ユタでの出来事(1)
ニューヨークやロサンゼルスのような大都会では毎日のように殺人事件などの凶悪犯罪が起こり、米国民は大して驚かなくなっているが、平和な地方で凶悪事件が起こると全米の耳目を集めることになる。
ユタ州はモルモン教の本山がある州でその教会員が多く、人口と面積の割には凶悪犯罪の最も少ない州といわれているので、何か事件が起こるとモルモンの州とあって、大きな関心を呼ぶことになる。
2004年7月28日の朝、州都ソルトレイクシティに住むマーク・ハッキング(28)は妻のローリィ・ケイ・ハッキング(27)がジョッギングに出たまま戻ってこないと警察に通報した。
それから連日、警察はもとより、延べ4000人を超えるボランティアがローリィの行方を捜したが見付からなかった。そして二組の両親は7月31日になって、ローリィの生存を諦め、ボランティアによる捜査の辞退を申し出た。夫のマークは埋め立て地に埋められているのではないかと言ったので掘り返しが行われたが何も見付からなかった。
この事件が全米の関心を呼んだのはマークが一連の虚偽と、妻の失踪に関し重要参考人として拘束されたからである。しかし刑事犯罪の容疑者として逮捕されたのではなく、病院の精神科病棟に収容されている。マークは妻が失踪した朝、妻を捜して37キロもあるジョッギングのルートを走ったと警察に語ったが、警察は彼が新しいクィーンサイズのマットレスを買うために家具屋にいたと見ている。そして、ローリィがジョギングをしていたかどうかも確認していない。
二人は、マークがノースカロライナ大学の医学部に入るため、近くノースカロライナ州チャペルヒルに移るつもりだと、身内の者に語っていた。しかし大学当局は彼が願書を提出した記録はないと語っている。そしてマークはローリィにユタ大を卒業したと言っていたが、警察の調べでは卒業していないらしい。
ユタでの出来事(2)
警察の捜査により、その後次の事実が判明した。
ローリィは7月16日にはマークの医大進学の嘘を知った。寝室に血の付いたナイフが発見された。二人の寝台や彼女の車の中にも血痕が見付かった。血の付いたマットレスが教会の近くのダンプスター(大型ゴミ容器)の中から発見されたが、そのサイズは二人のベッドサイズと一致した。その結果警察はローリィは19日の朝ジョギングに出ていないと結論した。
7月24日、マークがスコット、ランスの二兄弟に、
「ローリィは死んだ。俺が殺ったんだ。」
と告白した。
8月2日、ユタ大病院精神科病棟を出たマークはローリィ殺人容疑で逮捕された。
8月9日、マークは自己の供述に基づき、就寝中のローリィを22口径のライフルで射殺し、彼女の遺体をバラバラにして彼の仕事先近くのダンプスターに捨てたとして起訴された。
しかし決め手となるローリィの遺体は発見されず、警察はゴミの埋め立て地の掘り返しを行い、1日最大300トンの廃棄物の掘り返しが行われ、総量約4600トンの廃棄物を掘り返した33日目の10月1日、ついに女性の遺体が発見され、鑑定の結果ローリィと確認された。捜査に要した費用は少なく見積もって31万ドルを超えるとされている。
10月9日、ローリィの遺体が墓に埋葬された。
2005.4.18日から、一週間の予定で公判が開かれる予定。「ローリィ殺人事件」は、2004年の州の十大ニュースに選ばれた。
故ケネディ元大統領の妹、ローズマリーさん死去
故ケネディ元米大統領の1歳違いの妹、ローズマリー・ケネディさんが2005.1.7日、米ウィスコンシン州ジェファーソンの施設で死去した。86歳。死因は明らかにされていない。
1918年9月13日、ボストン生まれ。知的障害があったとされるが、23歳の時に白質切除(ロボトミー)を施され、生涯の大半をウィスコンシン州の施設で過ごした。ローズマリーさんの存在が公になったのは、故ケネディ大統領が就任直後の60年だった。
白質切除を施される前に書かれたローズマリーさんの日記には、舞踏会や洋服のこと、欧州への旅行、ホワイトハウスにルーズベルト大統領を訪ねたことなどが書かれている。95年に出版された36〜38年にかけての日記では、コンサートやオペラの感想などが普通に書かれていた。しかし、英国大使まで務めた父ジョゼフは、彼女の成長とともに知的障害の事実が世間に漏れると、ケネディ家の名声に傷がつくと考えるようになった。一家の医師団も、白質切除を施すべきだと助言した。
当時、精神外科はまだ始まったばかり。白質切除はまだ数百例しか行われておらず、当時においても重い精神障害を持つ患者に施すものと考えられていた。ケネディ家の女性に焦点を当てた著作の中で、伝記作家のローレンス・リーマーさんは「知的障害者が前頭葉白質切除を受けたのは、おそらく米国では彼女が初めてだろう」と書いている。
今回ケネディ家は「ローズマリーは、一族の誰にとっても終生の宝だった。彼女の知的障害は、我々が他の障害を抱えるすべての人を助けるための絶えざる泉であり、源だった」とする声明を発表した。エドワード・ケネディ上院議員や妹たちがローズマリーさんの最期を看取ったという。
Vol. 4, No.34(total)
名門プリンストン大学の「改革」
プリンストン大学といえば、イェール、ハーバードなどアイビー・リーグ加盟北東部有名8大学の一つで、アインシュタイン博士が此処の高等研究所にいたことでも知られる名門校であるが、学生に与える「優」の点数が乱発されている現状を厳しくすることにした。実施されれば、厳しかった旧体制に戻る最初の有名校となる。
2004年秋から実施されたが、具体的には「優」に相当する「A」(詳しくはA+, A, A-)の割合を1980年代並の25%にする。5年間にわたって評価基準の改革と取り組んできたナンシー・マルキール教務部長は言う。
「我々は学生の成績をより適切に評価して、優れた成績と良い成績との区別を分からせたい。」
これを受けて、アイビー・リーグ加盟他大学の教授達も、高点数乱発問題に関し、全米的議論を呼び起こすことなるだろうと語っている。例えば米最古のハーバード大学でAの数を現在の50%から 20%に減らしたいと考えているハーベイ・マンスフィールド教授はこう言っている。
「これは確かに正しい方向への第一歩だ。」
高点数乱発は以前からも問題となっていたが、本格的取り組みはなされず、採られた方法もあまり効果がなかった。その結果プリンストンを含む各大学でAの数は増加の一途を辿り、'Gentleman C' (お情けの「可」)は消滅の運命にある。
嘗ては至高の学力のシンボルであったAも、今は最もポピュラーな成績になっている。プリンストンでは25年前には30%だったのが、1997-2002年には45%以上の学生がAを取った。その一方でCは15%から7%に減った。それで、学生の成績評価に関し教授の裁量権は残すが、学部全体で評価する傾向が強まって行くことになる。
学生側の反応はどうだろうか。プリンストンの学生自治会長マシュー・マーゴリンによれば、プリンストンで最優秀の成績を取るのは他大学でよりも難しくなり、就職や大学院進学に不利になるのではないかと次のように続ける。
「プリンストンは既に他の普通の大学より難しい。なのに今更何故厳しくする必要があるのか。」
点数乱発問題の専門家によると、この現象はベトナム戦争時代に遡るという。学生が落第して徴兵されるのに繋がる成績をつけるのを好まない教授達が始めたことだと言われている。
ボストン・ティーパーティ事件の茶箱、博物館に
コロンブスの米大陸到達後(今や「新大陸発見」とは言わない。先住民がちゃんと居たのだから)、多くの白人が欧州から北米大陸へ移民して来たが、初期は専ら英国からであり、東海岸に英国の植民地が出来ていった。植民地は全ての面において完全自給とまで行かず、本国からの輸入に頼ることが多かった。一方英国は植民地から一次産品を輸入したり、植民地に関税を課したりして本国の財政を潤そうとした。
具体的には、1765年に植民地に対し、本国同様印紙税法を制定した。その結果、経済的にも、生産力においても地力をつけ自治意識に目覚めてきた各植民地議会は本国に対して不満を抱くようになっていった。そこへ英国が更に、英国産紅茶に関税を掛けたことに不満を持ったボストン植民地住民が1773年、顔を黒く塗ったりして先住民の扮装をして夜陰に紛れボストン湾内に停泊していた英国船に乗り込み、茶の積み荷を海中に投棄した。これが有名な「ボストン・ティーパーティ事件」である。
これに対して本国が制裁措置を取ったため本国と植民地の関係は決定的に悪化し、13の全植民地が一丸となって本国と戦うことになり、ジョージ・ワシントン将軍を総司令官にして1775年から武力抗争が起こり、翌1776年には独立宣言をした。米国ではこの年を独立年としており(正式な国際的承認は1783年のパリ会議においてだが)、1976年には独立200年記念(バイセンテニアル)を祝った。
英国が植民地軍に勝てず、独立を承認せざるを得なかった原因は幾つかあって、米大陸が大西洋を挟んだ遠隔地であり援軍や軍事物資を送り込むのに不便であった、駐留軍の士気低下、軍資金難、それに対する植民地軍の地の利や「愛国心」などを落とすことは出来ないが、最大の原因は英国が同じく王政である仏蘭西との同盟を得られなかったことだ。それどころか仏蘭西のラファイエット侯爵のように現地へ馳せ参じ植民地軍を支援した貴族もあった。だから植民地軍の勝利は仏蘭西の「好意的中立」に負うところが大であったが、合衆国という、貴族階級が無く全員平民の共和国が出来たことが仏蘭西の知識層に大きな衝撃を与え、王制打倒の大革命の原因になったのは歴史の皮肉だ。
今米国のシンボルとなっている「自由の女神」像は、米国独立100年(センテニアル)を祝って仏蘭西国民の献金で作られて船で運び、ベッドロー島(今のリバティー島)で組み立てたものである。
言い伝えによると、 このアメリカ独立戦争の引き金となったボストン・ティーパーティ事件の翌朝、一人の少年がボストン湾の海岸に打ち寄せられていたtea chest(輸出用の木製大型茶箱)を持ち帰った。それから230年余り経ち、その子孫であるジョン・ロビンソンという男性がこのほどその茶箱をボストン・ティーパーティ博物館に売却した。この博物館は2001年に焼失し、目下再建中で2006年春に再開するという。
序でだが、Boston Tea Partyは我が国では一般に「ボストン茶会事件」と訳され教科書にもその訳が使われているが、「茶会」とは全く関係がない。流石に日本のアメリカ史研究者達の間でおかしいということになり、party には「政党」の意味があると言う専門家も現れれた。しかし、これも間違っている。partyは「騒動」のことなのである。だから正しくは「ボストン茶騒動」である。米騒動と同じ類だ。
米 高校生の性行動調査
米国には中西部というブロックがある。上の図で示したように、ノースダコタ、サウスダコタ、ミズーリ、カンザス、ネブラスカ、オハイオ、インディアナ、ミシガン、ミネソタ、アイオワ、イリノイ、そしてウィスコンシンの12州である。この中西部には特徴があって、この地域で話されている英語が米国の共通語ということになっている。そして米国で最も一般的な地域でもある。何故なら、東部、南部、西部はそれぞれ独自性が有りすぎるからだ。この中西部に無数と言えるほどの人口数万の小さな町があって、ここに住む人たちが平均的アメリカ人ということになる。
これが米国の高校生一般に通用するか、或いは一つの例に過ぎないのかは判らないが、オハイオ州立大学の研究グループが2005.1.24日、興味ある調査結果を発表した。
調査対象となったのは中西部の中規模高校で、無記名の調査を行った。その結果、性交経験は50%を少し超えており、全国平均と大体同じだった。
興味ある調査結果というのは、288名の性的連鎖があったということが判ったことだ。男女の割合は示されてないが、男子を中心にして考えると(女子を中心に考えても同じ)、男子A1が女子B1とセックスすると、B1は男子A2とセックスし、A2は女子B2とセックスする。このように二度と同じ相手とはセックスしない。すると最後の生徒は一人の相手としかセックスできないが、残り286人とは間接的にセックスで繋がっていることになる。
今度は女生徒を中心に考えると(男子を中心に考えても同じ)、前のボーイフレンドのガールフレンドのパートナーとはデートしない。つまり「血が濃い」と考えるのだ。これは正しく、インセスト(近親相姦)的考え方で、住民の動きや増減が少ない田舎などの地域社会で揉め事を起こさないために、昔から守られてきた生活の知恵と同じである。
これらの高校生は、プロスポーツの選手などのように沢山のセックス相手を持っている都会の大人達とは異なる性行動をしていることになる。
Vol. 4, No.37(total)
テリー・シャーボさん
病気の前と後
「尊厳死」の米女性死亡 植物状態15年、栄養断たれる
15年にわたって植物状態にあり、政治と司法を巻き込んだ尊厳死論争が注目を集めていたテリー・シャーボさん(41)が2005.3月31日、米フロリダ州のホスピスで死亡した。18日に栄養と水分の補給が停止され、衰弱死したとみられる。
テリーさんの尊厳死を望んだ夫マイケルさんは、延命を求める妻の両親らが最期をみとることを拒否。関係者によると、両親らはテリーさんが息を引き取る10分前まで病室で付き添っていたという。
両親を支援したキリスト教関係者は「これは殺人だ。二度と繰り返してはならない」と述べた。
テリーさんは90年、心臓発作のため植物状態に陥った。「妻は人工的な延命を望んでいなかった」として、命綱である栄養補給の停止を求める夫マイケルさんと、延命の継続を望む両親が7年にわたり、主にフロリダ州の法廷で争ってきた。
テリーさんの栄養補給管は18日、州裁判所の決定で抜かれた。連邦議会が制定した新法(21日成立)に基づく両親の申し立てを連邦裁判所がことごとく却下し、栄養補給の再開は認められなかった。
ブッシュ大統領は新法成立時に「疑問があるときは命を最優先すべきだ」と語っていた。大統領の実弟のフロリダ州のブッシュ知事は、州当局によるテリーさんの身柄保護を目ざしたものの、州裁判所に禁止された。
妊娠中絶を「殺人」とみなす宗教右派は、テリーさんの尊厳死にも反対し、ホスピスの前で集会を開いた。生命の尊厳をめぐる論争は全米のメディアが大きく報道していた。
一週間前に、両親はいったん法廷闘争の終結を宣言したが、30日には連邦控訴裁と連邦最高裁に救済を申し立て、いずれも却下されていた。
[ 続報 ] 「植物状態」解剖でも確認
AP通信によると、フロリダ州ビネラス郡の検死官事務所は2005.6.15日、尊厳死の是非を巡り全米の注目を集め3.31日に死亡したテリー・シャーボさん(41)の解剖結果を発表し、シャーボさんが植物状態にあり、何らかの虐待行為が加えられた形跡もなかったことを明らかにした。又シャーボさんの脳が通常の半分ほどの重さしかなく、治療を加えても脳の損傷が元に戻ることはなかったとして、治療の可能性があるとの両親の主張を事実上否定した。
米 脳死の女性妊娠中
バージニア州アーリントンに住むスーザン・トレス(26)は2005.2月に二人目の子を妊娠した。その頃から彼女は身体の不調を訴え始めたが、診断が付かなかった。すると5.7日突然脱水症状を起こし、昏睡状態となり、呼吸も止まってしまった。彼女は直ぐに病院へ運ばれ精密検査の結果、後頭部に癌が出来ていて脳が圧迫されていると診断された。彼女は呼吸は取り戻したが、もはや脳の機能は回復しなくなった。
脳死の植物人間とはなったが、胎児は順調に成長し続けているので夫のジェイソンは言った。
「妻は未だ若いし、妊娠している。治療を続けて下さい。」
それで医師達は言った。
「遣ってみましょう。」
2005.6.15日、上記テリー・シャーボとの関連を取材されたジェイソンは答えた。
「あの事件との類似性はありません。何故なら両家の両親が生かす治療をすることを望んでいます。赤ん坊のことがなかったら現実を受け入れたでしょうが。」
http://www.susantorresfund.org/
シャーボさん埋葬
