日本人とEBM
Evidence−based medicine(以下,EBM)という言葉を最初に目にしたのは,1990年頃であったように記憶する.以来,外国雑誌のEditorialでもEBMがしばしば紹介され,Meta−analysisのデータも多数登場した.Cochrane Libraryでも,産婦人科に関する項目は圧倒的に多い.Meta−analysisは万能ではないが,それよりも思いつきや「独創的」考察に基づく医学の方が患者にとって有益であるという証拠はない.
不思議なことに,日本人にしかないのではないかと思われる病気がある.産婦人科領域で言えば,潜在性高プロラクチン血症がそうだ.病気とまではいかなくても,日本人にしか効かないのではないかと思われる薬もたくさんある.子宮収縮抑制剤(早産防止剤)は,日本人だけに抜群の効果をもたらすようだ.誤解がないように断っておくが,私がそう思っているわけではない.
こうしたことで論争があると,必ず持ち出させるのが,民族の特殊性だ.しかし,ヒトと猿(多くはネズミ)との差よりは,日本人と欧米人,あるいは黒人との差の方が圧倒的に小さいと思うが如何だろうか.
EBMが日本の医療になかなか定着しないことに,多少悲観的になっていた.そこに,このセミナーの案内があり,期待感と「どうせ」という気持ちを複雑に織り交ぜながら参加することになった.
セミナーに参加して
仕事の関係で前夜殆ど徹夜のままで参加させていただいた.きっと寝てしまうだろうなと思っていたが,居眠りしたのはわずかであった.一言で言えば,居眠りするのが惜しいぐらいおもしろかった.何よりも,若い人たちが中心になって,よく準備がされていた.高血圧の一人の患者とのやりとりを通して,どのようにEBMを臨床に実践していくかが限られた時間の中で明解に示されていたと思う.問題を整理し,文献を探し,文献のどこに着目すべきかが,よく理解できた.また,全体の進行の中に,グループ別に討論をする機会を組み込み,参加者が単なる聴講生にはならなかったのもすばらしかった.ずいぶん前にアメリカで医学生の講義を聴く機会があった.問題点を整理し,それにどのようにアプローチしていくかが明確に示されていた.すべての学生の目が輝いていたのをふと思い出した.
今後のセミナーヘの期待
セミナーを準備された方々への感謝と今後への期待を込めていくつかの意見を書かせていただく.誤解があれば,お許しをいただきたい.
1.何よりも予想をはるかに上回る参加者があったのはすばらしいことである.しかし,医師の全体数を考えれば,砂漠の中のほんの一握りの砂に過ぎない.今後はさらに多くの参加者を期待したい.と言っても,これは自分自身を含めて参加者の問題であると思っている.参加されたみなさん,それぞれの診療科でEBMを広げる核になりましょう.
2.医者が,個々の問題を解決するに当たってEBMを考えオリジナル文献を読むことは,不可能なことが多い.勢い教科書や総説,あるいは学会などのガイドラインにも頼ることになる.しかし,わが国のこの手のもののお粗末さは,辟易する.アメリカ産婦人科学会のガイドラインは,単に文献の引用にとどまらず,EBMから見た文献の信頼度まで示している.一方わが国のものは,信頼度はおろか文献すら読んでいないのではないかと思われるものが飽きもせず登場する.Cochrane Libraryの訳を含めて,EBMの実際を各科別に具体的に日本語で紹介する必要がある.
3.EBMは薬効をめぐって発展してきたように思っている.比較的類型化が可能な領域である.ところが外科系はそうはいかない.腕の違いがあるのである.また,一つの術式名では類型化が困難な術者毎の違いがある.こうした問題をどう考えたらよいか,外科系他科の医師と意見の交換ができれば有り難いと思う.
4.EBMを実践しようとすると,診療報酬との落差が余りにも大きい.加えて,患者からは「適切な」診療を行わなかったとして訴えられる可能性もある.裁判になると日本語のいい加減なガイドラインの方が威力を発揮してしまうのである.この問題も3.に書いた方法でしか解決が出来ない.
5.セミナーに参加する前は統計的な考えについてばかり話されるのではないかと心配していた.しかし,参加してみると勝手なもので,もう少し統計的な考え方の話しがあってもよかったのではないかと思っている.今の若い医師を含めて,大学や卒後研修できちんとした統計の勉強をする機会がなく,これが徒弟的研修,「独創的」,閉鎖的研修の温床になっていると考えるからである.