ジェンダーの過去・現代・未来
はじめに
「ジェンダー」という言葉は、以前はそう一般的な言葉ではなかった。我が国ではドイツ語、フランス語など外国語の文法を学ぶ際、この用語を知った人が殆どだっただろう。つまり、これらの言語の名詞に「男性」「女性」の区別があるからだ(ドイツ語やラテン語には「中性」もある)。
ところが今では、社会で異性と共に仕事をしたり付き合ったりするにも、家庭生活を円満に営んで行くためにも、男性と女性のことを指すジェンダーは頗る重要なキーワードとなっている。そして多くの人がジェンダーの知識を得て実生活に活かそうと思っても、なかなか適当な本が見当たらず、ついつい手軽なハウツー(How-to)本に走ることが多いようだ。
この本は、それでは物足りない、もう少し深く知りたい、という方々のために書かれたものである。
そこで本書は三部から成り、第一部では過去においてジェンダーがいかに扱われてきたかを史実や著述によって明らかにする。第二部では現在、国の内外のいわば世界中のジェンダーに絡む諸問題と実状を紹介する。そして第三部ではこれからのジェンダーはどうあるべきか、どうなって行くかを考えることにする。
第一部 過去
古代 ジェンダーのあけぼの
先ず、この詩から読んで頂きたい。
親愛なる花婿さま、
貴男は美しく、蜜のように甘い、
親愛なる獅子よ、
貴男は美しく、蜜のように甘い。
貴男は私を虜にしてしまい、私は震えおののきながら貴男の前に立つ。
花婿さま、貴男は私を閨に連れて行くのでしょう、
貴男は私を虜にしてしまい、私は震えおののきながら貴男の前に立つ。
獅子よ、貴男は私を閨に連れて行くのでしょう。
花婿さま、貴男を愛撫させて下さい、
私の素敵な愛撫は蜜よりも甘美です、
蜜に満たされた、閨の中で、
貴男の美貌を楽しませて下さい。
獅子よ、貴男を愛撫させて下さい、
私の素敵な愛撫は蜜よりも甘美です。
花婿さま、貴男は私を楽しんだ、
母に告げて下さい、そうすれば母はご馳走を出して呉れるでしょう、
父は貴男に贈り物をするでしょう。
貴男の気力、その気力を元気づける処を私は知っている、
花婿さま、夜の明けるまで私の家で眠りなさい、
貴男の心、その心を悦ばせる処を私は知っている、
獅子よ、夜の明けるまで私の家で眠りなさい。
貴男よ、私を愛しているのだから、
どうか私を愛撫して下さい、
我が君、我が守護者、
エンリル神を喜ばす我がシュ・シン王よ、
どうか私を愛撫して下さい。
貴男の此処は蜜のように素敵で、どうかその手をその上に置いて下さい、
ギシュバン衣のようにその上に手を置き、
ギシュバン・シキン衣のように掌をカップにしてその上に被せて下さい。
(シュメール王朝のシュ・シン王のために毎年選ばれた花嫁が朗詠した詩。サムエル・N・クレイマーの英訳を本書著者木下栄造が日本語に重訳}
今や小さな子供も含めて世界中で知らぬ者のないイラクは、チグリス、ユーフラテス両川に挟まれたメソポタミア(古代ギリシャ語で「二つの河の間」の意)地方に在り、紀元前三〇〇〇年頃にシュメール人という民族がやって来て、最古の文明発祥の地となった。そして多くの都市国家を建設したこと、楔形(せっけい)文字を発明したことで知られている。
冒頭に掲げた詩は、紀元前二十一世紀に在位したシュ・シン王のために毎年選ばれた花嫁が朗詠した詩であり、今のところ現存する最古の性愛の詩だ。王は兄王から王位を奪って即位したものの、その九年間の王位は属国の反乱や外敵の侵入に悩まされ、決して盤石の王座ではなかったが、いかにも安寧を思わせる祭典の詩だ。そして今でも世界のどこかにこんな習俗の共同体があるかも知れないと思えるほど今日性を持っている。
しかしこの詩を掲げたのは、詩を鑑賞するためでなく、この詩の持つ意義を知るためだ。超人的精力みなぎる王のために毎年処女が人身御供として差し出された、というのではない。年毎に行われる祭典行事であり、この乙女は現在毎年選ばれる「ミス何とか」に相当し、当時の美少女や有力者の娘だったのだろう。そして王に仕える史部(ふひとべ)がこの祭典のために作った詩を「花嫁」が朗詠していたのだろう。
当時碑(いしぶみ)に刻まれるのは、法令布告、戦勝記録、王統系譜、稜威(いつ)の誇示など政治的なものが主だったと思われるが、このような性愛詩を碑に残しているということは、「食う、寝る、戦う」の生活から脱却して立派な文化を持っていたことを意味する。そして性愛詩を残したということは、紛れもなく男性が女性をジェンダー的存在として意識していたのだ。
この後、古代のジェンダーを記している「ハンムラビ法典」、「旧・新約聖書」、「コーラン」、「マヌ法典」など貴重で重要な資料が種々現存しているが、宗教・風俗・風土・時代等が異なるにも拘わらず大きな共通点がある。それは男性本位・優位だ。男女の違いがあるとして、その違いを分析して述べるのは構わない。それはその当時の「科学・哲学」といって好いだろう。しかし、それによって男女間の優劣・上下関係が規定され、以後今日に至るまでの女性受難に繋がっていった。
将来、戦力・労働力となる子供を産む女性、男性の性愛の対象となる女性、が尊重される時代が先史時代には有ったかも知れないが、資料が書かれる時代になると、戦争・重労働・政治活動・社会活動などが男性の役割となり、「男性による」、「男性のための」、「男性の」規範が出来ていった。