2005.6.20日、テリー・シャーボさんの夫マイケルは彼女の遺体を埋葬した。そして墓碑銘に「約束は守った」と記した。このことを事前に知らされていなかった彼女の実父母は激高した。そして彼は彼女がこの世を去った日として1990.2.25日と刻み込んだ。
Runawayという言葉は「逃げ出した」という意味だが、米国人にとってはrunaway slave(逃亡奴隷)と結びついて特別な響きがある。
アフリカから連れてこられた奴隷は金銭で売買され、逃亡することが許されなかった。だから主人の用事であっても一人で外出すると逃亡者と疑われるので、居住地域を離れることはめったに無かった。それでも主人の虐待に耐えかねたり、自由を求めて逃亡することはあった。奴隷が逃亡すると、地域の白人住民たちは捜索隊を結成し、捕まえると残酷なリンチが行われた。マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』に出てくるジムは逃亡奴隷で、人目につく昼間は森などに隠れていた。
そして南北戦争の前ごろから、宗教上、人道主義上、奴隷制度に反対し逃亡奴隷を奴隷制度の無い北部の州へ逃がす地下組織が誕生した。
今回起きた「事件」は一応黒人奴隷の逃亡とは何の関係もないが、 スメタナの『売られた花嫁』(The Bartered Bride)や映画『卒業』(The Graduate)が連想され、それにRun Away Brideという映画もあるらしいが、事の起こりから経過を辿ってみる。
ジョージア州ダルースに住む医療助手のジェニファー・ウィルバンクス(32)が結婚を4日後に控えた2005.4.26日、夜のジョッギングに出たまま戻らないと、婚約者ジョン・メイソンが警察に捜査願いを出した。
4.27日、地域住民250人が捜索に参加した。地元警察は結婚前の精神不安定の所為ではないかと発表したが、捜索は続いた。そして犯罪の可能性を示す物品が発見されるに及んで警察は楽観的見解を撤回した。
4.29日、ウィルバンクス家は懸賞金10万ドルを提供すると発表し、彼女の失踪は全米に知られることとなった。その後ジェニファーからニュー・メキシコ州アルバカーキーに居るという電話がジョンに掛かった。彼女は警察にも通報し、ヒスパニック系の男性と40歳代の白人女性に誘拐され、性的加害を受け、青いバンに乗せられて此処までやって来て解放されたと語った。
この電話は逆探知され、アルバカーキーの「セブン・イレブン」に備え付けてある公衆電話からだと判り、地元警察が彼女の身柄を保護した。
その後彼女は前言を翻し、誘拐されたのではなく、近づく結婚式と600人が出席する披露宴に不安が募り、長距離バスに乗って逃避行をしたと告白した。
5.11日、「逃亡花嫁」の関連商品、続々登場
結婚式直前に行方がわからなくなり、誘拐事件かと騒ぎにまでなった「逃亡花嫁」、ジェニファー・ウィルバンクスを題材にした商品が、人気を呼んでいる。同州ローレンスビルでは5.11日、ウェディングドレス姿で逃げようとする女性が描かれたハバネロ・ソースが登場し、好調に売れている。ハバネロ・ソース「ジェニファーが飛んで逃げ出すホットソース」を発売したデイビッド・ライアンさんは、「辛くてホットなソースを売るのがうちの商売。いま一番ホットな売れ筋がこのソースだ」と話している。
このソースのラベルには、ウェディングドレス姿の女性が頭のベールを抑えながら走っている絵が描かれており、裏面には「このソースを使うと、専門家の助けを激しく自主的に求めしまう恐れがあります」との注意書きがある。ライアンさんによると、このソースはすでに10ケースほど売れたという。
また、コネティカット州に本社を置くフィギュア専門店「Herobuilders.com」は、大きさ約30センチの「逃亡花嫁」フィギュアを発売した。ジョギング姿の女性フィギュアで、ウィルバンクスがアトランタへ戻る時に頭に被っていたタオルを手にしているもので、価格は24.95ドル(約2700円)。すでに250体が売れたという。
その後、ウィルバンクスは謝罪文を発表し、騒ぎを起こしたことを陳謝。招待客600人もの盛大な結婚式に怖じ気づいたり、フィアンセと別れたかったわけではないと釈明した。
5.25日、彼女は偽計罪で起訴された。有罪となれば最高禁固6年の刑も予想された。
5.31日、ウィルバンクス家は捜索に要した費用として、ダルース市に1万3000ドル以上を返済する事に同意した。
6.2日、グウィネット郡法廷に出廷したジェニファー・ウィルバンクスは、警察への虚偽罪で有罪判決が下され、執行猶予2年と120時間のボランティア活動の刑を言い渡された。また、ウィルバンクスは保安局に対して2,550ドル(26万円)の支払いも命じられ、引き続き精神面の治療も受けるように言い渡されていると、検察局が発表した。
6.28日、現時点でジェニファーとジョンは結婚していない。
梅隆の米国見聞録
( Umetaka's AMERICAN NOTES)
Vol. 4, No.39(total)
米国先住民族のルーツ
米国の先住民族のルーツについては約1万5000年前にアジア人が移り住んだと言われてきた。現に彼らの赤ん坊には「蒙古斑」がある。このほどがニュージャージー州ラトガース大の人口遺伝学者ジョディ・ヘイが「公立科学ライブラリー」オンライン版の2005.5.23日号に更に進んだ研究を発表した。この研究を元に多少の付け加えをすると次のようなことになる。
「移民」の第一派はアジアに住んでいた9000人ほどの一部族から抜け出したたった70人ほどの小集団だった。他のグループもあったと考えられるが、生き残らなかったようだ。
今回の研究は従来の手法とは異なり、分子生物学と人口遺伝学の成果を取り入れ、地理的パターンとその遺伝子的特徴の動態を追跡した。又研究者達は主要遺伝子の突然変異を調べて人口移動の時期も推定した。
ヘイ達はコンピュータ・シミュレーションを使って、現代のアジア人と米国先住民族の間に9個の異なる遺伝子を共有することを知った。ヘイの推定では遊動民は7000年から1万4000年ぐらいの間に北米に達した。だから従来説よりも後から来たことになる。氷河期にシベリアから地続きにアラスカを経て南下したのである。文字通り地続きだったか、「氷続き」だったか、浅い飛び石伝いだったか、何れかだっただろう。
ヘイは又、最初にやってきた遊動民達が喋っていたとされている三つの言語グループを一つに絞り込んだ。
米 前代未聞の連続殺人事件解決
カンザス州は竜巻の多発地域として、また「オズの魔法使い」の舞台として知られるぐらいの、他の中西部の州と同じく、日本からの観光ルートにも入っていない農牧地帯であるが、その人口32万のウィチタという町も知る人ぞ知る存在だった。然しこれからは米国で有名な地名となるだろう。元々、最初に白人が住み着いたとき、うなるような音を立てる強風が人々を精神不安定にし、「平原魔風」と言われた。
このウィチタに過去30年間、もう一つの魔風が吹き荒れた。それは連続殺人の魔風だった。その手口が類似しているので同一犯人と考えられ、共通の特徴であるBind (緊縛)、 Torture(苦痛)、 Kill(殺人)から犯人はBTKと呼ばれるようになった。
1974.1月、ジョゼフ・オテーロは3人の子供を学校へ送っていっている間に、BTKが家に闖入し、妻のジュリーを縛り上げて痛めつけ、殺してしまった。そしてジョゼフ二世(9)も殺し、戻ってきた父親のジョゼフも同じ運命を辿った。未だそれだけではなく、娘のジョウザフィン(11)が地下室で吊されていた。
ウィチタ警察当局はこれが悪夢の始まりになるとは思わず、一人の容疑者を逮捕して取り調べを行ったところ、容疑者は全面自白をした。ところがこのニュースが発表されると、地元紙「ウィチタ・イーグル」に、無名の男から電話が掛かってきた。そして町の図書館のある本を開いて見よと言った。果たせるかなその本に一通の手紙が挟んであって、今逮捕されている男は無罪だ、自分が真犯人だと書いてあった。そのほか彼の言うことが警察しか知らない調査結果と一致したので、この男が犯人とわかった。手紙はそれからも続き、いずれも綴りの間違いが多く教育程度の低い文体で書いてあったが、警察はそれを偽装工作と見なした。
それからも殺人事件は続き、1977.3月にシャーリィ・ヴィアンを虐殺し、彼女の子供三人を閉じ込めたときは、BTK自らが911(日本の110、119に相当)に通報した。
1980.4月、彼は8番目の犠牲者としてアンナ・ウィリアムズを狙い、彼女がダンスレッスンに外出している間に彼女の家に侵入し彼女の帰りを待ち構えていたが、彼女は娘の家に立ち寄ったため、待ちくたびれたBTKは帰ってしまい、彼女は難を逃れた。然し彼は余程残念だったとみえ、ぞっとするような猟奇的な「詩」を彼女に送った。
この事件を最後に一連の殺人事件は起こらなくなり、手紙も来なくなった。警察はBTKが死亡するか、刑務所に入っているか、他の土地へ引っ越ししたかと考え、捜査の規模を縮小した。
ところが2004年になって、「イーグル」紙に一通の手紙が送られてきた。中身は女性の運転免許証とうつ伏せに倒れている3枚のポラロイド写真だった。犠牲者はビッキ・ウェージャリーで、1986年に自宅で殺されたのだった。BTKが帰ってきたと、ウィチタの町はパニックが起こり、争って不法侵入防止装置を取り付けるようになった。これを受けて地元警察とFBIは合同捜査体制を組んだ。
彼は自分の経歴を、1939年生まれで、父親が早く死に、ずっと鉄道線路の近くで育ったと述べたが、何れも該当しなかった。然し空軍に勤務したのは後に事実と判明した。
このような自己顕示欲の強さが彼の弱点であり、逮捕へと繋がった。彼は何時も行く教会でコンピュータを使い、ディスクを挿入してプリントを拵えた。そのディスクと同じものがBTKからローカルテレビ局に送られ、ハイテク専門家によって教会とBTKに辿り着くことが出来た。BTKはコンピュータに入れたデータは消したが、特殊な方法でハードディスクから復元されたのだった。
BTKがデニス・レイダーという男だと特定できたとき、警察は万全を期すため、家族からDNAを採取して確認した。彼は犠牲者をレイプはしなかったが、遺体の前でマスターベーションをしたので精液が現場に残っていたのである。
決定的証拠が揃ったので逮捕する段階になったが、身辺捜査では意外な事実が判明した。大学卒である、教会へはきちんと通っている、ボーイスカウトの指導を行っている、安定した職業を持っている、結婚して二児を育てている、知人の評判も良い、など凡そ犯罪者のイメージから遠かった。
然し、更に調べると別の面もあった。彼は町の条例の推進者で、実際の仕事は浮浪者の世話をしたり、各戸が庭を綺麗にするよう指導したりする仕事で、住民の家や土地に近づく権限があった。更に1974-89年まで、ADT(盗難警報システム会社)で働いていて、民家に立ち入ったり出来る保安システムの専門家でもあった。
然し一番驚いているのは彼の家族で、近くに住む両親への面倒見も良く、母親は未だに信じられないと彼の弟は言う。
[続報] デニス・レイダー(60)は2005.8.19日、10人の殺人容疑で175年の懲役を宣告された。カンザス州は彼の犯行当時、死刑の規定がなかった。
米国の大学
(1)
1. 大学のランキング
今回は大学のランキングの話をしよう。まず念頭に浮かぶのは歴史の古い北東部8校からなるアイビーリーグ加盟校である。この8校間で各種スポーツのリーグ試合を行っている。東京六大学リーグはこれに倣ったと言っていいだろう。
アイビーリーグの名の由来はアイビー(蔦)のシンボルマークを共有するからで、スポーツで有名なだけでなく、長い歴史、高い研究・教育水準、定着した世評の折り紙がついている。
8校を創立年順に並べると次のようになる
1. ハーバード 1636年
2. イェール 1701
3. プリンストン 1746
4. ペンシルバニア 1751
5. コロムビア 1754
6. ブラウン 1764
7. ダートマス 1769
8. コーネル 1865
ハーバードがダントツに古くて、日本でいうなら島原の乱の前年であり、今から20年前に創立350年を祝った。コーネルを除く大学はいずれも独立前、植民地時代の創立で、殿のコーネルといえども南北戦争終戦の年の創立である。
日本人は米国をたかだか建国200年余りの新興国と見なしがちだが、学術・教育の実績に関していえば、比較にならないほど米国が優れている。
アイビーリーグ校の優越性はいわば定説であって、いろんなファクターを考慮してランクを付けると、順位は色々入れ替わる。
色々ある大学ランキングの中ではUS ニュース&ワールドレポート社が定期的に発表しているのが好く参考にされる。その選考基準は学術的評価、高水準、強力な教授陣などである。
これに対抗する形で、首都ワシントンに本拠を置く政治誌の「月刊ワシントン」が国家や地域への貢献度を重要視して200校をランクを付けたところ十位までは以下のようになった。右欄はワールドレポートのランクである。
1. MIT 7
2. UCLA 25
3. UC-Berkeley 20
4. Cornell 13
5. Stanford 5
6. Penn State 48
7. Texas A&M 60
8. UC-San Diego 32
9. Pennsylvania 4
10. Michigan 25
ワールドレポートで60位に過ぎないテキサス農工大が7位にランクされているのは、多数のROTC学生を擁しているからである。アメリカの大方の学生は親に教育費を出して貰わず、奨学金やアルバイトで何とか大学を出る。その奨学資金の一つに軍の奨学資金があり、在学中に一定の軍事教練を受けておき、卒業後一定期間将校として軍務に服するという制度がROTCである。平時であれば退役したら年金も貰えるし、経歴や経験が次の仕事に生かされるが、米国はここ30年、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争と立て続けに戦時なので、彼らの中から犠牲者が出ていることが憂慮される。
米国の大学
(2)
大学のランキング(続)
前回述べた、U.S.ニュース&ワールド・レポート紙の最新ベスト・カレッジのうち10位までは次の各大学で、ハーバードとプリンストンは3年連続首位である。
1. ハーバード、プリンストン
3. イェール
4. ペンシルバニア
5. デューク、スタンフォード
7. カリフォルニアIT、MIT
9. コロムビア、ダートマス
大学院留学生の増加
大学院協会の年次報告によると、ここ数年減少傾向が見られた大学院進学は今年1%増加した。しかし外国からの出願は5%減少した。中国・韓国・印度・中東からの留学生は最もビザの得にくい状態だが、中国と印度が最も多くの留学生を送り込んでいる。しかし増加比率から言うと、中東からの留学生は11%、韓国が5%、中国は3%増加した。
エックステンション・スクール(extension school)
「公開講座」と訳されているが、日本では大学が社会人を対象とした有料無料のカルチャー教室的意見合いが強い。一方米国では平日昼間の正規学部に準ずるものとして公開されている。対象としては社会人で中堅のサラリーマンや家庭の主婦を想定しており、授業時間も夜間や週末に設定されている。そして出願年齢を25歳以上に制限したり、大学中退組を受け入れたりしている学校が多い。それに通常の学部よりも授業料が安いのも魅力で、メリーランド大学を例に取ると、1997年には1400人だった学生数が、2004年には4200人と、急激に増加している。
あるメイン州出身の女子学生はハーバードとジョンズ・ホプキンズを受け後者には合格したが前者には不合格だった。しかしハーバードに拘ったのでエックステンションに入った。これでもチャンとハーバード卒になるのである。
米国の大学
(3)

ハーバードの校章。モットーは「真理」
米 ハーバード大学長が女性差別発言
2005.1.19日付のワシントン・ポスト紙によると、バーバード大学のローレンス・サマーズ学長(元財務長官)が14日にマサチューセッツ州で行われた講演の中で、「優秀な女性科学者が少ないのは、。男女間の生まれつきの差異による」という趣旨の発言をして問題になっている。
