常プリオンが外からやってきてプリオン遺伝子をおかしくするのではないのです.

プリオン:正常と異常の差:
問題をわかりにくくしているのは,正常プリオン蛋白と異常プリオン蛋白の違いは蛋白の高次構造(正常プリオン蛋白はαヘリックス,異常プリオン蛋白はβシート状構造)の違いであり,アミノ酸の一次配列は同じだということです.だから,異常なプリオン蛋白が,DNAあるいはRNAを障害し,そこから異常プリオンが増殖するという,それこそSFもどきのストーリーが出来そうですが,現実のデータはそうではありません.だって,そもそも異常なプリオンでもアミノ酸の配列は正常プリオンと同じなんですからね.蛋白が出来てからあとの,post-translationalなプロセスが異常なのです. このプロセスの結果として,異常なプリオンには正常よりも余計に糖鎖がついて,その結果高次構造が異なってきます.

正常なプリオン遺伝子の機能:
プリオン遺伝子のノックアウトマウスでは,90週以降に小脳のプルキンエ細胞が脱落する(1),あるいは睡眠覚醒の日内リズムに異常がある(2)という報告があります.ヒトのプリオンの正確な構造はScience233:364(1986)に最初の報告があり、分子量27000で,245のアミノ酸残基からなります。プリオンの遺伝子はヒトでは第20染色体短腕にあります.
vCJDの特徴
1996年3月20日、英国の海綿状脳症諮問委員会(Spongifom Encephalopathy Advisory Committee(SEAC))は、10名のvCJDを確認し、これらはすべて1994年又は1995年に発症したもので、従来のCJDと比較して、
(1)若年層で発生すること、
(2)発症して死亡するまでの平均期間が6ヶ月から13ヶ月に延長していること、
(3)脳波が異なること、
(4)脳の病変部に広範にプリオン・プラークが認められること
など従来のCJDとは異なる特徴を有するとしました。

疫学的研究及び症例研究では、vCJDの症例間の共通な危険因子は確認されませんでしたが、SEACによると、9名は過去10年間に牛肉を食べており、1名は91年以降、菜食主義者でした。 SEACは、BSEとvCJDの間に直接的な科学的証拠はないが、確度の高い選択肢もなく、最も適当な説明としては、患者の発生は1989年の特定の内臓(SBOs Specified Bovine Offals)の使用禁止前にこれらを食べたことに関連があるとしました。

vCJDの原因がBSEプリオンであることの根拠と弱点:
英国を中心に問題になっているnew variant CJDは,BSEの病原体(感染性プリオン)が,ヒトに感染して起こったことが定説となっています.これは,BSEのプリオン蛋白と,nvCJDのプリオン蛋白が非常によく似ていること (4).また,牛の正常プリオンを発現させたトランスジェニックマウス(マウスを牛に似せたモデル)に,BSEとnvCJDの感染実験を行ったところ,潜伏期間,神経病理学的所見,感染性のプリオンの沈着パターンの全ての点で,BSEとnvCJDの間に違いがなかったこと (3, 5)が根拠になっています.

しかし,最も大切な実験,すなわち,ヒトのプリオンのトランスジェニックマウス(プリオン病の感受性という点から,マウスを人間に近づけたモデル)へのBSEの感染実験は不成功に終わっています (9).この事実はこれまで大きく取り上げられていませんでしたが,nvCJD/BSE起源説の最大の弱点です.この1999年のPNASのScottらの論文では,compelling evidenceと謳いながらも,ウシのプリオンのトランスジェニックマウスにヒトのnvCJDの感染が成功したと,トンチンカンな結果を述べているだけで,肝心のヒトプリオンのトランスジェニックマウスへのBSE感染実験は失敗しているのです.

1997年のHillらの論文 (4)では,human PrP  transgenic mouseへBSE agentを接種したところ,600日あまりの潜伏期間(この潜伏期間の長さも実は問題.というのは,vCJD脳接種の場合の潜伏期間が平均228日であり,大きな差がある)の後に,運動障害が発症したとしている(ただし病理学的変化のデータは呈示されていない).しかし,彼らは,その脳からPrPscを検出できなかった.つまり,human PrP  transgenic mouseへBSE agentの感染実験には成功していない.この点は,Scottら(5)もはっきり認めている.

Hillらの論文 (4)ではPrPscのウェスタンの写真も,野生型マウスにBSE/vCJDを接種したものと,human PrP transgenic mouseにvCJDを接種したものだけを載せていて,肝心の,human PrP transgenic mouseに対するBSE感染のサンプルがないのです(PrPscを検出できていないのですから,当然ですが).彼らの報告が,Letterでなく,それより格下のscientific corrspondenceとして扱われたのも,このあたりに理由があったと思われます.

Venters (10) はこの点を鋭く突いており,疫学的な観点と合わせて,nvCJDはBSE汚染食品の経口摂取によるものではなく,それまで見過ごされていた特殊な形のCJDを掘り起こしたに過ぎないのではないかと主張しています (10).