しかし、このバビロニアの地も、その後権力者は次々に入れ替わり、紀元前一九〇〇年頃、シリア砂漠などに住んでいた遊牧民のアモリ人がシュメールを征服し、バビロン王朝を樹立した。
ハンムラビ法典
それから三〇〇年が経ち、六代目の王ハンムラビ(在位紀元前一七二九-一六八八年)がメソポタミア全土を制覇し、後にハンムラビ法典と呼ばれる法典を制定した。
それから更に三六〇〇年経った一九〇一年に、現在のイラン南部の都市スーサで人の身長より少し大きい全長約二・五メートルの黒閃緑岩に楔形文字で刻まれていた碑が出土し、解読の結果ハンムラビ法典と判明した。紀元前十二世紀にバビロンを制圧したエラム王国が、当時の自国首都スーサに戦利品として持ち帰ったのだ。これがほぼ完全な状態で現存する世界最古の法典で、歴史の波に翻弄され、現在はパリのルーブル美術館に所蔵されている。
ついでだが、美術品でもないのに美術館に? と日本人は思うかも知れないが、英語のミュージアム、仏語のミュゼは何れも博物館・美術館を意味し、ルーブルは西南アジア関係の所蔵物の豊富さを誇っている。
この二百八十二条からなる法典の中には次のような条文がある。
「医師が重篤患者を手術して死亡させてしまったり、眼の手術をして眼を潰してしまったら、その手・指を切り取る。」
「大工の建てた家が、堅固でなくて家が倒れ、そのため施主が死んだら、大工は殺される。又、家が倒れて器物を損壊した場合は弁償しかつ家を建て直す。」
これらは現二十一世紀の日本にも適用して欲しいほどの今日性を持っており、且つ我が現行法に比べ遥かに峻厳である。
この法典全二百八十二条の中にジェンダーに関する条文が79条ほど有り、内政・外交・凶悪犯罪など、公的な条文が多い中で、全体の三分の一を占める。社会生活・家庭生活の私的・個人的平安が、人口増加・徴兵・納税・消費などに大きく関わると考えたのだろう。
その七十九ヶ条を民法と刑法に分けると次のようになる。
[民法]
項目 条数
婚約破棄 3
結婚生活 8
妻の権利 3
離婚・慰謝料 6
再婚 1
持参金 3
相続 14
尼僧 12
奴隷 4
女将 4
--------
55
[刑法]
項目 条数
不倫 8
インセスト 5
尼僧 2
女将 2
一般 7
-------
24
婚約破棄
一旦婚約しても、男性側、女性側の何れからも破棄することがあった。但し本人たちの意思というよりは、親がより有利な家との結婚を望んだものと見られる。男性が女性と婚約し、女性の父親に婚約の金品を納めたが、その後別の女性が気に入って、「お宅の娘さんは貰いません」と断った場合、娘の父親は結納の金品を返さなくてよい。
女性側から破棄する場合もある。男性が女性と婚約し、女性の父親に婚約の金品を納めたが、その父親が「貴女には娘をやらない」と言った場合、娘の父親は結納の金品を二倍返ししなければならない。
こんな場合もある。男性が、婚約した女性の父親に結納の金品を納めたが、この男性の仲間が女性の父親に男性の中傷をしたため、父親が娘の婚約者に「私の娘と結婚してはならない」といった場合は、女性の父親は婚約の金品を二倍返しにし、中傷した仲間とも結婚させない。つまり、根も葉もない讒言だったにせよ、婚約を履行して結婚した後も男性とその仲間のわだかまりは続くだろうし、自分が女性を横取りしたいが為に仲間を中傷した卑劣な男と娘を結婚させることは親としては出来ない、という深慮が窺える。
結婚生活
正式に結婚を契約しない限り、妻を娶っても正式な妻ではない。だから家に居る女性は妻や肉親を除けば、情婦か使用人ということになり、事実婚は認められなかった。
戦争が起こり、出陣した夫に取り残された妻の身の処し方も定められていた。夫が敵の捕虜になっている間、食物に不自由がない場合は、外出しても他家に入ることなく、貞操を守らなければならない。もし他家に入り、貞操を守らなかったことが確認されたなら、女は水の中に投げ込まれる。
もし食べる物が無く、生きて行けない場合、妻は他家に入ってもよく、子供を生んでも構わない。その後夫が復員してきた場合、妻は夫の処へ戻り、他家で出来た子供は父の処に残る。夫の出征中、妻が何をしているか分からないようでは兵士の士気に関わるのだった。
夫が蒸発した場合の妻への配慮も定められていた。妻が食べて行けずやむなく他家に入った後、前夫が戻って来ても妻は夫の許へ戻らなくてよかった。
男が、子供の出来ている妻や妾を正式に離婚すると決めた場合、彼女の持参金を返し、畑・果樹園・所有物などからの収益を子供の養育費として彼女に与える。子供が成人した後、彼女は息子一人分と同じ分け前を貰い、自分の選んだ男と結婚してよい。
借金の返済に関しては、結婚前から夫に債務が有った場合、妻に債務は及ばないと契約書に明記してあれば妻は免責されるし、逆に結婚前に妻の側に債務が有っても免責が明文化したあれば、夫は責任を負わない。そして結婚後生じた債務は夫婦共同で責任を負う。
妻の権利
負債が払えなくなったため、夫が妻子を売ったり、借金の形として差し出した場合、妻子は三年間貸し主のために働く義務があるが、四年目からは自由の身になる。
妻が病を得て直らない場合、夫は後妻を迎えてもよいが、先妻と離婚することは出来ず、夫が建てた家に住まわせ、生涯面倒を見る。もし先妻が夫の家に住むことを好まない場合、自分の持参金を返して貰って出て行く。