同紙に対して「わたしの言ったことが間違って解釈されている」と弁明し、数学や科学のテストで女子学生が男子学生に比べて最高得点を取ることが少ないと調査結果を指摘し、仮説を幾つか提示しただけだと説明した。
ハーバード、女性に重点をおく
学長のローレンス・サマーズが2005.1月に女性の科学の能力を問題視する発言をし、大学内外の大きな批判を受けたが、それを受けて彼は2005.2.3日、27名の教職員からなる女性に関する二つの特別委員会を設置することにした。内訳は女性22名男性5名である。一つは女性の能力に関する委員会、もう一つは女性と科学技術に関する委員会で、女性の就職、昇任などの支援を行う。後者の委員会の委員長にはハーバードの女子部であるラドクリフ女子大科学部長バーバラ・グロッズが、女性の能力に関する委員長には科学史・アジアアフリカ史のエブリン・ハモンドが任命された。
知られざるアインシュタイン
最初の妻ミレーヴァとアインシュタイン
アインシュタインほどの人となれば、国籍なんかどうでもよく、地球人と呼ぶのが相応しい大天才であるが、米国に帰化し生涯を終えたので、このコラムで扱っても好いだろう。2005年は彼の50回忌(日本では1年早くするが)に当たるので、知られざる面を取り上げてみる。
「タイム」誌は彼を20世紀で最も偉大な人に選んだが、有名な式であるE=mc2は人類の歴史を通じて最大と言っても好いほどの大発見らしい。
アルバート・アインシュタイン(1879-1955)は独逸に生まれ、二度結婚したが、他に女性関係も多い艶福家でもあった。ベルンに在ったスイス特許局に務めていた頃、最初の妻ミレーヴァ・マリクとの間にハンガリーで1902年に長女リーザールが生まれ、その後正式に結婚した。それから1904年に長男ハンス・アルバートが、1910年に二男エドアルドが生まれた。しかしこの結婚はうまく行かなかった。というのは彼女はセルビア人であり、アインシュタイン家と同じユダヤ人と結婚させたい彼の母親の気に入らなかったようだ。
ミレーヴァは三人の子を連れて1919年に彼と別れたが、彼はその前から幾多の女性遍歴を続け、離婚後間もなく従妹のエルザと結婚した。この年にかの有名な「相対性原理」が発表され、彼を一躍世界的に有名にした。
1933年に彼は54歳でアメリカに亡命したが、三人の子と殆ど接触がなかったらしい。長女リーザールと逢った形跡がないが、アインシュタイン研究家によると、結婚前に生まれたため、正式な子供とならず妻の実家で育てられ、1903年に猩紅熱で死んだという説もある。ミレーヴァは1948年に亡くなり、統合失調症の次男エドアルドは1965年にサナトリウムで死亡し、長男のハンス・アルバートは1973年に死亡した。これをもってアインシュタイン直系は絶えてしまった。
平凡な女性が偉業を成し遂げる
自由と民主主義の国といえば、まず米国が挙げられる。確かに建国前から貴族も特権階級も持たず、
「すべての人は平等に創られている。」
と独立宣言に謳った最初の国である。でもその「すべての人」の中に黒人は含まれていなかったのである。文字も読めず、ちゃんとした言葉の話せない彼らは白人と同等に扱われなかったのだ。
南北戦争後黒人奴隷は解放され、このような黒人差別は大方無くなった。しかし神の前には平等であるはずの教会においても黒人席が別に設けられたり、黒人だけの教会が存在した(今も白人が行かない教会はある)。そして黒人を入れない学校もあったし、黒人差別の厳しい南部では黒人席と白人席に別れているバスもあった。
有名な実話として、コリン・パウエル元国務長官は若いときにベトナム戦争に従軍した職業軍人だったが、復員し帰郷の途中ドライブインに入ろうとしたら、店の主が、
「お前ら黒人は前から入るな裏口に回れ。」
と言われたという。
頃は1955.12.1日、アラバマ州モンゴメリでのこと、一人の黒人中年主婦がバスの白人席に座っていた。
それを見た白人男性が言った。
「そこを退け。」
「私は退きません。」
「じゃあ警察を呼ぶぞ。そうすりゃおまえは逮捕される。」
「どうぞご自由に。」
彼女はローザ・パークス(当時42)という、デパートのお針子さんだったが、州の差別法違反で有罪宣告され、罰金10ドル(14ドルとも)の判決が下った。
これを知ったモンゴメリの黒人たちは当時26歳で、モンゴメリの教会の牧師だったマルチン・ルター・キング師をリーダーに抗議運動を起こし、バス通勤者4万人の殆どを占める黒人たちがバス利用のボイコット運動を始めた。黒人のタクシー運転手たちはバス代と同じ10セントで黒人たちを乗せたが、多くは歩いて通勤し、中には往復36キロ以上歩く者もいた。
この運動は身の危険が伴い、黒人たちの二つの教会にはダイナマイトが投げ込まれたし、キング牧師はその後1968年に暗殺された。
しかしこの運動は実を結び、遂に連邦最高裁は市営バスの差別を違法という判決を下し、判決命令がモンゴメリに届いた翌日の1956.12.21日にボイコットは漸く収まった。実に381日続いたのだった。
彼女を知る人によると、彼女は控え目の大人しい人だったという。そして2005.10.24日、 デトロイトの自宅で老衰のため亡くなった。92歳だった。
[ 続報 ]
「米公民権運動の母」と呼ばれ、10.24日に92歳でなくなった黒人運動かローザ・パークスの彫像をワシントンの連邦議会議事堂に設置することになり、ブッシュ大統領が12.1日、関連法案に署名した。同議事堂に黒人女性の彫像が設置されるのは初めて。
米 レイプ犯の冤罪
レイプ犯人として長年懲役に服してきた男性が無実と判明し、晴れて釈放されるケースが増えてきている。誤審の原因は色々だが、少数民族への偏見、目撃証言偏重、捜査の不十分などが考えられる。
これら無実の受刑者が釈放されるようになったのは、ボランティア団体がDNA鑑定を実施する運動を開始した功績による。そのお陰で2005.8月には二人の服役者が塀の外へ出ることが出来た。
第一のケースは、二児の父であったトマス・A.ドズウェル(46)の場合で、彼は1986年に48歳の女性をピッツバーグの病院でレイプしたとされ、被害者と目撃者が、警察が用意した8人の顔写真からドズウェルのを抜き出したことが決め手となった。
そして13-26年の刑(受刑態度が良ければ早く釈放される)を宣告された。しかし彼は無実を主張し続けたため、四度も仮釈放が認められなかった。
当時ピッツバーグ警察はレイプ(Rape)犯容疑者の顔写真の余白に「R」という文字を記入していたため目撃者たちは彼の写真を抜き出したのだと、ドズウェルは主張した。実は彼は以前交際していた女性からレイプされたと訴えられたが無罪となったいたのだ。
支援者たちのDNA鑑定請求に対して検察側は反対したが、裁判所が鑑定を認めたため、鑑定が実施された結果2005.8.1日、裁判所は無罪を認め、30分後に彼は19年ぶりに刑務所から出て来た。そして次のような感謝の言葉を述べ、恨み辛みは言わなかった。
「正義が勝った事に感謝している。裁判制度は完全なものではないが、機能している。」
第二のケースは、フロリダ州でレイプの罪で25年間服役していた男性が一部の事件で冤罪が証明されたため釈放されたケースである。
キューバ系米国人のルイス・ディアス(67)は1980年、同州コーラスゲーブルで起きた7件のレイプ事件について有罪となり終身刑を言い渡された。決め手となったのは被害者らが顔の特徴から彼が犯人だと証言したからだった。
しかし犯人が英語を話していたのに彼は殆ど英語を話せないなど不自然な点が多く、1993年には被害者の二人が証言を撤回した。その後、弁護側の申請でDNA鑑定が行われた結果、二件について無罪が証明され、2005.8.3日に釈放された。
ディアスの支援団体によると、DNA鑑定が導入された1989年以降、160件の免罪事件の内、約120件が誤った目撃証言に基づいた判決だったという。
ポカホンタス─米国史上最も有名な先住民族女性
ポカホンタスはディズニーのアニメドラマになったほどの米国歴史上最も有名な先住民族女性だが、今のバージニア州に住んでいたアルゴンキン族の族長パウハタンの何人かの妻のうちの一人の娘として1595年頃生まれた。パウハタン(我が国ではポーハタンとも表記する)という名前に聞き覚えのある人もいるだろうが、後のペリー提督の乗艦の名前といえば納得するだろう。族長のパウハタンは幾つかの部族を統率する大酋長だった。
ポカホンタスは本名ではなく、幼い頃から活発、陽気、悪戯好きの女児だったので、それを表す語であるポカホンタスが呼び名となった。
彼女が初めて白人を見たのは、1607年に英国人が上陸して後のジェイムズタウンを建設したときだった。12歳くらいの先住民族女児がやって来たので喜んだ植民地のボーイたちが側転をやって見せたら、たちまち彼女は側転で砦の中を巡ってみせ、名にし負う「ポカホンタス」であることを実証してみせた。
植民地で最も彼女の目を引いたのがリーダーのジョン・スミスだった。彼は偵察隊を指揮していて先住民に捕まり、パウハタン族長の前に連れて行かれた。そのときの様子は全くの創作ではないが、ジョン・スミスによってたっぷり潤色されてロマンチックに語り継がれた。
それによると、彼は大きな平たい石の上に寝かされ、数人の男たちが棍棒を振り上げ、命令一下振り下ろさんと身構えた。するとそのとき、ポカホンタスがスミスのところに駆け寄り、彼の上に覆い被さり、スミスの助命を父であるパウハタンに乞うたというのである。
これが一般に流布している「定説」だが、学者の言うことは違う。ジョン・スミスに対してアルゴンキン族が行った行為は、初対面の外来者と近づきになる儀式であり、ポカホンタスは巫女さんのような役割だったというのである。
兎に角、こんな事があってスミスとポカホンタスは親しくなっていった。そして彼女が鎹となって先住民と開拓者たちは友好的な関係が暫くは続いた。しかしその内に軋轢が生じ始め、彼女のジェイムズタウン訪問は以前ほど頻繁ではなくなった。更に悪いことには、スミスが火薬の暴発で重傷を負い、治療のため本国に帰ってしまった。そしてポカホンタスは彼が死んだと聞かされた。
その後彼女は白人と先住民の抗争に巻き込まれ、人質として植民地に拘束された。しかし手荒な扱いは受けなかった。そしてヘンリコという新しい植民地に移され、キリスト教徒の教育を受けた。ここで彼女はタバコ農園の成功者ジョン・ロルフと知り合い、彼女はロルフと結婚する気になった。彼は熱心なキリスト教徒だったので異教徒との結婚に悩んだが、パウハタンも同意したので、ポカホンタスが洗礼を受けてから結婚した。これでポカホンタスは自由の身になった。
ヘンリコ植民地のリーダー、サー・トマス・デイルは1616年にロンドンへ一時帰国したが、この時彼は十数名のアルゴンキン族を連れて行った。その中にポカホンタス夫婦とその男児も含まれていた。
ロンドンで彼女は白人の教育を受けた先住民族のプリンセスとして社交界で評判となり、時の国王ジェイムズ一世にも拝謁した。ロンドン滞在中のもう一つの大きな出来事は、彼女が父のように慕っていたジョン・スミスに8年ぶりに再会し、死んだとばかり思っていたので口もきけないほど驚いた。しかし二人はその後二度と会うことはなかった。
七ヶ月ロンドンに滞在した後、ロルフはバージニア植民地に戻ることに決め、1617年3月に英国を発った。しかしポカホンタスが生きて故国の土を踏むことが出来ないことが明白になった。肺炎か結核かで重篤になったので彼女は再び上陸させられ、臨終の床でこう言って夫を慰めた。
「皆死ぬのです。子供が生きていれば十分です。」
彼女はテムズ川に臨むグレイブスエンドの教会墓地に埋葬された。22歳だった。
サンフランシスコ大地震 (1)
1906.4.18日、大地震がサンフランシスコを襲った。今年は丁度被災100周年に当たるため、当地では大きな記念行事が行われている。起こったのは明け方の5時12分で、早朝という点では阪神大震災に似ている。共に寝耳に地震だった。
日本・スマトラ・インドネシア・トンガ・チリ・カリフォルニア・アラスカ等々我々は環太平洋火山帯で結ばれていて、環太平洋地震帯の上に乗っかった運命共同体である。日本は昔から地震国であることを自覚し、特に関東大震災を経験してからは不十分ながらも防災に備えてきた。しかし民意も政・官意も防災に消極的であったり、経済的余裕もない国にも自然災害は容赦なく襲いかかり、大災害をもたらすのが実状だ。
米国は独立後、次のような大災害を経験してきた。
1871年 シカゴ大火
1900 テキサス州ガルベストン大洪水
1904 メアリランド州ボルティモア大火
しかしこれらの災害とサンフランシスコ大震災との最大の違いは後者に関し多くの記録写真が残されていることであり、国内外の震災に関する強い訴求力を発揮し、以後の防災研究・行政に役立った。
サンフランシスコ大地震のデータは次のようである。
発生日時:1906.4.18日、午前5時12分
被災地域:カリフォルニア州サンフランシスコ湾岸地域
マグニチュード:7.7〜7.9(1923年の関東大震災は7.9、1995年の阪神大震災は7.2)
死者:3000人以上
負傷者:22万5000人
財物損壊被害額:4億ドル(1906年当時)
[以下次号]
サンフランシスコ大地震 (2)

一攫千金を夢見てやって来た「49年人」、小さな女児もいる
サンフランシスコの歴史は他のカリフォルニア州の町と同様で、ロッキー山脈という天下の険があるため、東から白人開拓者が到達せず、先住民の他は誰も居らず、何処の領土でもなかった。強いて白人といえば、ロシアの漁師たちが船で南下してきて今の北カリフォルニアに上陸し、飲料水・食料などを先住民と交易し、或いは越冬して帰って行くという時代が続いた。その後メキシコからスペイン人宣教師たちが北上し、先住民教化のためやぼちぼち住み始めた移民たちのために聖人たちの名前に因んだ教会を各地に建て、それが地名になっていった。サンディエゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコなど皆そうである。
このサンフランシスコで歴史的大事件が起こった。1848年に金鉱が発見されたのである。この大ニュースは電信も何も無い頃だったにも拘わらず、たちまちロッキー以東に伝わり、翌1849年に東部からつるはしを肩にした男たちが、雲霞の如く当地に押し寄せた。約10万人のこの人たちをForty-niners(49年人)という。
そしてサンフランシスコは金掘りたちの基地・集結地、それを当て込んだ歓楽業・金融業などで殷賑を極めたが、金鉱は1、2年で掘り尽くされ、大方の町はゴーストタウンになった。ところで、中国人は外国地名を漢字で表記するとき二通りの方法を用いる。一つは現地の音に漢字を宛てるので、サンフランシスコを「桑港」とする。もう一つは現地の音でなく語の意味を漢字で表すという方法である。ゴールドラッシュが去ってから移民してきた中国人たちは寂れたサンフランシスコを見て「舊金山」と名付けた。
この時点でサンフランシスコはゴーストタウンになるところだったが、太平洋の漁港・貿易港として生き残った。そして2回目の存亡の危機がこの大震災だったのである。今度こそゴーストタウンになると書いた新聞もあったが復興した。後発のロサンゼルスみたいに爆発的発展は遂げていないが、近くにアップルやヒューレットパッカード社などがあるシリコーンバレーを抱え、西海岸の歴史ある都市として着実に発展している。
1962年堀江謙一青年が、僅か5.8メートルのヨットで三ヶ月掛けて世界初の単独太平洋横断に成功してサンフランシスコ湾に入港したとき、地元ヨットマンたちが手厚く労い、サンフランシスコ市も密入国扱いにしなかった。その為帰国後日本の出入国管理局も密出国を不問に付した。このマーメード号は今も現地の海洋公園に大切に保存されている。そして桑港市は大阪市と姉妹都市であることも付け加えておこう。

米国最大の家族
長男(22)が不在
米国最大の移民一家
米国は日本の人口の2倍強だが、面積は24倍という国で、最近も人口は少しずつ増加している。その中身は出生が多いというよりは移民を多く受け入れているからだ。
建国以来、有り余る地下資源や農地を抱え、労働力不足に悩まされた結果、アフリカ人を拉致して奴隷化したという忌まわしい歴史的事実がある。
