Massie's Scotland:unavoidable hardship

避けがたい試練

”英国の料理は英国の気候と同様,人生の避けがたい試練の一つである”(R. P. LISTER).

しかし,どうして英国料理は世界中から罵詈雑言の数々を投げつけられるのだろう.英国料理に文句を言うのは,日本人やフランス人の特権ではない.英国人以外なら誰でも,英国料理に難癖をつけるのが権利,いや,時には,ほとんど義務と考えているようだ。

ある時,ハンガリー人の友人が,英国料理はまずいと文句を言うのを聞いたことがある.しかしハンガリー人とて,豚肉のカツレツとじゃがいもを主食とする民族なのだ.

また,あるアメリカ人は,旅行案内書の中で英国料理を評してこう書いている.”英国人は野菜の料理の仕方を知らない.どんな素晴らしい野菜でも,英国人の手にかかったら,ぐずぐずになるまでゆでられて,あわれ原型をとどめなくなってしまう”.

我々日本人から見れば,ハンガリー人だろうとアメリカ人だろうと,食生活に関しては英国人と五十歩百歩と思われる.なのに,彼らからも非難されなくてはならないなんて,英国料理はなんて哀れなんだろう.

外国の料理をそしる時,人の心の中には,偏狭な愛国心とも言うべき,貧しい気持が潜んでいる.他人の物にけちをつけることによって,優越感を得ようとするのである.たいていの英国人は,自国の料理の評価に対して,苦笑いしながらも賛同してくれる.この寛容さが,英国料理の不評を許しているのではないだろうか.

フランス人や中国人相手に,”お前の国の料理よりも,わが国の料理の方がうまい”と,面と向かって言ったら,喧嘩腰の議論になること必定である.なぜ英国人は自国の料理の批判に対して寛容なのだろうか.おそらくそれは,食事という行為には,料理の味を補って余りある大切なものがあることを知っているからだろう.料理はうまいに越したことはない.しかし,たとえ料理が粗末でも,くつろいだ雰囲気の中での楽しい会話があれば,御馳走で胃袋が満たされた時よりも心が豊かになる.英国人と食事をして,会話を楽しむとそれがわかる.

自国の風物の不評を許す寛容さは,決して英国人だけに特有のものではない.なぜなら,日本人も,全く同じ気持ちを家について持っているからだ.”狭いながらも楽しい我が家”.皮肉にも,日本でも広い家を持てる可能性のあった時代によく使われた言葉だ.

英国人から日本の住宅状況をあからさまに批判されたとしたら,多くの日本人は苦笑いしながら認めつつ,上記の言葉を思い出し,慰めとするのではないだろうか.それにしても,英国の料理と日本の家とを比べて,どちらの国民の方がみじめかというと,どう見ても日本人の方に分が悪い.日本人の英国料理評価は,つまるところ,衣食住の総合点に関する劣等感の裏返しなのだろうか.

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