夫の借金の形になった場合も、病を得た場合も、本人に落ち度はなく災難なので救済が図られている。
離婚・慰謝料
一度結婚したら生涯添い遂げなければならないものでもなかった。元々本人同士が愛し合って結婚するのでなく、親や一族の意向で決まったのだから破綻を来すことも有り得た。
「子無きは去る」は有ったようで、そのような妻と離縁する場合、結納料に見合う金額を与え、その上持参金を返す。結納料が無かった場合は銀で絶縁料を与えるものとした。
妻が離婚を決意した後、家事を怠り素行も悪く、その上夫を粗末に扱うなら、確認の上で夫が離婚するというなら、旅費も慰謝料も渡さず離婚する。離婚しないなら、後妻を迎えた後、先妻を使用人の如く使ってもよい。
妻が夫を嫌って同衾を拒否した場合、司直の尋問を受ける。妻に問題はなく、夫の方が外出勝ちで妻を粗末に扱っていた場合、妻に持参金を返して実家へ帰らせる。もし妻が素行も悪く外出勝ちで家事を怠り、夫を蔑ろ(ないがしろ)にしていたことが判れば水中に投げ込む。
女の再婚
夫に先立たれた妻とその子が生活して行くのは大変だった。それで妻が再婚しようと思っても、裁判官の同意が必要だった。裁判官は調査の後、前夫ノイエを妻と新しい夫に任せるという証書を発行する。そして新しい夫婦は前夫の家とその家財道具は子供の物なので処分することなく子供を育てる。もしこれらを飼った物が有れば、罰金を支払い、かつ財産は原状に戻される。
妻の持参金
娘が嫁ぐとき、持参金を持たせた。息子は父親の死後遺産を相続するが、娘は相続権がないので、嫁ぐとき生前贈与の形で持たせたのである。
子供の無い妻が死亡した場合、実家の父が、嘗て婿側から贈られた婚約金品を返したなら、婚家の父は息子の嫁の持参金を嫁の実家に返す。持参金は実家の父が出したものだからだ。もし実家の父が婚約金品を返さない場合、婿側はその分を差し引いて嫁の持参金を嫁の実父に返す。
相続
相続も民法では重要な問題で、もし兵士が敵の捕虜になった場合、その息子が代わりに働けるほど大きければ畑や果樹園は息子に与えられ、経営を任される。息子が幼少で後を継ぐことが出来ない場合、畑と果樹園の1/3を妻に与え、彼女が息子を養育する。
軍人を含む官吏は自分の畑や果樹園のような不動産を妻や娘に譲ることは出来ないし、負債の代償にすることも出来ない。但し、自分一代で得た不動産は、妻・娘に譲ってもよいし、自分の負債の代償として使ってよい。
夫が証書を作った上で妻に生前贈与した場合、夫の死後、子供たちはその財産の相続を請求できない。母は気に入った子にのみ与えてよい。
バビロンでは相続などの場合、子供というと息子を指し、娘を含めなかった。そういう状況の中で、結婚した子供と未だ結婚していない子供が居る状況で父が亡くなった場合、遺産は子供が分割相続するが、その前に、未婚の子供の結納料を取っておいて、残りを分ける。
先妻が子供を残して死に、後妻も子供を残して死んだ場合、父親の財産は子供で均等に分けるが、先妻の持参金は先妻の子が、後妻の持参金は後妻の子だけが相続する。
妻に子があり、女奴隷に生ませた子も「我が子」と認知していた夫が死亡した場合、財産は全ての子供に平等に分割されるが、正妻の子に主導権がある。女奴隷に生ませた子を認知しなかった場合、奴隷の子に分け前は無いが、女奴隷とその子には自由が与えられ、奴隷の身分に戻ることはない。
寡婦となった妻は自分の持参金や夫からの証明書付きの贈与財産は生活費に充てて夫の家に暮らし、家を手放さない。妻亡き後は子供の物となるからである。夫が生前に財産を贈与していなかった場合、妻は自分の持参金を取り戻し、かつ子供と同等の相続をする。もし子供が母を嫌がって追い出そうとした場合、司直はその理由を調べ、子供が間違っておれば彼女は夫の家を出なくてもよい。
夫に死なれた妻が再婚し、子供を残して死んだ場合、彼女の持参金は前夫との間に出来た子と、後の夫との間に出来た子が分け合う。後の夫との間に子供がない場合、前夫の子供が相続する。
妾になる娘に持参金を持たせることもあった。その書類が整っている場合、父が死んでも娘に遺産の分与はない。妾になる娘に持参金を持たせず父が死んだ場合、彼女の兄弟が財力に応じて持参金を拵え、夫となる人を探してやる。
尼僧
上は女性神官から下は巫女に至るまで、幾種類かの宗教従事女性がいた。そしてそれは独身で通さなければならない者、還俗して結婚してよい者に別れていたが、何れにしても在家とは区別された。
尼僧は男性と同じように不動産を売ることができた。
元尼僧だった妻が夫に下婢を与え、その女に子供が出来た場合、夫は更に妾を持つことはできないし、妻はその女を下婢のまま留め置き、売り飛ばしたりしない。しかし下婢に子供が出来ない場合は彼女を売ることができる。
尼僧の父が証明書付きの「持参金」(金銭とは限らない)を与えた後死亡したら、兄弟が彼女の所有だった畑や果樹園を取り上げ、代わりに持参金に見合う、衣食に必要な物を与える。もし兄弟が十分な生活必需品を与えず、彼女が満足しない場合、彼女は畑や果樹園を小作に任せて生活することが出来るが、これらの不動産は売却・譲渡することができない。そして彼女の遺した物は兄弟の物となる。
もし証書に、彼女の死後持参金を彼女の指定する人に与えてよいと明記してあれば、兄弟は請求権がない。