今は機械化が進んでいることもあり、一応労働力は足りているので、特技を持っている人は歓迎されるが、単純労動力の需要は減り、移民や入国は以前に比べ余程厳しくなった。しかし以前の名残として「現地出生主義」を残している。つまり米国内で生まれた子供は親が外国人旅行者であれ何であれ、自動的に米国籍が与えられる。
カリフォルニアは日本で一番好く知られた本土の州だが、さて其の州都は? と問われて答えられる人は多くないだろう。この州都サクラメント市にウクライナからのある移民一家が住んでいるが、2005.12.7日、男児が生まれて全米最大の家族となった。チェルネンコ夫婦の夫ウラジミールはウクライナの兵士だったが、8年前に米国へ移民し、地域住民経営の学校の警備・用務員として働いている。今度生まれた男児を入れて22歳を頭に男子が9人、女子が8人の17人の子供がいる。住居は7室(普通、食堂と居間は数えない)有り、巨大な食卓と15人乗りの「ミニ」バンがフル稼働している。
母親のジナイダは言う。
「確かに皆に食べさせて、育てて、学校へやるのは大変ですが、一番大切なものは愛と大きな心です。」
「私たち夫婦の目標は、どんな苦境にも負けない子供を育て上げることです。」
ディミトリー(18)は言う。
「友達が、きょうだいが一人か二人しかいなくて、帰っても何もすることがない、と嘆くけど、僕は学校から帰って退屈することがない。何かすることがある。」
リュドミラ(16)が言う。
「私たちは普通の家庭と同じように食卓に就き、先に食べ終わった者が小さな弟・妹を食べさせます。」
17人で子供は最後かと記者たちから尋ねられたジナイダは答える。
「其れは何とも言えません。私は子供全員と、素晴らしい夫と、友人たちに感謝しています。そして医師にも有難うを言いたいです。」
ウェスタン・ユニオン社 最後の電報を打ち終わる
大昔から世界中何処でも通信を届ける一番早い手段は早馬に依った。しかしあの広いアメリカ全土を通信網で結ぶのは大変なことだった。それで1861年に作られたのが有名な「ポニー・エクスプレス」という早馬便で、ミズーリ州セントジョゼフからカリフォルニア州州都サクラメント間3100キロを10日間で走った。ミズーリ川は橋がないのでフェリーで渡り、ロッキー山脈の山道を走るなど寒風酷暑の折りには危険な仕事だった。名前はポニーでもまさか子供用のポニーを走らせたのでなく野生に近い頑強なムスタングやモーガン種が使われた。最速記録としてはリンカン大統領の就任演説を届けたときの7日17時間だそうである。
しかし通信の本命は電信だった。日本では電信・電話事業は国営で、長らく逓信省の管掌が続き、20世紀後半に電信電話公社になっても公的色彩が強かった。ところが米国では鉄道も電信電話も全て民営で、電報はウェスタン・ユニオン社が1851年にニューヨーク州ロチェスターで創業し、有線を使ってモールス信号で送り、平文に書き換えて配達した。そして10年後には大陸横断電信線の架設を完了した。
これが、開通して2年も経たないポニー・エクスプレスを廃業に追い込んだ。何しろ届くのに10日掛かっていた通信が、その日の内に届いたのだから無理もなかった。実際には受信時刻により、又、平文に直したりして翌日配達ではあったが。
最盛期の1929年には2億通の電報が世界中へ発信された。しかし2005年には2万1000通を下回った。
ウェスタン・ユニオン社の主たる業務は1871年に開始した、銀行を介する送金業務だった。このため、W.ユニオン社は世界の200以上の国・地域に27万1000個所の拠点を置き、その内80%は国外にあった。
W.ユニオン社の主たる業務はこのように今も国内外の送金業務だが、一般の米国市民にとっては電話が普及するまで、冠婚葬祭の知らせや旅先から等の重要な通信手段だった。
電文は日本でもそうだが1語に付き幾らなので、出来るだけ短く書く電報文体が出来た。例えば電文原稿の最後に"stop"と書けば、それが終止符を意味した。
こんな事も有ったらしい。大リーグがニューヨーク以外の球場で行われたとき、ゲームの様子が刻々電報で送られてきて、ラジオ放送のアナウンサーはニューヨークのスタジオから、その電報を手に、「実況放送」を行ったという。
W.ユニオン社は今も送金業務を行っていて、クライアントは法人に限らず、親が遠くの学校に行っている子供に授業料を振り込んでやる場合などもある。W.ユニオン社の電報部門は電話とインターネットの普及に押されて、2006.1.27日最後の"stop"を打った。発信人はおそらく電報部門廃止を惜しむW.ユニオン社関係の人たちだっただろうと言われている。
「東京ローズ」のアイバ・戸栗・ダキノさんが死去
第二次大戦中、米国兵士に英語で日本の宣伝を語りかけるラジオのプロバガンダ放送のアナウンサー「東京ローズ」として勤めたとして戦後、反逆罪の罪に問われたアイバ・戸栗・ダキノさんが2006.9.26日、死去した。90歳だった。自然死とみられる。
米兵が「東京ローズ」と呼んだ人物は複数いたとみられているが、アイバさんは唯一の日系アメリカ人だったとされている。ただ、東京ローズを一人とする見方には異論もある。
戦後、反逆罪で6年の刑を受け、市民権もはく奪されたが、1977年に当時のフォード大統領の恩赦で釈放された。
日本人の移民を両親に1916年ロサンゼルス生まれの日系2世で、41年にUCLAを卒業し、将来女医になる予定だったが、41年、病気のおばを見舞いに日本を訪ねて来ているうちに戦争が勃発した。米国への帰国を望んだもののかなわず、43年から対米宣伝放送「ゼロ・アワー」のアナウンサーになった。
「太平洋のみなし児さん、あなたたちの船は全部沈んでしまった」
などと前線の米兵に語り掛けたとされる。「東京ローズ」は米兵が女性アナたちにつけたニックネームだった。
完璧な英語とその艶めかしい声が米将兵の評判になり、敗戦後東京に進駐した米兵が最初に発した言葉は、
「東京ローズは何処だ?」
だったという逸話がある。
敗戦直後、米当局は戦犯容疑でアイバさんを調べるが、証拠不十分で釈放。しかし、米世論の声を受ける形で司法省が捜査を新たに進めて反逆罪で逮捕され、1949年に禁固刑の判決を受けていた。
「食器棚の中の骸骨」 ノーマン・ロックウェルの絵
何とも奇妙な言葉だが、表題は "a skeleton in the cupboard" の直訳で、本当の意味は、「他人に知られたくない内輪の秘密」のことだ。ところが、内輪の人にも知られたくない秘密があったという話である。
ノーマン・ロックウェル(1894-1978)のような画家は日本には居ない。漫画家ではないが、画家とはいっても普通の画家でなく、ユーモラスな人物画像ばかり描いた。そして雑誌の表紙絵をよく書いた。いちいち題名を挙げたら切りがないが、ユーモアとペイソス、善意の描かれた名作は数知れない。
その中の一つに『サタデー・イブニング・ポスト』誌1957.9.25日号の表紙を飾った"Breaking Home Ties"がある。この語句だけからは「一家離散」と訳してしまいそうだが、絵を見るとそうではない。
息子が都会へ出て行くのを父親がおんぼろトラックに乗せて鉄道の駅まで送って来ている。息子は農業を継ぐのが厭なのか、都会で働いて親を楽にさせてやりたいのか、希望に胸を膨らませて楽天的に嬉しそうな顔をして列車が来るのを待っているが、父親は若くなく、農場を息子と一緒にやりたいが無理強いは出来ない。もう息子が帰ってこないことは分かっている。親一人、子一人の絆が今日切れるのである。犬もそれを察してか、息子の傍を離れない。
(以下次号)
この絵は現在マサチューセッツ州ストックブリッジにあるノーマン・ロックウェル美術館に所蔵されているが、館員たちは1957年の週刊誌の表紙絵と少し違うことに気付いていた。しかし、彼らは、補修係が絵の洗い出しをし過ぎたのだろうと思っていた。
この絵は元はと言えば1960年に漫画家のドン・トラチェットが直接ロックウェルから900ドルで購入したのだった。ところがそれから10年後にトラチェットは離婚することになって、この作品を手放すのが惜しくなり、密かに自分でコピーを描いて、本物はバーモント州アーリントンの自宅に秘密の収納庫を作って隠しておいた。
2005年に彼が亡くなり、それから1年経った2006.3月に、息子のディブが父の家の片付けをしていて壁板にすき間があるのに気付いた。すぐに兄のドン(父と同名)を呼び、二人してその壁板を押したり引いたりしたところ、欧米の様式には比較的珍しいが、障子や襖みたいに壁板が横にすべるように移動して秘密の収納庫が現れ、その中から件の絵を含む何点かの絵画が見付かった。
トラチェットの4人の子供が困ったことは、この絵をどうしようかということだった。既に美術館に「本物」として入っている絵があるからだ。美術館も子供たちも、思っても見なかったことが突然起こったわけで、息子の一人が言う。
「どんな離婚でもちょっとしたミステリーはあるものですよ。」
ドン・トラチェットの元妻で彼らの母親でもあるエリザベスは98歳で未だ存命しており、このニュースを聞いてこう言った。
「あら、そうお。別に驚かないわ。」
しかし、美術館長のローリ・ノートン・モファットは英語特有の表現を遣ってこう言った。
「この話を聞いて、アゴが床に届くほど驚きました。」
[ 続報 ]この絵は2006.11.29日、ニューヨークで開かれた競売で、1542万ドル(約17億8000万円)で落札された。
アーミッシュの災難
(1)
アメリカは人種のるつぼと言われているが、宗教も世界中の有りとあらゆる宗教が移民とともに入ってきているし、大多数が信仰しているキリスト教にしても多くの宗派がある。その中には米国独自の宗派もあり、モルモンとアーミッシュが特異な宗派として知られるが、モルモンが160年ほど前に米国で興ったのに対し、アーミッシュはスイスなどからの移民たちが伝えた。それで彼らは今も古いドイツ語の一種を話す。
アーミッシュはあまり自分たちのことを言わないので、我々が多くの事を言おうとすると不正確になってしまう。一番手っ取り早い方法は、ハリソン・フォード主演の『目撃者』を見ることだ。アーミッシュをよく調べて映画化しているのは勿論だが、映画としても佳く出来ている。
アーミッシュは地域限定型宗教と言ってよく、ペンシルバニア州の農村地帯などに住み、信者数は5万-10数万人と言われ、先祖の伝統を守っており、最大の特徴は厳格で質素な生活態度を守り、近代科学文明を排し、電気・自動車・電話などをを用いず、その代わり風車・馬車・近くの公衆電話などを用いる。教育は高等教育を行わず、子供たちには地域に根ざした独自の教育を行っている。
この平和なアーミッシュの集落で、2006.10月に全米を揺るがす恐るべき大事件が起こった。
(以下次号)
アーミッシュの悲劇
(2)
アーミッシュの一部屋学校
ランプにだるまストーブ、それにワシントンとリンカンの肖像が飾ってある。教科書は置いたまま、生徒たちは手ぶらで帰るのがアメリカでは普通だ。特に低学年では。夏休みの宿題なんかないし、親も喜ばない。
このアーミッシュたちは学校を持っていた。しかし学校とは言っても一棟のみの建物で、校舎として建てられたものではなかった。そしてそこで複式学級のような一部屋教育が行われていた。
2006.10.2日の朝、この学校に銃を持った男が押し入り、男子児童15人、妊婦・幼児を連れた母親など大人4人を教室から締め出して内側から封鎖し、女児ばかりを黒板の前に並べて縛り上げ、処刑スタイルで銃を発砲した。そのため、
ネイオミ・ローズ・エバーソール(7)
アンナ・メイ・ストルツファル(12)
マリアン・フィッシャー(13)
メアリ・リズ・ミラー(8)
リーナ・ミラー(7,メアリの妹)
の5人が射殺された。ほかに5人が病院に運ばれたが、重態だった。
アーミッシュは電話を使用しないので、警察や救急への通報が遅れた。犯行後犯人は自殺した。
(以下次号)

犯人のリチャード・ロバーツ
アミッシュ(3)
犯人のリチャード・ロバーツは遺言めいた書き置きを自宅に残していた。そして犯行現場の学校からも自殺の直前に妻と電話で話していた。それらによると、20年前に当時3歳と5歳だった親類の女児に性的危害を加え、そのことが白日夢になっていたこと、9年前に生後間もなく死んだ娘のことなども彼を悩ましていた。
しかし警察がかつて性的被害を受けたという親類の二人の女性から事情聴取をしたところ、そのような出来事はなかったと彼女たちは否定した。
また、警察はアミッシュの子供たちが性的被害を受けた証拠はないと語った。
その後の動きを四つばかり報告すると、
1.アミッシュたちは忌まわしい凶事の現場である「学校」の建物を取り壊し、別の場所に移転するという。
2.アミッシュはロバーツを許すと発表した。
3.ロバーツの妻はアミッシュの子供たちの葬式に参加することが許された。
4.年長の犠牲者は年少者をかばって自分が身代わりになったという。
アーミッシュの学校が再建
2006.10月に一人の男性がアーミッシュの小学校にちん入し、女児ばかりを銃撃し、五人が死亡し五人が入院した。事件の十日後2006.10.12日にこのウェストニッケル・アーミッシュスクールは取り壊された。
それから半年たって惨劇の現場から数百メートル離れた場所に名前も新しいこれも一部屋からなるニューホープ・アーミッシュスクールが誕生し2007.4.2日から開校した。建築費用の多くは教会員たちの献金だった。
入院した五人の内四人が復学したが、残り一人の女児は今もチューブで流動食を摂り、意思の疎通が出来ない。
非白人人口が初の1億人突破、3人に1人の計算
人口統計局は2007.5.17日、米国の非白人人口が1億人の大台を初めて突破したと発表した。総人口の約三分の一に相当する。ロイター通信が報じた。昨年7月までの1年間を対象にした統計で、非白人は約1億70万人で、前年同期の約9830万人から増えた。上昇率が最も高いのはヒスパニックの3.4%増で、約4430万人は少数派グループの中では最大。
アフリカ系は1.3%増の約4020万人。アジア系は3.2%増で、約1490万人だった。アフリカ系の居住者が最多なのはニューヨーク州の約350万人。フロリダ300万人、テキサス290万人などと続いた。
非白人人口が白人人口を上回ったのはコロンビア特別区に、カリフォルニア州などの4州だった。
米政府は現在、不法移民対策に取り組んでいるが、その数は推定で約1100万人ともされる。
名門大、一段と狭き門 テスト満点で不合格も
今年秋に始まる新年度に向けた米国の大学入学選考で、ハーバードやコロンビアなど名門私大の競争率が軒並み過去最高水準を記録した。ベビーブーマー(団塊世代)ジュニアが受験期を迎えたのが最大の要因で、テストが満点でも不合格になる生徒も続出している。
ハーバード大の倍率は11倍強と、米最古の私大として1636年に創設されて以来で最高を記録。エール大では、共通テスト(SAT)全3教科が満点だった複数の生徒が不合格になり、話題を呼んだ。
団塊ジュニア参入で、今年の高校卒業者数は約320万人と1970年代以来の規模に膨らみ、受験競争を激化させている。また、相次ぐ学費減免制度が好感され、中低所得家庭からの志願者が急増したとの分析もある。(2007.4.7)
成績改ざん、名門校へ
カリフォルニア州のディアブロバレー短大で、コンピュータに記録された成績が改ざんされ名門大学への編入進学に利用されていたことが発覚し、州司法当局は2007.7.26日までに実行犯や改ざんを依頼した学生ら計16人をコンピュータ詐欺容疑などで逮捕した。
地元紙によると、犯行グループは4000ドル(約50万円)程度の費用で成績改ざんを請け負っていたという。主犯格の学生らは、受け取った報酬でラスベガスで豪遊するなど派手な生活ぶりが噂となり、犯行発覚のきっかけとなった。
実行犯らは2000年から2006年にかけて、短大のコンピュータに不正にアクセスした上、成績簿を勝手に書き直した。これがカリフォルニア大学バークレー校などに依頼主が進学する際の成績証明に使われた。司法当局はすでに改ざんの主犯格の学生らを逮捕し、詳しい手口の解明を急いでいる。
