8月15日に

(2018年8月15日に大学同窓生のメーリングリストに書き込んだもの)

恒例ではありますが(といっても,この日を意識してメーリスに書き込むのは最初だと思うけど),関連の話題を.今回は『1941』.ブルース・ブラザースのコンビに加え,三船敏郎とクリストファー・リー(生粋のイングランド人なのに彼のドイツ語はネイティブと区別がつかない!)まで動員して掛け合い漫才をさせたという,スピルバーグの渾身の作品ですが,この作品は皮肉にも(実は当然ながら),その背景である『ロサンゼルスの戦い』を知らない層(主に太平洋の西側住人)によってのみ支持され,(当然のことながら)理解している層(ほとんどは米国本土の住人)からは拒絶されました.

彼の地では,ベトナム戦争のような負け戦を批判的に扱う映画は受け入れられても,勝ち戦の中での恥部を取り上げた作品は,米帝主義者にとって到底容認しがたいものだったでしょう.その恥部として有名なのは,例の「日系人強制収容」問題ですが,一方でほとんど語られていないのが,お手本としたはずのドイツ国防軍に比べて,まともな人材が育たず,規律性が欠如し,(パットン,リッジウェイなどのごく一部の例外を除いて)将校クラスが腰抜け揃いだった米陸軍の内情です.

まあ,長い間戦争をしていなかったのでやむを得ない面もあったのでしょうが,この当時の米陸軍の内情を踏まえてはじめて,『ロサンゼルスの戦い』は当然の帰結だったことが理解できるし,スピルバーグ(出自はウクライナ系ユダヤ人とのこと)が反米帝の非国民と見なされたであろうことも容易に想像できるのです.ウェスト・ポイントに代表される陸軍学校での教育崩壊については,「コマンド・カルチャー:-米独将校教育の比較文化史」に詳説されています.大部ですが,戦史と教育の両方に興味のある方(そんな変人どこにもいないって)には苦にならないでしょう.

昨日(注2018/8/14)アレサ・フランクリン危篤の報が入って反射的に見に行ったのが,ブルース・ブラザース(公開1980)に出演した彼女の姿でした.「Think」が発表されたのは1968年.それから12年も経ってのセルフカバーであの場面を創るのですから,やっぱりスターは違います.この作品を見た当初は,黒人社会を舞台にしたミュージカル・コメディだから,さして特別なことだとは思わなかったのですが,ジェームズ・ブラウン(牧師),アレサ,そしてレイ・チャールズ(楽器屋の主人)と,ブルース・ゴスペル歌手の大御所を揃えた,凄い映画だったんだと,今になって初めて気づいたのでした.
1941』(公開1979)で見事にアル中パイロットThe Indomitable Capt. Kelsoを演じてくれたベルーシは,そのアル中とシャブ中で82年に亡くなりました.そのベルーシ亡き18年後に公開されたブルース・ブラザース2000にクラプトンが出たのは,制作側からの要請ではなく,彼の方からの熱烈なる出演希望の申し出ゆえだったと,昨日行きつけの店で仄聞しました.やっぱり高松はいいところです.

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