父が尼僧である娘に持参金を与えなかった場合、普通の娘とは異なり、彼女は兄弟と同じ相続人となる。しかし彼女の死後、彼女の相続した物は兄弟の物となる。
奴隷
日本では、アフリカ大陸から労働力として拉致されてきて売買された米国のアフリカ系奴隷がよく知られているが、奴隷は古代から存在した。そしてそもそもは人種や文化程度の優劣ではなく、勝者・敗者の関係だった。国や地域間の抗争で敗者となった側は王侯貴族階級と雖も、或いは、であるが故に、処刑されるか奴隷となり、王妃・王女たちも女奴隷となった。学者・文化人も、勝者となった文化程度の低い蛮族に仕える身となることがあった。有名な例としては動物寓話集で知られた古代ギリシャのアイソポス(英語名イソップ)は同じく古代ギリシャの史家ヘロドトスによると、サモス島の奴隷だったらしい。
ハンムラビ法典の定めるところでは、抵当として奴隷を差し出したところ相手が更に第三者に譲渡してしまった場合、元の所有者は奴隷を取り戻すことが出来ない。
主人の子を生んだ婢を、主人が借金の形として差し出した場合、借金を返せば婢を取り戻すことができる。
奴隷が奴隷でない女と結婚して子供が生まれた場合、奴隷の主人はその子を奴隷とすることは出来ない。
奴隷が自由民の娘と結婚し、財産も築いた後死亡した場合、妻は持参金を自分の物とし、二人で築いた財産は妻と奴隷の主人とで二分する。妻に持参金がなかった場合も妻は二人で築いた財産の半分を子供のために受け取る。
刑法
以下に示す如く、不倫が重大視された。ただし不倫とは専ら妻のを指した。もし人妻がよその男と同衾しているところを見付けられたなら、二人を縛り上げて水中に投げ込む。ただし夫が妻の助命を、王が男の助命を望む場合は救われる。
女が結婚はしたが未だ夫とは交わらず実家に居る間に別の男に犯されたことが判明した場合、その男は殺されるが、女は咎めを受けない。これと似たケースで夫が疑っても、現場を押さえることができなかった場合、妻は無実を神に誓って婚家へ戻ってよい。
もし人妻が他の男との仲を噂された場合、その現場を押さえられていないなら、夫のために聖なる川に飛び込む。
妻に男が出来たため夫を殺した場合、妻は串刺しの刑に処せられる。
以上は平時における妻の不倫に関する掟だったが、戦時は出征する兵士にとって、延いては兵士の士気低下を恐れる為政者にとって、留守を守る妻の不貞は看過できぬ事であり、前の「結婚生活」に述べたような刑罰が科せられた。
インセスト(近親相姦)
インセストはタブーとして禁じられただけでなく、刑罰が科せられた。
自分の娘と交わった者は町から所払いとなった。
息子が婚約者と交わった後、父親がその婚約者と同衾したことが判明した場合、父親は縛られて水中に投げ込まれる。
息子が婚約者と未だ交わっていないうちに父親がその婚約者と同衾した場合、父親は息子の婚約者に慰謝料と実家からの持参金などを返し、婚約者はその後自分の選んだ人と結婚してよい。
父の死後息子が母と同衾した場合、両名とも火炙りの刑に処せられる。
父の死後、息子が亡父の子を生んでいる女奴隷と同衾しているところを見付かった場合、息子は父の家から追い出される。
以上から判ることは、近親者間だけでなく、直接血の繋がりのない、近親者の配偶者との性的関係も人倫に悖ると考えたのだろう。
尼僧
民法のところでも述べたように、尼僧は一般女性とは異なり、男性並みの扱いを受けたが、刑法においても能動・受動両面に渡って縛りがあった。
修道院を出た尼僧が酒場を開いたり、酒を飲むために酒場に入った場合、火炙りの刑に処せられる。
正当な理由がないのに、男が尼僧や人妻を誹謗した場合、その男は法廷に引き出され、額に烙印を押される。
女将
酒場の女将にまで刑法の条項があるのは意外に思えるが、大抵の成人女性は専業主婦だったために、家から出て仕事をするのは尼僧と水商売の女ぐらいだったからだ。
女将が、客の酒代を穀物で受け取るのを断ったり、酒の量目が酒代よりも少なかった場合、女将は訴えられ水中に投げ込まれる。
もし無法者たちが飲み屋に集まり、女将が彼らを捕らえて宮殿は連行しなかった場合、彼女は死刑に処せられる。
その他の刑
女性だけに適用される能動・受動の刑法があった。つまり女性を罰する条項と、女性を守る条項である。
乳母に預けた子供が死亡し、乳母がその子の両親に無断で他の子と取り替えた場合、乳母は乳房を切り取られる。
男が他人の娘を打擲してその娘の胎児を流産させてしまった場合、銀で罰金を支払う。もしこの妊婦が死んだ場合、加害者である男性の娘を殺す。これは三千数百年経った今も尚アジアの一部で残っている「名誉殺人」の源流だと言えるだろう。被害者が身分の低い女であっても身分に応じた罰金が科せられた。
古代ギリシャ
古代ギリシャの歴史を一口で言うなら、紀元前八世紀に文字が現れ、紀元前七百五十年頃から有史時代となる。そしてアテナイとスパルタに代表される多くの都市国家(ポリス)が出来、人類最初の市民参加による民主政治が行われた。
紀元前五世紀前半に東の強大国ペルシャとの戦争であるペルシャ戦争に勝ち、ギリシャは栄え、ポリス政治は安定した。
紀元前五世紀後半にアテナイを中心とするデロス同盟、スパルタを中心とするペロポネソス同盟、それに中立国、の三つに分かれてペロポネソス戦争が起こり、最終的にスパルタが勝利し、ギリシャ全土を支配した。