これまでに少なくとも54人が事件に関与したと見られ、進学先となった大学当局は不正進学者の入学取り消しなどの処分を検討している。
学生の避妊費用が高騰
米国には軍人などを除けば国民皆保険制度が無く、国民は個人で保険会社の保険に加入している。しかし、この医療保険掛け金を支払う収入のない者は、これまで医療機関に掛ることができなかった。そして医療水準の高い病院ほど費用が高く、安い病院はレベルが低いと言われた。救急車で運ばれてきた患者に対して病院関係者が発した第一声は、
「どこが悪いのです?」
ではなく、
「保険に加入していますか?」
だったというジョークが有るが、実話だったという説も有るぐらいである。
それでは貧乏人が病気をしても医療機関に掛かれず、世界一の金持ち国がこれではあんまりだということになり、Medicaidと呼ばれる低所得者・身障者の医療扶助制度ができた。
大学生はこの制度の適用を受けることができ米国大学健康協会の推計では全国の大学生のうち約39%にあたる数百万人の女子学生が大学の診療所で格安の避妊用ピルの処方せんを出してもらってきた。製薬会社は売り上げが減るが、学生が社会人になれば学生時代に使い慣れた銘柄を引き続き服用してくれることを見込んでいる。
ところがこの制度が変わって2007年から薬代がこれまでの2〜3倍に高騰した。たとえばインディアナ大学では今までピルの処方せんは一ヶ月に10ドルだったのが、今では22ドル支払わねばならない。
このため多くの学生は公認のピルでなく、商標登録前のピルに変えたが、それでも従来の2倍を支払っている。
米国では学生は親の援助なしで大学へ行くのが普通なので、奨学金を貰ったり、ローンを組んだり、アルバイトをしたりして授業料・本代・食費・下宿代などを捻出しなければならず、本当に貧しい生活をしている。
米国の若者は男女とも、高校を出れば大人だと思っている。だから親に援助をしてもらうのは親に隷属している事を意味し、恥ずかしいことなのだ。従って大学へ行くのも、結婚するのも自分で決めて親に報告するだけである。
どうして親が援助しないのかと、日本人は思うだろうが、親は老後、子供の世話にならないので、子供を高校までは卒業させるが、その後は自分たちの老後に備えなければならないのである。
日本の学生の多くが親の援助で大学へ行き、海外旅行もし、結婚費用やマンション購入も助けてもらうが、必ずしも老親の面倒を見るとは限らないのを米国の学生やその親たちが知ったら、なんと思うだろう。
2015年には米国人の75%が太り過ぎに
米国で問題となっている肥満や太り過ぎの傾向について分析した研究者が2007.7.18日、このまま太り過ぎの増加が続けば、2015年には米成人の75%が太り過ぎの状態に陥ってしまうとの調査報告書を発表した。また、成人の41%が肥満になると警告している。
ジョンズ・ホプキンス大学の研究チームは、これまでに発表された米国政府の統計や、体重などに関する論文、20本を分析した。その結果、太り過ぎの傾向が現在と同等の割合で進めば、2015年までには成人の75%、未成年の24%が太り過ぎ、もしくは肥満に陥ると結論づけた。
研究チームが太り過ぎや肥満の基準に用いているのは、身長と体重から計算する指標の「体格指数(BMI)」。BMIが25以上を太りすぎ、30以上を肥満としており、ともに心疾患や糖尿病、がんの発症率が高くなるとされている。
分析結果によれば、2003─04年には米成人の66%が太り過ぎ、もしくは肥満の状態にある。特に、40歳以上の黒人女性の80%が太り過ぎで、50%が肥満だったという。また、政府の統計結果から、子供や思春期にある未成年のうち、16%が太り過ぎで、34%に太り過ぎの危険がある状態だった。いずれの調査群でも年々、体重が増加する傾向にあるという。
分析調査を行ったメイ・ベイドーン氏は、「米国人のさまざまなグループにおける、太り過ぎ傾向を示している結果となっている。肥満傾向は、このまま続く様相を示しており、なにも対策を講じなければ、米国における死因の上位に肥満が入ることになるだろう」と述べている。
「勝者のキス」の水兵確定か
第二次大戦の終結に沸くニューヨークで水兵と看護婦がキスする姿をとらえた米ライフ誌の有名な写真「勝者のキス」で、テキサス州ヒューストン警察のベテラン女性科学捜査官が、これまで誰か分からなかった水兵は、ヒューストン在住のグレン・マクドゥフィーさん(80)だったと結論づけたとAP通信が2007.8.3日報じた。
捜査官は「自分が写真の水兵だ」と長年主張してきたマクドゥフィーさんに水兵の格好させた上、枕を看護婦に見立てて同じポーズで撮影し、彼の耳や顔の骨、手首、指の関節などを1945年当時の写真と比較した結果、間違いないとの結論に至ったという。
しかし、すでに2005.8.11日に、水兵はシーワード・ジョンソンで、看護婦はエディス・シェインと判明して、タイムズスクエアの50年前の現場で再会した。
エディスは86歳になっていたがキスされたときは27歳で、この看護婦は彼女に間違いないと思われるが、彼女の言によれば、彼女はキッスしている間ずっと目を閉じていたし、その後二人は右左に分かれたので、水兵の顔を知らないという。他にも元水兵が我こそと名乗りを挙げている。
(左の写真は写真家集団「マグナム」のアルフレッド・アイゼンシュタットが撮影し、「ライフ」を飾った。右の写真は別の角度から海軍専属写真ジャーナリストのビクター・ジョルゲンセンが撮ったもので、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された。)
白人が半数以下のコミュニティー、全郡の1割に
米国には州が50有り、各州はいくつかの郡に分かれている。2005年夏にルイジアナ州ニューオーリンズを襲った大型ハリケーン「カトリーナ」以来、初めて行った調査による結果によると、全米に3141ある郡のうち、非ヒスパニック系白人の割合が半数を下回っているコミュニティーが、2006年に約1割の303郡に達していることが、米国勢調査局の統計で明らかになった。
非ヒスパニック系白人の割合が半分以下の郡は、1990年の183から2000年の262と、増加傾向にある。
人種的に大きな変化があったのは、ニューオーリンズのあるルイジアナ州オーリンズ・パリッシュ郡で、非ヒスパニック系白人の割合は2005年の27%から2006年には34%に上昇した。一方で、黒人の割合は68%から59%に減少した。
また、バージニア州プリンス・ウィリアムズ郡では、ヒスパニック系の人口が2000年から2倍以上に急増し、昨年は約7万人となった。一方で、非ヒスパニック系白人の人数は、2000年の約3分の2から半数程度となった。同郡の人口は2006年6月15日現在で、37万1178人。
国勢調査局によれば、米国におけるマイノリティの人口は2006年に初めて1億人を突破。2050年までには、約3分の1を占めると予測している。
2007.08.09
米 出産時の母体死亡率が増加傾向に
米国における出産時の母体死亡率が増加傾向にあることが、米国立健康統計センター(NCHS)が2007.8.21日に発表した統計結果で明らかになった。原因として、帝王切開の増加と、母体の肥満などが指摘されている。
NCHSは全米で2004年に亡くなった人々の死亡届けを元に、年齢別や人種別、男女別などの死因や寿命について、統計調査を行った。その結果、2004年に亡くなった出産後の妊婦は540人で、前年から45人増加し、死亡率は10万人あたり13.1人だった。
人種別に見ると、黒人女性の場合は10万人あたり34.7人と、白人女性の9.3人の約3.7倍に達している。ヒスパニック系では10万人あたり8.5人だった。これは、1977年に初めて、10万人に10人を超えてから、最も高い数字となっている。報告では、死亡時の取り扱いや、死亡報告方法の変更しており、これが死亡率の増加に関係している可能性があるとしている。
しかし、報告を見た専門家からは、帝王切開と肥満傾向にある母体の増加が原因だと指摘する声が挙がっている。
米国では近年、母体や病院の都合で出産計画がたてられる帝王切開の数が増加しており、AP通信によると、全出産のうち帝王切開の占める割合は29%に達している。この数字は、帝王切開が適切だと見なされる数字を大きく上回っているという。専門家は、帝王切開による血管閉塞や血栓、感染症などで、母体が危険にさらされる確率が高くなると指摘。
また、肥満傾向にある妊婦は糖尿病やその他の合併症を患っており、体が大きいために子宮内の赤ちゃんも大きく育ちやすく、出産時のリスクが高くなると見ている。また、肥満傾向にある妊婦が帝王切開を選ぶ傾向が高いため、より危険度が増すとしている。このほか、30代後半から40代にかけての高齢出産も、死亡率の増加に関係していると見られている。
米国民23%が「幽霊」と遭遇もしくは感知と、世論調査
AP通信は2007.10.30日までに、カトリックの祭りであるハロウィン(10月31日)を控え、「幽霊」に関する米国民の意識調査を実施、23%が遭遇もしくは感知したと回答したと伝えた。世論調査機関Ipsosが協力した。
遭遇の具体的な例として、インディアナ州で娘が姿の見えない少女と会話し、借家を離れた母親の経験を紹介。後で、この家では子供が殺害された過去があったことが分かったとしている。この「幽霊」が出没する前、夜にテレビや照明がついたという。
世論調査によると、19%が魔法の存在を受け止め、48%が超感覚的な知覚を信じていた。魔法の信奉者は都市部の居住者が多かった。超感覚的な体験では、高等教育を受けた白人の回答が目立った。
10人のうち3人が部屋内で「不思議な存在」を感じた経験を告白。既婚者より独身者の方が多かった。14%が未確認飛行物体(UFO)を目撃したと回答。男性、低所得者層の比率が多かったという。5人に1人が自らを少なくとも「迷信深い」と報告。都市部住民では26%、地方部では13%の比率だった。独身者の性別では、男性が31%、女性17%だった。具体的にははしごの下を歩かない、黒い猫、壊れた鏡、家内で傘を開く、金曜日の13日などを挙げた。
調査は今年2007.10.16─18日に、成人1013人を対象に電話で実施した。
奴隷使用を謝罪、北部初 ニュージャージー州
ニュージャージー州議会は2008.1.7日、過去に奴隷を使っていたことについて「深く後悔している」とする謝罪声明を発表した。南北戦争時代の北部の州で、この種の声明を出すのは初めて。
同州議会が3日、謝罪声明を賛成29、反対2の大差で決議した。声明では、「アフリカの人々が、基本的な価値を打ち壊され、残忍な扱いを受け、辱められ、非人間的な扱いを受けた」としている。
声明によると、同州には北部諸州で最大規模の約1万2000人の奴隷がいた。奴隷制を廃止したのは1846年で、最も遅かった。同様の謝罪声明は昨年、アラバマ、メリーランド、ノースカロライナ、バージニアの各州議会が出している。
米人口が3億315万人に
国勢調査局が2007.12.27日発表した推計によると、米国の人口は2008.1.1日に約3億315万人に達する見通しだ。
米 中絶1976年来最低 (1)
今回の中絶に関する報告は、ガットマッハ研究所が把握している全ての中絶施行機関に対して1970年代から定期的に行ってきた調査に基づいていて、米国内における中絶に関する最も権威のあるデータ源である。
この新しいデータは中絶を初めて認めた最高裁のロウ vs. ウェイド裁定35周年にあたる2007年に公表された。この裁定の結果、多くの州の中絶規制が無効となり、その後における手続きの波動の引き金となった。この裁定の賛成・反対両者はこの35周年を記念する多くのイベントを計画し、その中にはワシントンにおいて三日間にわたる数千人の中絶反対活動家の動員も含まれた。
中絶件数は2005年に年間120万件となり、1976年来最低となった。原因の一つは、妊娠中絶する女性の割合が、2000-2005年の間に9%減ったことによる。同時に、中絶を引き受ける医師・医療機関の減少が長く続いているが、これはフランス製の経口避妊薬RU-486が入手しやすくなったことにもよる。なぜなら、手術を行う代わりにこの薬を処方する医療機関もあるからである。
「性と生殖の健康展望」2008.3月号に生殖健康研究機関であるガットマッハー研究所のレイチェル K.ジョーンズは、中絶減少の原因は特定できないが、研究者たちはいろんな原因の複合だと言っている。そして、
「多くの女性が避妊薬を使用するようになり、望まない妊娠をしなくなった。規制が厳しくなって中絶手術が受けにくくなった。これらの原因の組み合わせだろう。」
原因がどうであれ、この傾向は中絶反対主義者、中絶擁護者の双方に歓迎されている。
米国家族計画連盟(Planned Parenthood Federation of America)のセシル・リチャードは言う。
「この研究報告は中絶阻止が働いていることを示していて、結局のところ、いろんなタイプのアメリカ人が思わざる妊娠を防ぐためにもっと何かをし、健康管理を手近で使用しやすい物にする必要があると信じている。」(続く)
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ヘレン・ケラーとサリバン先生の写真発見 約120年前撮影
「奇跡の人」で知られる8歳当時のヘレン・ケラーと家庭教師のアン・サリバン氏を撮影した約120年前の貴重な写真が発見され、米非営利団体ニューイングランド歴史系図協会によって2008.3.5日公開された。
写真は1888年7月、マサチューセッツ州ケープコッドで撮影された。椅子に座っているケラーが右手で人形を抱き、そばに寄り添っているサリバン氏がケラーの左手を握っている。
同協会は、ケラーとサリバン氏が一緒の写真の中で最も初期のものであり、人形を持っているケラーの唯一の写真だとしている。「人形(doll)」は、ケラーがサリバン氏と出会って初めてつづりを書いた単語。写真を所有していた同州ウォルサム在住の男性(87)の母親は、子どもの頃夏休みに度々ケープコッドを訪れた。写真が撮影された1888年7月には、家族とともにアラバマ州から来ていた4歳年上のケラーと遊んだという。写真は男性が昨年6月、同協会に寄贈した大量の写真や書簡の中から発見された。
米 ハーバード大の構内ジムに女性専用時間、賛否両論
名門ハーバード大学構内のジムに、2008.2月から女性専用時間が設けられた。イスラム教信者の女性学生から寄せられた要望を受けたもので、週3日間、計6時間を女性専用時間帯として、スタッフも女性に限定している。大学側のこの対応に、学生からは賛否両論の声が挙がっている。
女性専用時間帯は、2008.2.4日から設けられた。構内にいくつかあるジムのうち、キャンパス敷地の端の方にあり、利用者が少ない1カ所を対象にしている。月曜の午後3時から5時、火曜と木曜の午前8時から10時が対象時間。
イスラム教信者の女性学生6人が、ハーバード大学女性センターと協力し、大学側へ訴えた。大学側は、信仰ならびに文化的な側面から、女性専用時間の設置を承認。イスラム教徒とヒンズー教徒の利用を想定している。大学側は、利用者が構内でも最も少ないジムを選び、ジムが開いている週70時間のうち女性専用時間は6時間にすぎないとして、大きな影響はないと見ている。
また、女性センターのスーザン・マリーン所長も、「大学には、学生の健康を保つため、倫理的ならびに道徳的な責任がある」として、大学側の対応を評価している。
この対応に、学生のルーシー・カルドウェルさん(21)は、「全学生に使用が認められている施設なのに、半数(の男性)が利用できないのはおかしい」と反論。大学の学生紙ハーバード・クリムゾンに、大学側の対応を批判するコラムを執筆した。
また、このジムの近くに住む3年生のニック・ウェルズさんも、「ある宗教グループや女性たちのための考えに反対しているわけではない。しかし、大学は全学生に対して公平であるべきだと思う」と、不満顔を見せている。
一方、女性専用時間帯の設置を認める学生もいる。イスラム教徒だが、ほかのジムを利用し、特に大学側に女性時間帯の設置を求めてはいなかったオーラ・アルジャワリさんは、「多数派が譲歩するべきだと思う。親切心からの対応だろうし、我慢してほかの考えを尊重しないと」と話している。
