医学を志す若い女性へ

内潟 安子 東京女子医科大学糖尿病センター助教授

 第11回国際女性技術者・科学者会議に参加できるありがたい機会を得たところ、ジェンダーについて考える機会も得た。感謝する次第である。

 「日本において女性科学者がなぜ少ないのか?」という問題に置き換えて考えてみる。社会の体質の問題なのか、それとも女性であることが障害になっているのか。社会にでて17年医者をしている今の立場から意見を述べてみる。

 私は国立大学医学部を卒業し、同大学病院の医局に入局した。ここで、男性医師と同じく当直をこなし、外来の渚るの当番をこなし、入院患者の治療を研修し、そしてこなし、さらに研究も助教授の指導の下に開始した。まだ医学生の女性占有率が10パーセントの時代である。しかし、女性だからという特別扱いはされたことはなかった。男性医師と同等かそれ以上の時間を医局生活に費った。男性と競走する意識は全くなく、ただ自分の気の済むように、患者さんの治療と研究に時間をかけただけである。当然毎日睡魔とのたたかいであったが、後悔するところはまったくない。その後、生化学教室で生化学を約2年半学び、アメリカでさらに研究生活を3年半送った。ここまでは自分のことだけを考えてやっていればよい時代であった。

 この後、日本にもどって、助手、講師、助教授と大学の教育職生活が、医師、研究生活ともに平行するようになって、1日の時間は自分のためというより、医局員の研修に費やされるようになった。男性、女性医局員や研究生を一人前にしなければならない。この時からジェンダーを意識するようになった。

 医者になって自分が行ったことを一つにはじめてまとめて書き上げる創造的な作業(学位取得する)をサポートする時、ジェンダーを無視できない。この作業は社会人としてはじめての自分との闘いでもある。まとめていくという最終段階にすすむにつれて、個人的な能力よりも、ジェンダーの違いを感じる。私の個人的な意見であるが、男性の方がサポートしやすい。男性の方が育てやすい。男性の方が踏ん張りがきくように思う。忍耐強いように思う。昔の自分と今の女性医師を比べているわけではない。ここには男性社会の仕組みは存在しない。

 しかし、このような性の相違をウスウス感じている男性が女性のそばにいるのである。物事を作り上げていくことに優越感を感じた男性はプライドをくすぐられて、将来の男性社会の騎手になっていくのではないか。

 このような社会で男性と同じ能力を持った女性がのびてきて、さらなる地位にプロモーションするとなると、問題が違ってくる。いわゆる男性社会というべき「グラスシーリング」があるようである。私もすこしではあるが経験した。男性社会というよりも、女性であっては成り立ってはいかない社会と呼ぶべきかもしれない。「グラスシーリング」はだれが作ったものなのか。これを打ち砕していくのはどうすればよいのか。これは男性だけが作ったものとは思わない。踏ん張りのなさをもった女性と、そしてプライドをくすぐられた男性ではないか。

 20世紀の終わりになって、ありがたいことに男子厨房に入ることにめくじらをたてる人は少なくなった。共働きも受けいれられてきたし、DINKSという言葉にも違和感を感じる時代でなくなってきた。性の相違から個々の才能を判断することはだんだんなくなっていくのではないだろうか。