プリオンはなぜ経口感染するか?
”プリオンは蛋白質なのになぜ経口感染するんです か?蛋白質なら普通は消化酵素で分解されるので,それで失活するはずですよね?”生物学をちょっとでもかじったことのある人なら,必ずこういう疑問を抱くでしょう.
しかし,たんぱく質が必ずしも全て消化管でアミノ酸あるいは低分子のペプチドに分解されてしまうわけではありません.臨床で使う薬剤では,キモタブやダーゼンなどのタンパク分解酵素(これもタンパク質)が経口薬として認められています.これは,消化管から吸収されるからこそです.インスリンでさえ,注射で投与するのは吸収率が不定だからであって,全てが分解されてしまうからではないそうです.そしてポリオウィルスワクチンも経口投与で立派に抗体ができるわけです.その上,感染性のプリオンは正常のプリオンと違ってβシート状構造をとり,この特殊な構造のためもあって,タンパク分解酵素抵抗性です.
このようにプリオンは消化管でも分解されません.分解されなければ,粘膜下には,腸管のリンパ組織(パイエル板)や末梢神経があるので,リンパ組織や脳・脊髄に到達するのは簡単なのです.感染性プリオンPrPscは,まず,ヒトの小腸上皮にあるラミニン受容体に結合します.そして,粘膜筋層間の神経叢から腹腔神経節経由で脊髄に到達すると考えられます.これら腸管の神経叢には,プリオン感染に必要な正常のプリオンがたっぷり発現しています (7).一方,腸管粘膜下のパイエル板の胚中心にいる濾胞性樹状細胞 (FDC:Follicular Dendritic Cell)という特殊なリンパ球が,補体の助けを借りて,PrPscを捕捉し,腸管のリンパ系組織にもPrPscが広がります (8).

プリオン病の診断
生前診断は、BSE、nvCJDのいずれでも現在のところ不可能である.扁桃,虫垂など,脳以外の組織にも異常プリオンが検出されることがある.しかし,全例ではなく,ごく一部の症例なので,陽性率がとんでもなく低くて,生前診断にはとても使えない.結局,死後脳で,十分な量の材料を使って,病理組織学的検査と生化学的なPrPscの検出をしなくてはならない.人間の場合に行なわれる脳生検も,死後脳の検索に比べたら,常に偽陰性のリスクがある.
 

言葉の整理:英語の記事を読むとき参考にして下さい
bone meal 肉骨粉
carcasses (動物の)屍骸
CJD (Creutzfeldt-Jakob Disease) クロイツフェルト・ヤコブ病.人間の海綿状脳症.
CMO (Chief Medical Officer) 日本で言えば厚生労働省の局長のようなもの
MAFF (Ministry of agriculture, fishery and food) 英国農水省
ruminants 牛,ひつじ,やぎ,らくだ,しか,かもしか等解剖学的には4つの胃を持つ反すう動物の総称:牛の場合は食道が変化した1〜3胃と4胃
SBOs (Specified Bovine Offals) 特定危険部位:脳,脊髄,リンパ節組織など,BSEの感染の危険性の高い牛の内臓肉の総称
scrapie スクレイピー.羊の海綿状脳症
SEAC (Spongiform Encephalopathy Advisory Committee) (英国)海綿状脳症調査委員会

文献

1. Sakaguchi, S. et al. (1996) Nature. 380, 528-530.
2. Tobler, I. et al. (1996) Nature. 380, 639-642.

3. M. E. Bruce, R.G. Will, J. W. Ironside, I. McConnell, D. Drummond, A. Suttie, L. McCardle, A. Chree, J. Hope, C.Birkett, S. Cousens, H.Fraser, C. J. Bostock. Transmissions to mice indicate that 'new variant' CJD is caused by the BSE agent. Nature 1997;390:498.

4. A.F. Hill, M. Desbruslais, S. Joiner, K. C. L. Sidle, I. Gowland, J. Collinge, L. J. Doey, P. Lantos. The same prion strain causes vCJD and BSE. Nature 1997;390:448-450.

5. Scott MR, Will R, Ironside J, Nguyen HO, Tremblay P, DeArmond SJ, Prusiner SB. Compelling transgenetic evidence for transmission of bovine spongiform encephalopathy prions to humans. Proc Natl Acad Sci U S A 1999 Dec 21;96(26):15137-42

6. S. B. Prusiner. Neurodegenerative Diseases and Prions. N Engl J Med 2001;344:1527.

7. AN Shmakov and others. Cellular prion protein is expressed in the human enteric nervous system. Nature Med 2000; 6 : 840-1.

8. Klein MA, Kaeser PS, Schwarz P, Weyd H, Xenarios I, Zinkernagel RM, Carroll MC, Verbeek JS, Botto M, Walport MJ, Molina H, Kalinke U, Acha-Orbea H, Aguzzi A. Complement facilitates early prion pathogenesis. Nat Med. 2001 Apr;7(4):488-92.

9. Scott MR, Will R, Ironside J, Nguyen HO, Tremblay P, DeArmond SJ, Prusiner SB Compelling transgenetic evidence for transmission of bovine spongiform encephalopathy prions to humans.. Proc Natl Acad Sci U S A 96, 15137-15142. (1999).

10. Venters GA New variant Creutzfeldt-Jakob disease: the epidemic that never was. BMJ 323, 858-861. (2001).

参考資料:

牛由来の製品やヒトの血液製剤の安全性に関する詳しい情報を知りたい方は,WHOの見解(英語)をお読みください.

BSEの影響を畜産業を含む経済的な側面から見た96年当時の事情は,BSEをめぐる情勢(月報”畜産の情報:海外編”96年9月号)に非常に詳しく書いてあります.今から見ても第一級の史料です.

BSE inquiry (BSEスキャンダルの報告書)(英語)

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