また、月曜の朝にジムにやってきて、入れなかったイスラム教徒のカリーム・シューマンさんは、「僕の宗教と同じ女性の要望だし、理解できる」と気にしていない様子で、ジムには後で来ると述べた。
大学側は、学期末に女性専用時間帯の是非について、検討する予定。
アメリカ大陸の先住民、2万年前の「女性6人」が先祖
南北アメリカ大陸の先住民の約95%は、約2万年前の「女性6人」に先祖が集約されるとする研究結果を、米国やイタリア、ドイツなどの国際研究チームがオンライン科学誌「PLoS One」に発表した。
研究チームは、母親から受け継がれるミトコンドリアのDNAを追跡し、アメリカ大陸先住民の祖先が6人の女性であると結論づけた。
この6人は、1万8000年から2万1000年前の女性で、同時期に生存していたわけではないという。しかし、アジア大陸の女性とはDNAが異なり、今は海底に沈んでいるベーリング海峡付近で暮らしていたと考えられるという。この時代には、もっと多くの女性が生きていたはずだが、現在のアメリカ大陸で暮らす先住民に引き継がれたミトコンドリアDNAの由来は、この6人だったとしている。
アメリカ大陸へどのように人類が居住したかを研究している米フロリダ大学のコニー・マリガン氏は、先住民の祖先が6人に集約されることは、驚くことではないと話す。現在の先住民の人数を考えれば、6人は妥当な数だという。
しかし、この研究からは、この6人の女性が「どこで」暮らしていたかはわからず、また「どれぐらいの人数」がベーリング海峡付近を離れてアメリカ大陸へ移動したかがはっきりしないため、さらに詳しく研究する必要があると話している。2008.03.14 AP
全米の50大都市、高校の卒業率50%割れが17都市
全米の50大都市が管轄に置く公立高校で、卒業率が50%を割り込んでいる所轄が17都市に上ることが、米非営利団体が2008.4.1日に発表した調査結果で明らかになった。近郊部や地方よりも、都心部の方が卒業率は低い傾向も判明した。
若者の健全な育成に取り組む非営利団体「アメリカの約束─若者のための同盟」は、全米の大都市50が管轄下に置く公立高校の、2003─04年の卒業率を調査した。
その結果、50都市の平均は51.8%を半数をやや上回るにとどまった。全国的に見ると、予定通りに高校を卒業する生徒は約7割で、年間120万人が落第している。最も卒業率が低かったのは、ミシガン州デトロイトで24.9%。続いてインディアナ州インディアナポリスが30.5%、オハイオ州クリーブランドが34.1%、メリーランド州ボルティモアが34.6%と、40%を下回った。逆に、最も卒業率が高かったのはコロラド州メサの77.1%で、続いてカリフォルニア州サンノゼとテネシー州ナッシュビルの77.0%だった。
また、各都市の都心部と近郊・地方部の学校では、卒業率が大きく異なることも判明。例えばボルティモアでは、卒業率は近郊部の81.5%に対し、都心部では34.6%と、2倍以上の差が出ている。調査結果を発表した「アメリカの約束─若者のための同盟」は、コリン・パウエル氏が国務長官に就任する前に、理事長を務めた団体。現在は、パウエル氏の妻アルマ・パウエルさんが理事長。
コリン・パウエル前国務長官は、「年間で100万人以上の生徒が落ちこぼれている状況は、問題というよりも悲劇だ」と指摘。アルマ・パウエル理事長も、「すべての子供たちを見守らねばならない。家族や学校、地域が協力することが必要」と、問題改善を求めている。
一夫多妻教団から保護された女性、一部が施設に戻る
一夫多妻制を掲げる「末日聖徒イエス・キリスト原理主義教会」(FLDS)の施設から保護された女性の一部が2008.4.14日、自己意思で教団施設に戻った。
こうした女性の1人で2児の母のロンダ・ジェフスさんによると、5歳以上の子どもを持つ母親は子どものそばにいることを認められず、教団施設に戻るか、女性の避難施設に移動するかの選択を迫られた。テキサス州当局は教団施設から保護した子ども416人を、同州施設に収容している。教団施設に戻ることを選んだ女性の人数は不明だが、今月4日に施設で家宅捜索が実施された後、子どもとともに施設を離れた130人より少ないとみられている。ジェフスさんは、子どもに別れを告げることもままならなかったことに触れながら、「(教団施設に)帰りたかった。ほかに行く場所がどこにあるの」と問いかけた。5歳未満の子どもを持つ母親については、子どもと一緒にいることが認められている。同州の児童保護当局者は、弁護士や保健当局、児童福祉関係者との相談を経て、こうした措置を決定したと説明した。CNN取材班はこの日、教団施設での取材を認められた。ある女性信者は、根拠のない疑いで子どもと引き離されて「迫害された気持ち」だと語り、「子どもを返してほしい。この国はわたしたちについて誤った偏見を持っている」などと述べた。
こうしたなかテキサス州当局は同日午後、保護された子どもたちをバス19台に乗せて、これまでの収容先であるフォートコンチョの施設から、サンアンジェロ体育館に移動した。母親の一部はペリー同州知事に対し、子どもが混雑した収容施設で体調を崩していると不満を訴えた。子どもの養育権をめぐる裁判所の審理は、17日に行われる。
強制収容の日系「元学生」440人に名誉学位 米大学
ワシントン大学(ワシントン州シアトル)はこのほど、第2次大戦中の42年に強制収容され、学業を全うできなかった約440人の日系人学生に名誉学位を授与した。大学を離れて66年。式典に参加できた元学生65人は、ほとんどが80歳代後半になっていた。
「長い家路」と題された式典で、エマート学長はルーズベルト大統領(当時)の命令で米国内の日系人が強制収容所に送られた歴史を振り返り、「著しい不正義に打ち勝った方々を称賛したい」と賛辞を贈った。収容所生活を経験した日系のノーマン・ミネタ前運輸長官も出席した。
地元メディアによると当時、ワシントン大学に在学する日系人学生はカリフォルニア大バークリー校に次いで全米で2番目に多かったという。贈られたのは正式な学位ではないが、同大評議員会のベアラー会長は「名誉学位とは最も名誉ある形で受けた学位ということだ」と述べた。2008.5.26
銃による死者、半数以上が自殺と CDC調査
米国で2005年、銃による死者のうち55%と半数以上が自殺だったことが、米疾病対策センター(CDC)の調査で判明した。米連邦最高裁は2008.6月末に、首都ワシントンの拳銃所持規制法は合衆国憲法修正第2条に違反するとの判断を下したが、専門家は自宅に拳銃があることで、自殺や自宅内における殺人事件が増加する恐れがあると指摘している。
CDCによると、2005年に銃関連で死亡した約3万1000人のうち、自殺が55%を占めた。殺人は40%で、事故が3%。残る2%には、警官が正当な事由により発砲したケースや、理由がわからないものなどが含まれている。自殺が半数以上を占める傾向は、CDCによれば05年に限ったことではなく、過去25年間のうち、20年に見られるという。
また、自殺の成功率は、銃で90%を超えるが、飛び降りでは34%、薬物の過剰摂取が2%で、銃による方法が飛び抜けて高いと指摘。さらに銃がある世帯では、ない世帯に比べて自殺の発生率が3─5倍、高かった。このほか、銃所持が規制された地域では自殺率も殺人事件率も下がった調査報告もあることから、銃を自宅内に保管することにより、銃を使った自殺や住宅内における殺人事件が増加する恐れがあると懸念している。
一方、フロリダ州立大学犯罪・刑事司法学部の研究者、ゲイリー・クレック氏は、年間にして100万件以上、犯罪や暴行を防ぐために銃が使われていると推測、CDCなどの調査に疑問を呈している。
また、クレック氏は公共機関などの調査は電話によるものが多く、結果が過大評価されることが多いと述べている。ジョンズ・ホプキンス大学銃政策研究センターのジョン・バーニック氏は、連邦最高裁の判断には銃規制が撤廃された後の自殺率や犯罪率について継続的に調査する必要があると強調している、と指摘。銃規制がなくなった後、これらの数字がどう変化するのか、慎重に見守る重要性について言及している。
米 十代の多くは性に関する法律をしらない
十代同士でオーラルセックスをしたとしてジェナロー・ウィルソン少年を刑務所送りにした厳格なジョージア州法が緩和されてきている。しかしジョージアや他の多くの州では、年齢差が接近していても十代がセックスする事は未だに犯罪である。
法律専門家によると検査tっすが告発するのは希であるが、ウィルソンの事件が示す如く検察は告発できるし、事実している。そして性犯罪者リスト記載の増加は、一、二歳の年齢差で暴力を使用することなく交わったために捕まる十代の若者は、危険な性的加害者と同じ汚名を着る可能性があることを意味する。
ウィルソンの弁護士であるB.J.ベンソンは言う。
「犯罪に対して厳しく見せるために議員たちが十代のセックスを犯罪扱いするのは馬鹿げている。」
ウィルソンは17歳だった2003年の大晦日のパーティで15歳の少女をオーラルセックスをしたとして懲役10年の刑を受けたことは残酷で異常な刑罰だったとジョージア州最高裁が判決を下し、ウィルソンは2007.10.26日、釈放された。彼はほぼ三年間服役した。
ジョージア州法は今ではこのような事案は微罪と見なし、最高懲役一年に変更している。
結婚や性交承諾年齢は州によって14-18歳である。
法律家や保健教育者に依れば、大方の十代、それに多くの親たちまでもが十代のセックスは二人が合意であっても犯罪となりうることを知らない。州毎の法律と年齢の不統一が多くの混乱を引き起こし、評論家たちはもっと教育することが絶対に必要だと言っている。
「社会があの子たちを成人同様罰するのなら、社会は彼らを教育すべきだ。」
性教育と取り組み始めた教師たちもいる。テキサスの女性教師は自分の授業に警官を呼んできて性の法律を話して貰っている。
「生徒たちは熱心で質問も多いです。彼らの殆どは実際に逮捕されることもあると知ってびっくりしています。」
いくつかの州ではこの数ヶ月間で性的に活発な十代が対年少者性的加害者と一纏めにされないよう、いわゆる「ロミオとジュリエット除外」を策定し始めた。インディアナ州では詳細は不明だがデート関係にある十代が訴追されないよう法律を変えた。コネティカット州はもし年齢差が三歳以内なら起訴することを止めるよう法律を変えた。そしてテキサスは危険度の少ない十代がリストに載らぬよう、性犯罪者の分類方法を変えた。
釈放後、ウィルソンは記者会見で性教育の授業の不足を訴えた。
「大抵、生徒に『コンドームを使え』というだけです。セックスについて知りたいことはそれだけではない。我々が知りたいのは実際刑務所へ行くことがということだ。」
米愛国歌の貴重な手書き歌詞、フリマで買った絵の額から発見
ニューヨークのフリーマーケットで買った絵の額から、米国の愛国歌として知られる「My Country 'tis of Thee(America)」の手書き歌詞が見つかった。絵はわずか10ドルだったが、この手書き歌詞の価値は、数万ドルだという。
絵を購入した収集家、ケイヤ・モーガンさんが3日、明らかにした。1831年にフランシス・スミスが英国歌「God Save the Queen」の曲にあわせて書いた歌詞で、同年の7月4日にマサチューセッツ州ニュートンの教会で、初めて演奏されたという。
モーガン氏はエイブラハム・リンカーンやトーマス・ジェファーソン、マリリン・モンローなど、歴史的な人物の文書などを所持する収集家で、見つけた歌詞に間違いはないと断言。他の専門家も、スミス手書きのオリジナル歌詞と判断している。
フリーマーケットで歌詞が入った絵を売っていた人物は、明らかになっていない。2008.07.04
ナイアガラ滝に新アトラクション登場 悠久の歴史を体感
ナイアガラの滝をカナダ側から見下ろす展望スペース、テーブルロックにこのほど、1万年前以上の年月をさかのぼって滝の歴史を体感できるアトラクション「ナイアガラズ・フュリー」が登場した。新たな観光名所として期待が集まっている。
このプロジェクトは、ナイアガラ国立公園を管理する「ナイアガラ公園委員会」が、40億円規模のテーブルロック改修事業の目玉として、総工費約7億4000万円で完成させた。
アトラクションは2つのパートに分かれている。来場客はまず、ナイアガラ滝の歴史を紹介する8分間のアニメ映像を鑑賞。ビーバーのキャラクターを案内役に、氷河期への旅から始まるストーリーを楽しむ。
次に通されるメインシアターでは、一人ひとりに手すりが用意され、同じストーリーを今度は実際に体感することになる。室内の気温が一気に17℃も下がり、本物そっくりの雪が舞い落ちると、そこは氷河期の世界。360度のスクリーンに映し出される映像とともに、激しい嵐や地鳴りが再現される。やがてスクリーンの下方から10万リットル以上の水が滝となって流れ落ち、立ち上る霧が室内を満たす。「すごく楽しかったし、怖かった」――鼻の頭に水滴をつけたまま出てきた10歳の少女は、息を弾ませてそう語った。
当地ではカナダ国内の他都市と同様、ガソリン価格の高騰や米ドル安、国境通過の規制強化などの影響を受け、米国人観光客らの減少が懸念されている。公園委員会は民間コンサルタントの助言を仰ぎ、米カリフォルニア州のプロダクション2社に制作を委託。ナイアガラ滝の「だれもが無料で楽しめる絶景」に引けを取らないアトラクションを目指した。同委員会のジョエル・ノーデン氏は、「日本や中国、韓国、フィリピン、欧州、中東、そしてもちろん北米各地の、あらゆるテーマパークを訪れ、どんなアトラクションが実現可能なのか、ほかでは味わえない体験は何か、と検討を繰り返した」と話す。オンタリオ州のピーター・フォンセカ観光相も、
「今後は滝を米国側から見るだけでなく、カナダ側を訪れようとする観光客が増えることだろう」
と、経済効果に期待を示した。2008.07.20
「マイノリティ」人口が最も多いのはロサンゼルス郡 (1)
ヒスパニックやアジア、アフリカ系米国人など「マイノリティ」とされる人口が最も多いのは、カリフォルニア州ロサンゼルス郡であることが、米国勢調査局が2008.8.7日に発表した2007年調査結果で明らかになった。
ロサンゼルス郡では、ヒスパニック系が約470万人、アフリカ系米国人が約100万人で、人口の70.9%、700万人以上が「マイノリティ」だった。
同郡のヒスパニック人口は、全米一。
その他の人口は、非ヒスパニック系の白人は約290万人で、アジア人が140万人、米先住民が14万6500人となっている。
このほか、マイノリティが100万人以上を占めたのは、カリフォルニア州のサンベルナディーノ郡、オレンジ郡、リバーサイド郡、サンタクララ郡のほか、ニューヨーク州のブロンクスやクイーンズ、テキサス州ハリス郡、フロリダ州マイアミデイド郡などだった。
最もマイノリティ率が高かったのは、メキシコ国境のあるテキサス州スター郡で、人口6万1833人のうち98%がマイノリティで、内訳はヒスパニック系が6万169人、アフリカ系米国人が422人だった。
逆に最もマイノリティが少ないのは、ケンタッキー州マゴフィン郡で、住民の98.9%が非ヒスパニック系の白人となっている。
「マイノリティ」34年後に過半数へ 増加ペース加速 (2)
米国の中南米系やアフリカ系(黒人)、アジア系などの少数派である「マイノリティー」が、2042年には人口の半数を突破する見込みであることが、米国勢調査局の予測でわかった。4年前の調査より8年早まっており、米国で白人が少数派になる日は刻々と近づいている。 国勢調査局によると、現在の米国の人口は約3億400万人で、中南米系のヒスパニックではない白人が約66%を占める。だが今後は、マイノリティーが出生率の高さや移民の流入などから急増、42年に半数を超え、50年には約54%になると予測されている。 なかでも増加が著しいのはヒスパニック。50年には現在の4670万人から1億3280万人と約3倍になり、米国人の3人に1人を占めるようになる。同様にアジア系も人口比で5%から9%に、アフリカ系は14%から15%に増える。マイノリティーの台頭に伴って米国の人口も増え、39年には4億人を突破すると予測されている。 アジア系が最も多かったのはハワイ州ホノルル郡で、58.8%を占めていた。 マイノリティ人口が増加しているのは国境沿いの郡が多く、テキサスやアリゾナ、カリフォルニアなどの州で顕著となっている。また、全米の302郡で、「マイノリティ」が「マジョリティ」になる現象が見られるという。 このほか、最も高齢だったのはアリゾナ州ラパス郡で、人口の32%が65歳以上の高齢者だった。逆に最も若かったのはテキサス州ウェブ郡で、5歳以下が12.8%を占めていた。2008.8.7
