Q: 抗うつ薬誘発性躁病というのがあるのでしょうか?
確かに、これまで広く用いられてきた精神疾患の診断規準(DSM-IV)には、抗うつ薬によって引き起こされた(軽)躁病様のエピソードは、双極性障害ではない、と書かれていました。そして、抗うつ薬により誘発された軽躁状態や躁状態は、「物質誘発性気分障害」という、別な診断になるとされていました。そのため、抗うつ薬による躁転は、薬によるものであって、双極性障害とは関係ない、と思われる方がいらっしゃるのは当然のことと思います。
しかしながら、この診断基準が作られた1994年以後、多くの研究が行われた結果、こうした考えは時代遅れとなりました。
双極性うつ病の臨床試験のデーターでは、プラセボ(偽薬)とSSRI1)の間で、躁転率に差はありませんでした(Sachsら2007、Nemeroff ら2001、Peet 1994)。また、抗うつ薬服薬中に躁転した率を見ると、うつ病の方に比べ、双極性障害の方では、躁転率がおよそ10倍です(Peet 1994、Angst 1985、Lewis & Winokur 1982)。また、うつ病にも関わらず躁転した方では、ご家族に双極性障害の方がおられる場合が多く(Wada 2006)、やはり潜在的な双極性障害であった可能性が考えられます。
こうしたデーターから、SSRIによる治療中に躁状態になるのは、抗うつ薬の副作用という訳ではなく、双極性障害の自然経過によるものであり、たとえそれまで躁転の経験がなくても、抗うつ薬で躁転する人は、もともと双極性障害を発症する体質であった、と考えられるようになりました。SSRIを服用中に躁状態が現れた場合、「薬の副作用だ」と思われる方もいらっしゃるようですが、そういう訳ではありません。
双極性障害の方のうち、うつ状態から発症する方が半分以上を占めており、うつ病と診断された方が経過中に躁状態となり、双極性障害と診断される、という経過の方が普通です。双極性障害の方のうち、初発時から双極性障害と診断された方は、ほんのわずかで、ほとんどの方が、最初はうつ病、統合失調症など、別の診断名で診断されているのです。双極性障害は、それだけ診断の難しい病気、ということになります。
さて、このように、DSM-IV診断基準(1994)の出版後、抗うつ薬治療中の躁転に関する記述には妥当性がないことがわかってきたので、診断規準を変更することになりました。2013年5月に、新しい「DSM-5」が発表されました。この改訂によって、抗うつ薬服用中に躁状態や軽躁状態が現れた場合でも、抗うつ薬の効果を超えて続く(すなわち中止しただけではおさまらない)ようであれば、双極性障害と診断する、と変更されました。
なお、古い抗うつ薬である三環系抗うつ薬2)については、双極性障害の患者さんがこれを服用することによって、躁転が多くなるとのデーターがありますので、双極性障害の方は服用を避けるべき薬です。なお、SSRIでも三環系抗うつ薬でもないタイプの抗うつ薬3)については、双極性障害の方で躁転を起こす危険が高まるかどうかについて、ほとんどデーターがありません。いずれにせよ、三環系抗うつ薬やその他の抗うつ薬を服用中に躁状態になった場合でも、やはり双極性障害と考えて差し支えないと考えられます。
自分が躁状態になったのは薬のせいだから治療する必要はない、と考える方もいらっしゃると思いますが、やはり、躁状態になる前に抗うつ薬をのんでいたとしても、そうでない場合と同様、再発のリスクを考えて、予防療法を検討した方が良いと思います。
1) SSRI: 選択的セロトニン取り込み阻害薬の略で、比較的新しい抗うつ薬です。フルボキサミン(ルボックス、デプロメール)、サートラリン(ジェイゾロフト)、パロキセチン(パキシル)、エスシタロプラム(レクサプロ)などがあります。
2) 第一世代の抗うつ薬で、イミプラミン(トフラニール)、クロミプラミン(アナフラニール)、アミトリプチリン(トリプタノール)などがあります。
3) ミアンセリン(テトラミド)、ミルタザピン(レメロン、リフレックス)、ミルナシプラン(トレドミン)、デュロキセチン(サインバルタ)など、色々あります。