紀元前四世紀以降ポリス制度は衰えて奥地マケドニアが隆興し、そのアレクサンドロス(アレキサンダーとも)大王がギリシャを統一して、最盛期には東はインド北西部にまで版図を広げた。
しかし紀元前二世紀後半にはローマの属州となり、古代ギリシャは終わった。
質実剛健、尚武のスパルタを除けば、他のポリスはおしなべて中庸を良しとした。そして人と力を合わせて何かをするというよりは、英雄、賢人、学者のように個人の業績を重んじた。
総じて早婚で、十四歳が結婚適齢期だった。そして生まれた赤ん坊は生後十日で父親が精しくチェックして、障害があったり虚弱であれば遺棄した。残った子は専ら母親に育てられ、楽しい幼児期を過ごすが、七歳になると男児と女児は区別され、男児は男らしくなるために学校へ行き、女児は母親と共に家庭にとどまった。
この時代の女性について判っていることは殆どがアテナイの女性についてである。アテナイの女性は料理を拵え、糸を紡ぎ、機を織り、召使いを監督し、子供を育てた。水汲みや買い出しといった細々とした家事は、雇う余裕があれば召使いに遣らせた。上流階級の女性は外出時は女執事を伴うのが良しとされた。
夫が客を宴に招くときも妻や家の女は接待せず、後で触れるヘタイラなどを雇い、家の女たちは二階のギナイセウムと呼ばれる女部屋に引きこもっていた。
スパルタの女性は少し扱いが違い、私有財産を持つことが出来た。そしてギリシャの女商店主は屋台や洗濯屋を商うことが出来たが、少なくともアテナイでは中産階級の女は不利だった。
娘を結婚させるには古代メソポタミアと同様、持参金を持たせる必要があった。
息子がいない場合、娘は父親の死後その遺産を相続して夫に譲った。このような事情から、遺産が他の家庭に渡るのを防ぐため、娘は従兄弟や伯・叔父といった近親男性と結婚するのが普通だった。大抵の場合、女性は思春期を迎えた数年後、かなり年上の男性と結婚した。そして女性は公民ではなかった。
娼婦
娼婦は現在同様軽蔑された。彼女たちは売春業者の犠牲と見なされ、金銭的には正直であっても、したたかで、自分をより魅力的に見せるため、作り話や手練手管を用いた。
ヘタイラ
娼婦の中で特筆すべきものがヘタイラで、後のヨーロッパで言うなら「椿姫」や日本の遊郭の太夫に相当する美貌と高い教養を兼備した高級娼婦で、饗宴においてアテネの男性達に正妻以上に貢献した。アテネの政治家・将軍ペリクレス(紀元前495?-429)の愛人「ミレトスのアスパシア」は公民の出ではなかったためヘタイラにならざるを得なかったが、恐らく裕福な生活を送ったと思われる。そして若い女性のための大学を建てた。ソクラテスは学生に彼女の講義を聞かせるために大学へ連れて行った。他のヘタイラたちも民生向上の為の資金を拠出した。
ヘタイラから生まれた子は、父親が判っている場合でも父親を扶養する義務は無かった。男がヘタイラに子を生ませたのは、子供をもうけるのが目的でなく、快楽の結果に過ぎないからであり、親であることを主張する権利はないとみなされた。
女性の役割
女性は自分自身公民ではないが、公民制度の護り手だった。アテネの公民男性は、妻の生む子供は自分の子供としなければならなかった。ということは、妻が不倫して生んだ子も自分の子として認知した。だから妻を他の男の誘惑から遠ざけるため、女性専用の部屋ギナイセウムに閉じ込め、外出するときは以前に述べた如く妻は女性を同伴した。もし他の男が彼女と寝ている現場を押さえられたなら、その男は殺されるか裁判に掛けられた。
女性は結婚すると父親から夫へと所有権の移る所有物だった。
スパルタでは、公民の数を保つことが必要とされたため、夫に性的能力のない場合、妻は自分を妊娠させてくれる公民男性の子を生むことが奨励された。スパルタでは妻は夫の所有物というよりは国家のものだった。これは夫も子供も同様だった。
性行動
夫婦間のセックスは、少なくとも男性にとっては、選択肢の一つに過ぎなかった。セックスの相手としては、男女の奴隷、内妻・妾、娼婦などがおり、どれを相手にすることも出来た。男達は思春期を迎えたばかりの若者を誘うことも出来た。これらの性関係は当時の壺絵やアテネの文学に好んで描かれた。
例えば、アテネのエロティシズムを述べているプラトンの『シンポジウム』(饗宴)の中で、喜劇作家のアリストファネスは、何故これらのセックスのオプションが存在したのかをカラフルに説明している。
まず、そもそも男対男、女対女、男対女という風に三つのタイプの性嗜好を持ったアンドロギュノスと呼ばれる「人間」があったが、これに怒ったゼウスは罰としてアンドロギュノスを両断した。以後片割れ同士が合体しようとして永久に他方を求めるようになった。これが愛であるとする。
同性愛
同性愛はギリシャ全土で行われた。女性が比較的自由であったスパルタでさえ、全てのスパルタ青年の教練体系に同性愛は組み込まれた。ギリシャ中部のドリスでも同性愛は広く受け容れられた。テーバイでは前4世紀に「神聖部隊」と称する300人から成る同性愛者の戦闘部隊があった。クレタ島では年少者を年長者が誘拐する儀式があった。
これほどまでに同性愛が行われた原因は、一つには男色が当たり前のことだった。また一頃は男女の結合は公民を増やすため法律によって義務づけられていたが、一方で同性愛は勇気と戦場での勇猛さに繋がると考えられた。
ソロンの改革