米国人の過半数「医師よりも神の奇跡を信じる」
自分の家族が死に瀕している場合、医師の宣告よりも神の奇跡を信じるという米国人が過半数を占めることが、外科医が実施した終末期医療に関する調査で分かった。
調査はコネティカット大学のレンワース・ジェイコブズ教授らが、無作為に抽出した一般の米国人1000人と、医師、看護師などの医療従事者774人を対象に2005年に実施。2008.8.18日付の医学誌に発表した。
一般の人を対象とした調査では、57・4%が「自分の家族が治療を続けても助かる見込みはないと医師に宣告されたとしても、神の力で助かる可能性はあると信じる」と回答。医師が勧めない治療でも家族が要求する権利はあるとの回答も4分の3に上った。
一方、医療従事者では、神の力で助かる可能性があると答えたのは19.5%にとどまった。
ジェイコブズ教授は、外科医療の進歩によってこれまでは即死だった患者も延命されるようになり、外科医が人の死にかかわる比重が大きくなったと指摘。助かる見込みはないと告げても、神が助けてくれると信じて治療継続を望む家族も多いという。医師はその気持ちを尊重しながら、レントゲンなどの検査結果を示し、奇跡は起こらないと納得してもらわなければならないと同教授は話している。
赤ちゃん保護の州法で、十代の子を捨てる親が続出
ネブラスカ州で今年、望まない妊娠などで生まれた赤ちゃんの保護を目的に、親が匿名のまま医療機関などに子どもを託すことを認める新法が成立した。ところがこの法律の下で、十代の子どもが置き去りにされるケースが相次ぎ、同州は法改正へ動き出している。 子どものための「避難所」法と呼ばれるこの州法は、今年7月に施行された。州福祉当局者によれば、「本来は、事情があって親が育てられない新生児を、安全な場所に保護することが目的」だった。ところが実際には、これまで州内の医療機関に託された子ども17人のうち、13人が11歳以上。州東端に位置するオマハ市の病院では最近、隣接するアイオワ州に住んでいた14歳の少女が保護された。その後、少女を育てていた祖父母が「しつけ」のためにこの制度を利用したことが判明し、本人は自宅に帰されたが、州境を越えた「合法的捨て子」ともいえる例は、これが初めてだったという。 米国ではすでに、同じような法律がすべての州で施行されている。ただ、対象となる子どもの年齢を明記していないのはネブラスカだけ。複数の州が「生後72時間以内の新生児」と限定しているのをはじめ、最も緩やかな州でも「生後1年まで」と条件付けている。ネブラスカ州当局者によれば、同州の法案にも当初は「生後72時間以内」の制限が盛り込まれたが、成立した時点では「子ども」という表現に修正されていたという。 ハイネマン知事は、「これまでの適用例をみれば、当初の目的が果たされていないことは明らかだ」として、来年1月からの州議会で法改正を求める方針を表明。これに先立ち、議会では来月、関係する委員会の公聴会が予定されている。 ただ児童福祉団体などからは、「子どもが何歳であれ、育児を断念せざるを得ない親にはそれなりの事情がある」との指摘もある。ネブラスカ州法の施行以来保護された子どものうち、10歳以下の4人は全員、オマハ市内の同じ男性が父親だ。この男性は妻を突然亡くして途方に暮れ、1歳から17歳までの子ども計9人を連れて病院へ駆け込んだのだ。地元テレビとのインタビューで、「あの子たちをひとりで育てるのはとても無理だった。精神的にすっかり参ってしまった」と話している。 一方、ハイネマン知事らはこのようなケースについて、「青少年の問題を扱う行政窓口や支援グループなどで対応できる」と説明している。2008.10.12
恋人のヌード写真で「性犯罪者」に 10代の流行に警鐘
自分や恋人のヌード写真をメールで送る行為が10代の少年少女の間で広まり、米国で問題になっている。非営利組織(NPO)が10代の少年少女約1300人を対象に実施した調査では、5人に1人がヌード写真をメールで送信したことがあると答えた。そのほとんどは、それが犯罪になり得ると知っていたという。
ある少年は18歳の時、交際していた16歳の少女の裸の写真を、この少女の友人や家族に送りつけた。写真は少女が自分に送ってくれたものだったが、けんかして腹を立て、衝動的にやってしまったという。「自分は未熟な子供だった。真夜中に馬鹿なことをやってしまった」と振り返る。少年はフロリダ州オーランドの警察に逮捕され、児童ポルノ配布の重罪で起訴され有罪になった。5年間の保護観察処分を言い渡され、フロリダの州法に基づき性犯罪者として登録されている。
「インターネットで検索すると僕の名前が出てくる。強姦や痴漢の犯罪者と並んで性犯罪者リストに載っている」と少年は話す。43歳まで登録は解除されず、大学は退学になって仕事を見つけることも難しいという。
児童ポルノの所持や配布を禁じた法律を、10代同士のヌード画像送信に適用すべきではないとの批判もある。子供たちは犯罪目的で画像を送り合っているわけではないという理由だ。
ペンシルベニア州在住の少女(15)は12歳の時、友人と一緒にブラジャー姿の写真を撮った。友達の家に泊まって遊びで撮ったもので、ヌードのつもりはなかったが、その写真が最近になって別の生徒の携帯電話から見つかり、犯罪の疑いがあるとして少女の母親が検察から連絡を受けたという。母親は別の数家族とともに、非政府組織(NGO)米自由人権協会(ACLU)の助けを借りて、検察を相手取り訴追差し止めを求めて裁判を起こした。
昨年はオハイオ州の10代の少女が、19歳のボーイフレンドに送ったはずの自分のヌード写真が複数の高校生に渡っていることを知り、首をつって自殺した。父親によると、少女は学校でいじめに遭っていた。写真をばらまいた元ボーイフレンドは何の罪にも問われず、学校も何の措置も講じていないという。両親は娘の死をきっかけに、ヌード写真送信の危険性について生徒と保護者の認識を高めてもらう運動を起こし、ヌード写真送信とネットいじめを防ぐ法律の制定を訴えている。2009.04.09
出産件数、4割近くは母親が未婚 アフリカ系では7割超える
米国で07年に生まれた赤ちゃんのうち、4割近くは母親が未婚女性だったことが、米国立健康統計センター(NCHS)の報告で明らかになった。人種別にみると、アフリカ系では同年に出産した女性の7割以上が未婚だったことが分かった。
NCHSが先月末発表したデータによると、07年の出産件数430万件のうち、未婚の女性による出産は170万件。02年に比べて25%以上も増加した。
また、同時期に発表された統計によれば、未婚の母の割合は人種間の開きが大きく、白人では28%にとどまったのに対し、中南米系は51%、アフリカ系は72%に上っている。
米国では、女優のアンジェリーナ・ジョリーさん(33)が未婚のまま俳優ブラッド・ピットさんとの間で子どもたちを育て、08年大統領選で共和党副大統領候補だったペイリン・アラスカ州知事の長女で高校生のブリストルさん(18)が出産するなど、「未婚の母」となった有名人の話題が盛んに伝えられる。また、14年間減り続けていた十代の妊娠が最近、2年連続で増加したとの統計も発表されたばかりだ。
十代の妊娠防止などを訴える団体NCPTUPのトップ、サラ・ブラウン氏は、「未婚での出産に対する悪いイメージが薄れてきたとの認識はあったが、出産件数のデータをみると、すでにそういうイメージは払しょくされたように思われる」と話す。同氏は一方で、親が未婚のままで生まれた子どもは貧困に陥ったり、高校を中退したりする率が高くなると指摘。「旅行へ行く前にじっくり計画を立てるのと同じように、妊娠についてもいつ、だれとの間で、どのような状況が整った場合に、といった条件を、じっくりと計画的に考えておくべきだ」と強調している。2009.04.13
白人が「マイノリティ」の郡が増加、カンザス州でも
全米で2007年から08年にかけ、白人が少数派のマイノリティとなった郡がカンザス州フィニー郡など計6郡だったことが、米国勢調査局の調査で明らかになった。白人がマイノリティとなっているのは2008年7月1日現在、全米3142郡のうち、約10%の309郡に達した。
新たに白人がマイノリティとなったのはフィニー郡のほか、フロリダ州オレンジ郡、カリフォルニア州スタニスラス郡、ミシシッピ州ウォーレン郡、テキサス州のエドワーズ郡とシュライヒャー郡。フィニー郡のアルタ・ブラウン小学校では、生徒409人のうち約半数の母国語が英語以外となっているという。
白人がマイノリティとなっている州は全米で4州ある。ハワイ州が最も白人率が低く、マイノリティが75%を占めている。
次いでニューメキシコとカリフォルニアでは、58%がマイノリティで、テキサスが43%。州ではないが、ワシントンDCでは人口の67%をマイノリティが占めている。この他の州では、マイノリティが43%以上となっているところはなく、増加傾向にあるマイノリティの居住地域が特定州・地区に集まっていることが分かる。 2009.05.25
死に至るセックス
クリステン・テイラー(29)は2008.1.23日の夜、米国ペンシルバニア州ロア・ウィンザー・タウンシップの自宅で意識不明で発見され、病院は運ばれたが死亡が確認された。
警察の調書によると、トビー・テイラーは最初、妻はヘアードライヤーを使用していてショック状態になったと言った.しかし、彼女の体に火傷が見付かったので、トビーは妻の体に電気コードを巻いてプラグをコンセントに差し込み、付けたり消したりしたと言った。トビーは前にもやったことがるといった。
トビーは過失致死と無謀危険行為の罪で保釈金10万ドルの代わりに収監された。彼は弁護士を立てなかった。ヨーク郡検死官は「変態セックス」と断じて、「こんな事は今まで見たことがない。たとい前にやったことがあるにしても、人を殺す事も有りうるということを知るべきだった」と語った。
警察の担当責任者は電気ショックが女性の心臓発作を起こした可能性があると語った。検死官は最初の検視では死因を特定できなかった。最終的死因の決定は電気器具のテストや毒物検査の結果を待たなければならないと言った。
米から子どもと帰国の元妻「ベビーシッター扱い受けた」(1)
日本人の元妻が米国から連れ帰った2人の子どもを無理やり連れ去ったとして、米国人の男が福岡県警に逮捕された事件で、元妻が県警の調べに「(男に)ベビーシッターのような扱いを受けた」などと話していることが、捜査関係者への取材でわかった。一方、米国では、子どもを勝手に日本に連れ帰った元妻に対する批判が強い。逮捕された男も取材に対し、「親が自分の子に会うことに刑法がかかわるのは違和感がある」などと正当性を主張。お互いに譲らない。
捜査関係者によると、元妻は離婚や子どもと帰国した経緯を説明する中で、男の態度に不満があったという趣旨の話をしているという。「離婚後の財産分与でも財産を隠された」とも話しているらしい。
一方、逮捕された男は2009.10.8日、柳川署で新聞記者との接見に応じ、「元妻が連れ去った自分の子どもを連れ帰ろうとした。その因果関係がなければ僕はここにはいない」と述べた。今年1月の離婚後、子どもは元妻と一緒に米国の男の自宅近くで住むことで合意していた点について「元妻は自分の意思で(子どもと米国に住むことを)決めたはず。決めた通りに戻してほしい」とも語った。
関係者らによると、夫婦は95年に米国で結婚。その後、日本での生活を経て、男は日本国籍を取得したが、08年6月に家族で渡米。離婚後、男は別の女性と再婚。元妻が8月に子どもと帰国し、男は9月、福岡県柳川市内で登校中の子ども2人を連れ去ったとして未成年者略取容疑で逮捕された。
日米間の夫婦問題(2)
元妻が日本に連れ帰った子供2人を取り戻そうとして福岡市内で逮捕されたクリストファー・サボイさん(38)が2009.10.15日、釈放され、不起訴処分となった。即時の帰国命令など、釈放時の条件は明らかになっていない。米国領事館も、クリストファーさんが同日午後に釈放された事実を確認した。
この事件は、米テネシー州で暮らすサボイさんと離婚した日本人元妻が、サボイさんに連絡せず子供と一緒に日本に戻ったことが発端。離婚時の条件で、元妻と子供はテネシー州で暮らすことになっていたが、夏休み中に元妻が日本に戻ったため、サボイさんが子供を連れ帰ろうと来日し、登校中の子供2人を車に乗せて連れ去ろうとした。
福岡県警は未成年者略取容疑でサボイさんを拘束したが、日米間における離婚や親権の考え方が異なる事から問題が複雑化。さらに、サボイさんと元妻の離婚手続きが日本では行われていなかったことから、さらにややこしい状況になっていた。
米国の人口3億700万人、テキサス州で顕著な伸び
米国勢調査局が23日に発表した人口動態統計によると、2009年の米国の人口は推定3億700万6550人となり、2000年に比べ9%強、08年比では0.86%増加した。都市別に見ると、前年比で最も顕著な伸びを示したのはテキサス州のダラス・フォートワース地区とヒューストンで、それぞれ約14万人の増加。伸び率も同州のオースティンが3.1%増と、ノースカロライナ州ローリーに次いで2番目に高かった。専門家はテキサス州の人口が増えた要因として、多様な経済や住宅の値上がりが比較的小幅で差し押さえ物件が少なかったことを挙げている。
一方、自動車不況に直撃されたミシガン州デトロイトは人口が2万人(0.5%)以上減った。過去10年で人口減少が最も深刻なのはルイジアナ州ニューオーリンズで、大型ハリケーン「カトリーナ」に見舞われた05年から06年にかけて30万人以上減り、2000年からの統計では人口の9.6%に当たる約12万6000人の減少となっている。
人口統計は州と自治体への連邦予算配分や議員数を決める目的で使われる。12月には2010年国勢調査の統計が発表される予定。2010.03.24
禁欲教育プログラムへの資金援助継続、効果には疑問の声も
オバマ大統領が署名した医療保険改革法は、医療保険だけに関するものではない。禁欲教育プログラムに対し、2010年から14年にかけて年間あたり5,000万ドルの資金援助を行うことも決定された。
5年間にわたる取り組みでは、性的禁欲が婚外妊娠や性感染症などの性交渉に起因する健康問題を避ける唯一確実な方法であると指導し、婚外の性交渉について心理的、肉体的に有害になりうるとして抑制を促すなどの要件を満たすプログラムに対し、社会保障法の規定に基づいて資金援助が実施される。
この制度に対しては、「禁欲教育は具体的な成果が証明されていない」として懐疑的な意見も多い。米国民の間では、禁欲教育と避妊教育の両方を行うべきとの考えが一般的との世論調査結果もある。
禁欲教育への資金援助制度は、クリントン政権時の福祉改革から生まれた。年間5,000万ドルを拠出する制度は1998年に開始され2009年に失効したが、今回の医療保険改革法で14年まで更新された。同法ではこのほかに、禁欲と避妊の両方を教えるプログラムに対しても、7,500万ドルの資金提供制度を設けている。
各州は資金援助制度を利用するかしないかを選択できるが、支援を受ける場合は、国からの資金4ドルにつき3ドルを州が負担しなければならない。民間機関が行った調査によれば、09年6月現在、22州とワシントンDCが支援への申請を拒否している。2010.4.01
初代米大統領、本221年借りっぱなし 延滞金は免除
221年間、借りっぱなしの本を返します――。米初代大統領ジョージ・ワシントンが、1789年10月5日にニューヨーク市の図書館から借りた本が2010.5.19日、返却された。
