当たり前は言語化されない

どんな仕事でも「自分が納得する」のは真のエンドポイントであり、自分が納得できなければ決して他者を納得させることはできない。そんなの当たり前だと、あなたは思うかもしれない。しかし、その当たり前のことに常に忠実に行動できていただろうか?自分が納得しないまま、他人を納得させようとして、納得させられなかった経験はないだろうか?そして、そんな自分にいらいらしたり、他人を「この、わからず屋め」と攻撃したことがなかっただろうか?特に家庭で。

「言われてみれば当然」のことは、敢えて言語化するほどのことでもないと認知されてしまうから、なかなか言語化されない。言語化されなければ、行動の指標とする機会を逃してしまう。理念を掲げたり、スローガンとするのは、実はこの機会喪失のリスクを低くするためなのだが、実際に掲げられる理念は、しばしば、どう見ても「誰も納得できない・非現実的」な謳い文句ばかりになってしまう。その背景には、やはり、「当たり前は言語化されずに、どうでもいいことばかりが言語化される」という強固なパラドックスがあるのだろう。

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