法制度としては「ソロンの改革」が知られている。アテナイの市民と貴族の間の反目が危機的な状態になった紀元前五九四年に彼は私利私欲や偏向が無く、高潔な人柄が買われてアルコン(執政官)に選ばれた。そして法制度を見直して改革を行った。爾来ギリシャ七賢人の一人と言われている。
ソロンの改革は多岐にわたるが、ジェンダーの問題にも及んでいる。その中で、女性の外出や冠婚葬祭の際の振る舞いにも細かな法律を定め、度の過ぎることを戒めた。
外出に際しては、着物は三枚以上身に纏うこと、一定の値以上の飲食物や一定の大きさを超える篭を携えることを禁じた。そして夜の外出には灯火をつけた乗り物に乗らなければならなかった。
喪葬では、大袈裟に身悶えしたり、愁嘆場を演じたり、人に代わって号泣することも禁じた。そして送葬の時以外は他家の墓に行くことを禁じた。自家の葬儀では、牛をいけにえにすること、三枚以上の着物を副葬することを禁じた。
多くのギリシャ市民に受け入れられた改革ではあったが、ソロンの改革にはジェンダーに関しては整合性を欠く面もある。例えば、合意の上で人妻と姦通している現場を押さえられた男は殺しても構わなかったが、奴隷でない自由人の女をレイプしても罰金で済んだ。遊ぶための男女の仲を取り持った者にも罰金が科せられた。但し娼婦を紹介した場合には適用されなかった。また、自分の娘や姉妹に売春させる男は罰せられたが、彼女たちが既に処女でないと認められた場合には適用されなかった。
ギリシア神話
古代ギリシャは古代に存在したいくつかの文化圏の中でも飛び抜けた存在である。すなわち、哲学・科学・文学・芸術・演劇などに優れた業績を残し、いまだにヘレニズムとして影響を及ぼしている。
また、ギリシア神話は単に古代ギリシャ民族固有の神話にとどまらず、世界の神話の中で最も有名なのはその高い文学性によるものだと言える。だから古代ギリシアに取って代わった古代ローマもこの神話を吸収し、「ギリシア・ローマ神話」とも言われる。
神話・伝説の共通点として言えることは、単一の作者の作ではなく、誰が作ったか分からないが、いつの間にか自然発生的に共通認識となっていったということだろう。ギリシア神話においてもしかりで、代表的なものとしては叙事詩人ホメロス(ホーマーとも)の『イリアス』、『オデッセイア』、同じく叙事詩人ヘシオドスの『神統記』、史家ヘロドトスの『歴史』などに集約される。
したがってギリシア神話そのものも単一でなく、いくつかのバージョンがあるのも当然だ。だから以下の記述はあくまでも一つのバージョンである。そしてギリシア神話に登場する固有名詞は、日本では、ギリシア語に近い表記、我が国で従来から通用している表記、ローマ神話で読み替えられた表記、英語読み、などが混在する。本書では、分かりやすい、親しみやすい、をモットーにしたので、これらの混在をある程度引きずっていることを容赦されたい。
それと、ギリシア神話では、最初は神ばかりだが、年代を経るにつれて半神半人が現れ、最後は人間に繋がってゆくが、これはギリシア神話に限ったことではない。
天地創造期は「カオス」と呼ばれる全てが混沌とした状態だった。そのカオスから大地を表すガイア(ゲーとも)が出来たというか、生まれた。大地であるガイアは天空を表すウラノスを生んだ。このあたりから、出来るものは神格化されてゆく。
両者の間に子供が生まれるが、百本の手を持ったヘカトンケイル、雷のキクロペスなど風変わりな子が出来たせいか、ウラノスは子供を嫌い、地下の冥界タルタロスへ閉じ込めてしまう。近親婚の弊害を認識した、人々への戒めとも取れよう。
最後に生まれたのがクロノスで、母ガイアの命を受け、眠っているウラノスのペニスを切り取って海に投げ捨てた。その時の泡から生まれたのがアフロディテ(ローマ神話ではヴィーナス)とされる。
このクロノスの子供の一人が最高神のゼウス(ローマ神話ではジュピター)で、彼は女神・ニンフ・女性などと二十以上の交わりがあり、多くの子供が生まれるが、これは好色と言うより、古代ギリシアの各名家が、先祖はゼウスに遡るという系図作りをしたためによる。
神話に描かれた女性
文字で書き記されたものは殆ど男性によって書かれたものなので、当時の女性達の生活の本当の実態はよく判らない。詩人ホメロスの描いた女神は男神と同じ力を持ち、重要さも同等だった。しかし現実はそうでなかったにせよ、詩人達は強い意志を持った精力的な女性を描こうとしたのかも知れない。
パンドラ ホメロスの直ぐ後に出た同じく詩人のヘシオドスは、女性をパンドラと呼ばれる最初の女から生じた呪われたものと見なした。すなわち、天の火を盗んで人間に与えたプロメテウスに怒った最高神のゼウスがプロメテウスを罰するために冶金・工芸の神ヘーパイストスの鍛冶場で、知恵・芸術の女神アテナによって拵えられた後地上に遣わされたのがパンドラである。このようにして、パンドラは母の胎内から生まれたのではなく、彼女の両親ヘーパイストスとアテナもまた性的結合によって子を宿したのではなかった。従ってパンドラが女性というのは自然の摂理ではない。因みに、パンドラは「全ての物を与えられた者」を意味する。
デメーテルとペルセポネ デメーテルはゼウスの女きょうだいで作物・豊饒を司る女神だが、彼がこの女きょうだいと交わって出来たのが娘のペルセポネである。デメーテルはこの愛娘に虫が付かないよう、神々の宮居の在るオリンポスから遠く離れた地中海西部のシチリア島のニンフたちに預けておいた。