地元紙によると、ワシントンが借りたのは、スイスの外交官が書いた「国民国家の法律」。当時はニューヨークが米国の首都で、ワシントンは同年4月に大統領に就任したばかり。多くの政府関係者が図書館を利用していた。
1934年に図書館の地下室で貸し出し記録の元帳が見つかり、未返却が発覚した。ワシントンが住んだバージニア州の邸宅マウントバーノンを所有管理する保存協会が、当時と同じ版を約1万2千ドル(約100万円)で購入、ようやく返却にこぎつけた。
もし、延滞金を請求されていたら、30万ドル(約2700万円)にのぼっていた。協会側は「相当な額を免除していただいて、ありがとうございます」と述べたという。
判事、学校でのゲイ権利クラブ活動可
K.マイケル・ムーア地裁判事は司法制度平等利用保障法によって他のクラブに保証されたと同じ権利をマイア州のキーチョビー高校はゲイ・非ゲイ連帯にも許可すべきという裁定を下した。
このグループは唯一節制教育方針に反するセックス目的の団体であると学校当局が言ったことを受けて、米国市民的自由連合はキーチョビー教育委員会を訴えた。
12ページから成る裁定書の中で、ムーア判事はこのグループと創始者ヤスミン・ゴンザレスがこのクラブが会合を開くことを学校が禁じた事は連邦法に違反すると言う彼らの主張には相当の妥当性が認められると記した。
米国市民的自由連合(ACLU)のロバート・ローゼンワルド弁護士は、この命令を「終に何が起こるかの強い示唆」と表現した。裁定の中で、判事はこのグループが生徒達に「猥褻と性的に露骨な物品」を共有することを煽るという学校の憂慮を裏付ける証拠を示すことが出来なかったし、学校側の仮定はこのクラブの名前に基づくと述べた。
学校側の弁護士デイビッド・ギッブズは、裁判を続けるか否かに関しては学校側に何も話していないと言った。
判事の決定はこのクラブが性に関するディスカッションを避ける学校側の要望に配慮を示したと信ずると、彼は言った。
「生徒達は好きな名前を付けたのだ。しかし彼らは差別問題をディスカッションすることに限定しているので喜んでいる。」
ゴンザレスは、裁定に満足しているが、後から入ってくる後輩達が「より開かれた環境の中で益を得、そして学校からの今と同じような措置に耐えなくてもよい事を願っている。」と言った。2007.4.7
純潔教育のあり方が問われる
純潔養育のクラスを受講した生徒達は、受講しなかった生徒達に比べて性行動を慎むということはなさそうだという研究結果が出た。
特別なプログラムの出席者達は出席しなかった者と同様数年後に性体験をした。共和党保守政権下では「結婚するまでは純潔で」と題する教育の支出は年間1千万ドルから1億7600万ドルに増加した。
専門家達はこのプログラムは機能していないと繰り返し言っている。彼らは予算を性の節制を含む、よりもっと総合的な性教育に費やすべきだという。
保守派は、若者に性や避妊を教えることはセックスすることを唆すようなものだ、と長い間信じてきた。彼らは結婚までの純潔を推進してきた。
今回の議会によって行われた調査で、生徒達はミルウォーキーやマイアミのような大都市から、ヴァージニアやミシシピィの小さな町からなど広範囲にわたった。純潔プログラムに入った時、彼らは11、12歳で、プログラムは1、2年続いた。
研究者達は受講生達と同じ地域に住むが受講していない生徒達の行動も観察した。其の結果、受講生達は受講しなかった生徒達と同じ14歳9ヶ月で初体験をした。
ブッシュ政権はこの研究から断定的結論を出すことには反対すると警告した。
2007.4.14
新生児誘拐二件
誘拐された新生児アラバマで無事発見
三日間テネシーの母親は、ナイフを突きつけられて新生児を強奪された悪夢のような事件に耐えた。警察が2009.10.2日、北アラバマで生きていた新生児を発見し、誘拐の疑いで女性を逮捕した。
ナッシュビル警察はテネシー線に近いアードモアの一軒の家から生後一週間のヤイル・アンソニー・カリロが発見されたと発表した。
被疑者はアードモアに住むタミー・レニー・サイラス(39)で、警察は訴追を留保していているが、尋問は行われ、拘置所に収容される見込み。
新生児は医学的検査の結果、健康状態は良いという。警察は10.3日にでも母親マリア・ガローラ(30)の手に返すよう準備を進めている。
FBIテネシー支部の特別捜査官は言った。
「この子は生後一週間で、人生の半分を家族から離れていたことになる。」
フロリダで5日間行方不明になったベイビーベッドの下から生きて発見
5日間行方不明だったベイビーがベビーシッターのベッドの下から元気で発見され、フロリダ警察は2009.11.5日、ベビーシッターとその夫、それにベイビーの母親を告発すると言った。
捜査員たちは生後七ヶ月のシャノン・デドリックがペンハンドルという小さな町のそのスーザン・エリザベス・ベイカー宅でこの幼児を隠すためにベッドの下の箱の中に押し込まれて隠してあったのを発見した。ベイビーは保護施設に収容された。捜査員によると、
「統計的に言って、この様な事案では子どもが生きて発見されるのは極めて珍しく、日にちが経てばなおさらで、我々は時間とのたたかいだった。」
シャノンは病院で検査を受けたが、健康そうだという。
検事はベイカーとその夫であるジェイムズ・アーサー・ベイカー、それにシャノンの母親クリスティーナ・リン・マーサーを告発するつもりだと言っが、詳細は明らかにしなかった。当局はシャノンの父親ジェイムズ・ラッセル・デドリックも関係しているとは考えていないが、捜査官の一人はスーザン・ベイカーと父親とは?がっていると見ている。
捜査員たちは頻繁に八月から九月にかけてこの幼児の家を訪問し、両親はマリファナを吸引し、家の中は乱雑だったと報告していた。
裁判記録によると、エリザベス・ベイカーは1987年に、脅迫と暴力行為で起訴され、10年の刑を宣告されたが、申し渡しは80日間延期となった。彼女は2000年にチプリーからサウスカロライナに引き渡され、1987年三月以来行方不明になっている三歳のポール・レナード・ベイカーの失踪で起訴された。ベイカーは大陪審で有罪とはされなかった。この子どもは発見されていない。
米国の生活困窮者、史上最悪の4360万人 人種で格差
米国勢調査局は2010.9.16日、2009年の生活困窮者が史上最悪の4360万人にのぼったと発表した。米国全体に占める貧困率も08年の13.2%から14.3%に悪化、1994年以来の高水準に達した。
長引く不況の影響が響いており、10年はさらに悪化すると指摘する専門家は少なくない。中間選挙を前に、オバマ政権と与党民主党に一層、厳しい風が吹きそうだ。
統計の貧困ラインは毎年、変わる。09年は、4人家族の世帯収入で2万1954ドル(約187万円)、1人の場合で1万956ドル(約93万円)と設定されている。
統計によると、生活困窮者は3年連続の増加で、08年より380万人増えたという。
貧困率を人種別でみると、白人が12.3%だったのに対し、アフリカ系(黒人)は25.8%、中南米系(ヒスパニック)は25.3%と、人種間格差は小さくない。
研究:ニューヨーク市のティーンエイジャーは男女とも、暴力的デートや危険なセックスの率が高い。
2010.10.25
最近の研究によると、ニューヨーク市の性的に活発な高校生の十人に一人が少なくとも一人は同性のパートナーがあり、両性とセックスをしたと言うティーンズは、平均を越える暴力的デート、強制的セックス、危険な性行動、などがあったと報告した。
2010.10.25日に発行された「小児科」誌に掲載された1万7220人の公衆衛生調査を分析した結果、同性と一緒になったティーンズの1/3以上が、十分たちは正常だと思っていた。擁護者たちは、この分析結果は性志向ではなく、この行動への公衆衛生的メッセージの必要性を示していると言った。
両性との接触があったと報告した若者たちが危険な行動や暴力の率が高かったということは、驚きはしないまでも困ったことだ、とニューヨーク市保険精神衛生部の副部長スーザン・ブランク博士は言った。この報告の中で両性のパートナーを持っている生徒たちは健康上の問題を抱えていると同博士は言った。
このレポートは2005年と2007年に、ニューヨーク市の高校で行われた調査に基づく。「若者の危険な行動調査」は市保健部から二年ごとに代表的に抽出された市立高校に配布されている。
この調査に加わった生徒の内7,261名は性行為をしたと言った。調査は調査時の三ヶ月内と、今までを通してのパートナーの数や強制的セックス暴力的デートの経験の有無も尋ねた。
性的に活発な男子の内93.1%は女子とセックスをし、3.2%が男子同士で、3.7%が男子も女子も相手にしたと答えた。
性的に活発な女子の内、88.1%が男子だけとセックスし、3.2%が女子だけと、8.7%が男子も女子も相手にしたと答えた。
性的に活発な全てのティーンズの内9.3%が少なくても一人の同性パートナーがいると答えた。
研究を纏めた保健部の研究者は、これと比較する全米規模のデータはないが、他の州のデータでは同性或いは両性のパートナーを持っているティーンズの数はニューヨーク市より少ないという。
生徒たちは自分が正常か、同性愛か、両性愛か、それとも「よく分からない」の何れかをも尋ねられた。すると少なくとも一人同性のパートナーがいると答えたティーンズの内、38.9%が「異性愛か正常」と答えた。
他の研究も自分の性行動と性志向に不一致があることを示しているが、ブランクは、「この研究が我々の公衆衛生予防警告が志向よりも行動を直視する必要があることを喚起している。」と言っている・
この研究で判かったことは、両性のパートナーを持つティーンズたちは性交の時にコンドームを使用しないとか、相手の暴力や強制的セックスなどの危険性が平均より高いことである。
同性・異性のパートナーを持つ女子の内35.8%は前年にデートで暴力を経験したと言った。男子の場合は34.8%だった。
女子のパートナーしかいない男子のデートでの暴力が、遙かに低いパーセンテージを示した。
男女両方のパートナーを持つと答えた男子の内、コンドームを使用したのは44.1%に過ぎなかった。
直近のセックスでコンドームを使用したパーセンテージは、女子のパートナーしかいない男子で79.8%、同性のパートナーしかない男子で62.3%だった。
性と生殖の健康問題が専門のガットマッハー研究所上級研究員のローラ・リンドバーグは、同性・異性のパートナーを持つティーンズは「明らかに何台に直面している」と言った。
「これらの子は、より非異性愛的行動に慣れ、受け入れやすいニューヨーク市の子どもたちであり、より危険な行動や暴力の報告がみられるのである」と付け加える。
ニューヨークでゲイの高校を経営する青少年援護団体であるヘトリック-マーティン研究所の理事長であるトマス・クレバーは、この調査結果に驚かないと言った。
同性・異性のパートナーを持つティーンズの多くは、日常的に支援してくれる大人や仲間を欠いていて、周囲の白眼視のため鬱状態に陥ることもあるとクレバー入った。
「鬱状態や自尊心の低下の特徴を示す若者たちは危険な性行為も含めてより危険な状態に自らを置くことがある。」
性感染症撲滅活動と取り組む保健部の幹部であるブランクはティーンズは支援が得られるというメッセージを手に入れる必要があると言った。
ブランクは、保健部の診療部門は12才以上の人なら誰でも無料で性感染症の検査を受けることが出来るといった。
初めて女性の博士号取得が男性を上回った
2010.9.14日
2009年に合衆国で女性の博士号取得が男性を上回った。全国的に大学に於ける女性の地位向上の数十年に亘る変化の極致である。
大学教育に於ける各段階の女性の数はこの数十年間で増えてきた。ワシントンに在る大学院協会が発表した年間登録者数によると、学部や大学院では3対2で女性が上回っているが、博士課程のみが男性優勢の最後の砦だった、2008-2009学年度の学位取得者は、女性が2万8千962人、男性が2万8千469人で、ついに女性が男性を追い抜いた。
平均7年間の研究を必要とする博士号取得は長期に亘る移り変わりの衝撃を示す如実な証しである。「これは教育のパイプラインの中をくねくねと通ってきたトレンドである。」
このレポートの作者で協会の研究・方針分析の長であるネイザン・ベルはそう言った。
女性は修士学位取得では以前から男性を上回っていた。特に教育分野では。大学院大学年次調査に基づいた新しい報告によれば、女性は大学院の学位の十分の六ちかくを2008-9年間に取得している。
しかし学位を持つ女性たちが当然大学教授を目指すが、教授生活特有の要求に妨げられる。即ち研究に専念する期間が、出産育児期間とダブル傾向がある。
「多くの女性が、研究実績を上げるか家族を持つかを選ばなければならないと考えているが、勿論どちらかを選ばなければならないことはない。」
米国大学女性協会会長のキャサリン・ヒルはそう言う。 1980年代初期の女子学生は女性の奨学金への障壁が無くなったので男生徒対等になり始めた。その後彼女らは圧倒的に男性を上回ったので、連邦当局は今や一定の男女比を維持するために入学に際し男性に有利を計っている文系の大学がありはしないかと調査している。
アイオワ大学の「大学院:貴方に適しているか?」と言う名称の付いた一年生のクラスでは16名の受講生があり、15名が女子学生だった。
近年、教育上の関心は男子の学習意欲の低下に向けられている。彼らは高校を中退し、高等教育から逸れて下等な仕事に就いたりや刑務所へ行く者が多い。男子は又、不均衡なほど軍隊に入る者が多い。
全般的に言うと、女性・少女は合衆国人口の51%を占める。しかし、女性は象牙の塔の全ての回廊を征服しているわけではない。今も尚男性が教授職や管理職の地位の多数を占めている。米国大学教授協会によれば、女性は大学の《「の」の連続》すべての職階において男性より給料が少ない。2009-10年の年俸は男性教員が平均8万7,206ドル、女性は7万600ドルだった。初任給はほぼ同額だったが。
男性は2008年まで主に工学・数学・物理学などで優位に立ち、博士号取得で女性をリードした。彼らは未だに工学系の学位の80%を占める。
女性の学位取得の増加は幾つかの分野にわたる永続的取得に起因する。例えば、健康科学では過去十年間に毎年14%の割合で増加してきた。女性は現在この分野で博士号の70%を占める。女性は教育の博士号の67%、社会・行動科学の60%を占める。
労働市場へ多くの女性を送り込んだのと同じ経済力が、より多くの女性を博士課程に進ませた。彼女らが家族のために金を稼ぐ必要性を認識したからである。
近年、法学・医学において女性が男性に追い付いた。博士の世界も手の届かぬものでなくなった。
貧困生活者400万人増
合衆国統計局の発表によれば、七人に一人が2009年に貧困生活を送っていて、労働者階級では1960年代以降最多となっている。当局は四人家族で年収2万1954ドル以下の家庭を貧困家庭と見なしている。
一方、抵当危機が始まって以来、八月の持ち家受け戻し件喪失が最高レベルに達したというデータが出ている。2009年には大恐慌以来見られなかった歴史的失業率を含む景気後退の深さが見られた。しかし、貧困のデータはヨーロッパに多く見られる相対的なものでなく、家計に入る収入を示したものである。
今回の統計によると、アジア系アメリカ人が最富裕で、アフリカ系が最貧である。貧困層の増大は政府が統計を取り始めて以来51年の間に最大となった。
データによると、2007年12月に景気後退が始まってから、貧困家庭のの急激な増加が始まった。健康保険に加入していないアメリカ人の数は2008-2009年に440万人増加した。健康保険の適用を受けない人の割合は、15.4%から16.7%、実数で言えば5,070万人で、殆どの人が景気後退中に雇用者負担の恩恵を失った人たちである。保険総額は民主党政権が健康管理制度の全面見直しを通過させた前年に適用され、その用意は2014年に実効となる。経済効果は11月の中間選挙における主要問題として、共和党がオバマ大統領と民主党の責任を追及し、民主党が緩やかな景気回復の中での実績を訴える重要論点となっている。2010.9.16