ところがゼウスの兄弟である地下の冥府に住む死の神プルートーン(プルートーとも)はペルセポネを妃に欲しがった。
ある日ペルセポネは島の娘たちと連れ立って春の野に花を摘みに出た。そこには花が咲き乱れていたが、彼女は水仙の花のあまりの美しさに心を奪われ、思わず手を差し伸べて摘もうとした途端、大地が裂け、地下から現れたプルートーンが彼女を拉致していった。母に助けを求める彼女の悲鳴はこだまとなって遠くにまで伝播し、母デメーテルの耳に達した。
このプルートーンによるペルセポネの拉致は、ゼウス黙認の許に行われた行為であることを知ったデメーテルは怒り心頭に発し、オリンポス山の宮居への参上を拒否し、あまつさえ、彼女の専掌任務である作物豊饒の「公務」を罷業した。果たせるかな、大地に蒔かれた種は芽を出さなくなり、世界に飢饉がやって来ることになった。
これには万事「善きに計らえ」のゼウスも閉口し、今は冥神プルートーンの妃になっているペルセポネをデメーテルの許に帰すようプルートーンを説得した。しかしプルートーンは孤立しても強かで、「帰国」出来ることになって有頂天になっているペルセポネに、石榴の実を食べて帰るように勧めた。
かつては可憐な乙女だった娘が冥王の妃となっていたのを非常手段を用いて取り戻したが、用心深いデメーテルは手放しで喜んでいいのかどうか、ペルセポネに訊ねた。
「黄泉の国の食べ物を何か口にしなかったでしょうね。」
「冥王に勧められて石榴の実を食べてしまいました。」
万事休すだった。冥界の物を食べれば冥界へ戻って行かなければならなかったのだ。
女は、特に母親は強い。ゼウスに強談判をした結果、一年の⅔は母や天地の神々と暮し、残り⅓は冥界で過ごすという裁定が下り、デメーテルもこれを呑んだ。しかし、一年の⅓はペルセポネが居なくなるので、デメーテルは塞ぎ込んでしまってその間豊饒の「公務」も疎かになる。その期間が冬だ。
トロイア戦役 トロイア(トロイとも)は小アジアと呼ばれる今のトルコ北西端の海岸近くにあった古代都市で、古くから貿易などで栄えていた。このトロイアとアテネを盟主とするギリシア都市国家連合軍との間で戦われたのがこのトロイア戦争で、人口増に悩んだゼウスが大戦争を起こすことによって人口減を図ったのと、女(神)の怨念の絡む因縁話である。
ゼウスの思し召しで、諸神列席の許に大きな婚礼が執り行われたが、何故か、あるいは当然か「争い・不和」の女神エリスは招待されなかった。これを怒ったエリスは饗宴の場に闖入して黄金のリンゴを投げ込み、一番美しい女神に与えるという捨て台詞を残して去っていった。
我こそ該当者というのがゼウス妃へーラー、最高女神アテナ、美と愛を司るアフロディテ(ローマ神話のヴィーナスに相当)の三女神だった。しかし例によってゼウスは選定の責を回避し、代わりにトロイアの王子で美少年のパリスを審査役に選んだ。
三女神はトロイアに赴き、山に篭ってそれぞれ美貌を磨き、それからパリスの前に立って、顔やプロポーションを誇示するだけでなく口頭試問を受け、もし「ミス・ユニバース」に選ばれた暁は、次のような公約を果たすと答えた。
へーラーはパリスに世界の支配権を与えると約束した。アテナは全ての戦において勝利を保証すると言った。アフロディテは絶世の美女を与えるというのが見返りの利益提供だった。
純真なパリス王子は権力・名誉・富・勝利を与えてくれるよりも、美女を与えてくれるアフロディテを最美女神に選んだ。
アフロディテは約束を守り、パリスをスパルタへ連れて行き、メネラオス王の妃ヘレネーに引き合わせた。彼女はゼウスの落胤で、娘の頃からその美貌ゆえにギリシア中の王侯貴族たちが求婚にヘレネーの許を訪れたが、最後は彼女がメネラオスを夫として選んだのだった。
アフロディテはヘレネーの気持ちがパリスに傾くように仕向け、夫メネラオスがクレタ島へ出張中にアフロディテとパリスはヘレネーを略奪してトロイアへ連れ帰った。これにはトロイアの王女カッサンドラーが、国を滅ぼす凶事を引き起こすと予言して反対したが聞き入れられなかった。
虹の女神アイリスから急報を受けたメネラオスは、クレタ島から急きょ帰国して事実を知り、怒り心頭でギリシア諸国に報復を訴え、ギリシア連合軍が編成された。
遠征軍には名だたる名将が多く参加したが、その中にイタケ島の領主オデッセウスがおり、若き美貌の妻と、生まれたばかりの男児を置いての出征だった。彼は名将の中でも知勇に抜きん出た武将で、ホメロスの長編叙事詩『オデッセイア』は彼の名前に因むので、彼にはユリシーズという英語名があるが、しばらくオデッセウスで話を進めることにする。
十万の大軍から成るギリシア連合軍を迎え撃ったトロイア軍勢は、周辺諸国の加勢もあって守りが堅く、九年間決着がつかなかった。そして遠征軍に厭戦気分が漂った。
十年目になって、戦争決着の決め手となった有名な木馬が登場する。オリジナルのアイデアを考え出したのはアテナ女神とされるが、オデッセウスの案ともいう。ともかく、雲を衝く超巨大木馬を建造してトロイアの城門前に置き、ギリシアへの帰還の感謝を込めて城内に祭るアテナ女神に奉納するという添え書きを付け、連合軍は陣地を撤収して海上へ退却した。
トロイア軍は守り勝ちを喜び、戦勝記念に木馬を曳き入れようとする考えと、これには訳が有りそうだ、城内に入れるのは剣呑という考えに二分された。未来予知能力を持つカッサンドラー王女は、木馬の中にギリシアの兵士たちが潜んでいるとまで予言したが、彼女の言う事は必ず的中するが何時も聞き入れられたことがなく、木馬は城内に曳行された。
その夜、城内はプロ野球の優勝記念祝賀会みたいなもので、一同酔い潰れてしまった後、ヘレネーの手引きとも言うが、木馬の中からギリシアの兵士が飛び出し、城門を中から開いて、秘かに城外に待機していた友軍を引き入れ、遂にトロイアは陥落した。そしてメネラオスは元妻のヘレネーを取り戻した。
絶世の美女なるが故に十年にわたる大戦争の原因となったヘレネーは、悪女・妖女ではなかったにせよ、歴史に残る女となった。彼女の名を取った人としては、米国のドイツ系ソプラノ歌手ヘレン・トロウベル、同じく米国人で三重苦の聖女と謳われたヘレン・ケラーがある。
さしものトロイア戦争も終わりを告げたが、ギリシア神話としては続編があり、トロイア戦争の立役者の一人だったオデッセウスが主人公となる。
ユリシーズの放浪、或いは貴種流離譚 詩人ホメロスがオデッセウスの放浪を描いた長編叙事詩『オデッセイア』の英語名「オデッセイ」は、固有名詞から、宇宙船が地球へ帰還出来ずに宇宙を彷徨うSFの世界でも用いられるなど、遠隔地での長期にわたる放浪を表す一般名詞となっている。
オデッセウスは現在、英語名のユリシーズの方が通りが良いので、この項では英語名を用いることにする。二十世紀の代表的英文学作品の一つであるジョイスの『ユリシーズ』でもその名を知られ、また、米国の南北戦争において北軍最高司令官としてリンカン政府軍を勝利に導き、第十八代大統領を務めたユリシーズ・グラント将軍もオデッセウスの名に肖っている。
オリンポスの神々はギリシア連合軍の圧勝を好まなかったため、ギリシアの軍将たちは自軍を率いて帰国の途についたが、或る者は船が嵐で難破したり、或る者は神の意思で横死したり、或る者は漸く帰国したものの、不貞の妻とその男によって暗殺されるなど、平安の帰還とはならなかった。
イオニア海に浮かぶ古代ギリシア西端の島イタケの領主ユリシーズ(今まではオデッセウス)は美貌の妻ペネロペと、生まれて間もない男児テレマコスを残してトロイアで十年間戦い、帰国の途に就いたが、幾多の海難・女難に遭った。
すなわち、流れ着いた島の魔女キルケは人間を獣に変える術を使い、それらの獣に取り囲まれて暮していた。ユリシーズの部下たちもブタに変えられてしまったが、薬草のお陰で部下を元に姿に戻すことが出来た。
キルケの許を去ったユリシーズの船は、上半身は人間、下半身は鳥のセイレンという怪物の棲む島に差し掛かるが、彼女の歌声には魔力が有り、その歌声を聞くと男達は骨抜きにされてしまう。ユリシーズはキルケから聞いていた助言に従って部下の船乗りたちには耳栓をさせ、自分は帆柱に体を縛りつけて難を逃れた。このセイレンが、今日、音響拡声器サイレンの語源となっている。
一方イタケの島ではユリシーズは死亡したと思われ、ペネロペの再婚を求める近辺の男達が夜毎に押し掛け、勝手に酒宴を開いては領主家の財を食い物にしていた。
オリンポスの神々にもその間の事情は聞こえており、ユリシーズの帰郷を助けたかったが、ユリシーズが帰航の途次、隻眼の巨人と戦ってその目を潰したのを巨人の父である海神ポセイドンが遺恨に思い、神々の「常任理事会」で唯一「拒否権」を行使し続けたため、ユリシーズはまたもや嵐に見舞われて部下たちとも離れ離れになり、女神カリプソの棲む島に流れ着いた。そしてカリプソに魅入られ、七年の年月が経ってしまった。カリプソはさらに長く滞在したら不老不死の身にしてあげると引き止めたが、彼は遂に帰国を決心した。オリンポスの神々も漸く彼の帰国を助ける決定をし、ユリシーズはカリプソの島を船出した。
場面は移ってイタケの島では、男達が相変わらず領主邸へ押し掛けて飲み食いのし放題でペネロペに対する言い寄りはいっそう激しさを増してきたので、彼女はユリシーズの父が死んだときの経帷子を織り終えたら再婚を考えると回答し、昼間は機を織り、夜にそれを解いて時間稼ぎをしたが、その計略もばれ、もう男達の要求を押し留めることが出来なくなっていた。
ユリシーズが出征するとき赤ん坊だった息子のテレマコスも今は青年となって母親を護ろうとするが、一人では力の限りがあり、父の生死を確かめる旅に出て、父の友人に変装したアテナ女神から父ユリシーズが生きて戻ってくることを知らされる。
こうして二十年ぶりに故郷の土を踏んだユリシーズことオデッセウスは、妻と息子を苦しめた不逞の輩たちを成敗する。
長編叙事詩『オデッセイア』は貴種流離譚の典型だが、似たものとして我が国の古典芸能の一つである幸若舞などに「百合若大臣」というのがある。
長谷(はせ)観音の申し子として生まれた百合若大臣は、蒙古軍(西日本に広く伝わる説話なので、戦った相手は夷狄・鬼などのバージョンがある)との戦いに出征して大勝し、帰途に就くが家臣の裏切りにより玄界灘の孤島に置き去りにされ、妻も領地も取られるが、置き形見である愛鷹が探索飛翔して主君を発見する。この鷹の働きで妻とも連絡がつき、百合若大臣はたまたまやって来た釣り船に乗って帰国し、妻や領地を取り戻す。
シェイクスピア全集の翻訳を完成し英文学者でもあった坪内逍遥は、「百合若大臣」はユリシーズに由来するという説を唱えた。