Q: 主治医にリチウムから非定型抗精神病薬に変更するよう勧められたのですが…

 

 私は双極I型障害で通院しています。リチウム、バルプロ酸を中心に服用していますが、ここ数年は一度も再発していません。通院が大変なので、最近、大学病院から近くのクリニックに転院したところ、「リーマス、デパケンの処方量が多すぎる。アメリカの雑誌を読むと非定型抗精神病薬による治療が中心になっている。ついては、いずれは非定型抗精神病薬のみの治療に変更していきたい」と言われました。先生なりにいろいろ調べてくださっていて、より副作用が少なく、投与量を少なくしてくださろうという熱意はよくわかるのですが、私としては治療方針の大転換になるので何となしに不安です。確かに今は1日10錠ほど飲みますし、飲み忘れることもしばしばあります。しかし指の振戦以外にこれといった副作用もないので、無理に新しい治療にしなくとも、躁うつ病に確たる有効性がある今の処方の方がよいようにも思います。アメリカなどでは主流になりつつあるという非定型抗精神病薬の治療法が日本でどの程度有効なのか、果たしてこの治療方針でいけるのか?

 先生のご意見を教えてください。

 

A: なるほど、ちょっと困りましたね。

 この問題はいずれホームページでもきちんと取り上げたいと思っていましたので、この機会に少し書いてみたいと思います。

 結論から言うと、今も双極性障害の予防療法における第一選択薬であるリチウムを、効果がでているのに変更する必要はないと思います。

確かに、リチウムより非定型抗精神病薬の方が予防効果が高いことを示す研究結果も報告されています。しかし、これらは、非定型抗精神病薬の効果を最大限にするように最適化された臨床試験ですので、リチウムと非定型抗精神病薬を比較することは難しいと思います。

もちろん、予防効果が不十分である場合や、副作用で非常に困っている場合には、非定型抗精神病薬を試してみる価値があると思います。

最新の文献を調べたり、学会に参加すると、新薬を推奨する内容ばかりに遭遇するので、主治医の先生が勉強した結果、新薬に変えた方が良いと思ったのは理解できます。しかし、やはり今の処方で落ち着いている場合には、今の薬を続けた方がよいと思います。

 以下に、問題点をいくつか記したいと思います。

 

1)     新薬情報についてのメディア・リテラシーの問題

 

 昨今、学会では「サテライトシンポジウム」「ランチョンセミナー」などの形で、製薬会社が資金援助した企画が多く行われています。学会側としては、スポンサーになってもらうことで、学会運営費を援助してもらえるというメリットがあり、製薬会社側としては効率よい宣伝方法となっています。

 学会だけでなく、論文になるような研究についても、製薬会社が研究費を援助していることがしばしばあります。それどころか、米国における治療ガイドラインの作成、出版に際しても製薬会社による資金援助が行われたと聞きました。

 このように、製薬会社による宣伝活動と学術的な情報との境界は、ますます曖昧になっているのが現状です。

 製薬会社に援助を受けることが学術論文の内容に影響するのか、について調べた研究論文も報告されており(Nature, 440: 270-272, 2006)、製薬会社の研究費を得た臨床試験論文では、そうでない研究に比べ、治療効果を支持する結果が多く報告されていることがわかりました(Als-Nielsen B et al, JAMA 290, 921-928, 2003)。また、治療効果を支持する結果を示した論文と、支持しない結果を示した論文では、治療効果を支持しない結果を報告した論文の方が、臨床試験終了後から論文出版までの時間が長い(Decullier E, et al, BMJ 331:19)、といったデーターも報告されています。

 このように、論文発表される内容、学会で発表される内容も、製薬会社の意向の影響を受けたものになっている場合があることは、今や決して否定できません。

 

 さて、双極性障害の情報に関してはどのような状況になっているでしょうか?

 リチウムは古くからある薬である上、一般的な化学物質なので、特許も取れません。すなわち、リチウムを売って大きな利潤を上げている会社はない訳です。

 一方、非定型抗精神病薬はどうでしょうか? これらは新たに開発された薬であり、製薬会社が特許を持ち、大々的に販売しています。製薬会社としては、多額の開発費を投入して開発した以上、その開発費を取り返さないといけないわけですから、懸命に宣伝活動を行い、その中には、学会のサポート、研究費援助なども含まれるわけです。

 

 それでは、一体どうしたらよいのでしょうか。

 私は製薬会社の宣伝活動自体に文句をつけても仕方がないと思います。新薬開発は、何十万、何百万の物質の中で、薬として使えるたった一つの物質を探し出すという、巨額の開発費のかかるギャンブルのようなものです。企業である以上、やっと薬が開発できたら、それを売って利潤をあげないといけないのは当然のことです。

 むしろ、問題は、こうした情報を受け取る医師の側にあると考えるべきでしょう。医師としては、学会発表や論文を読む際にも、それらの背景に目を配りながら勉強しないといけない、ということになります。最近よく言われる、「メディア・リテラシー」と同じようなものです。(リテラシーとは『読み書き能力』のことで、マスコミの発表内容について、その情報の背景などにも注意を払いながら注意して読み解く能力、というような意味です。)

 最近では、論文の最後に、「conflict of interestinterestは利益、conflictは葛藤です)」という項目が書いてある場合も多くなってきました。その論文の内容に利害関係のある製薬会社などからの資金援助の有無などが書かれています。論文一つ読むにも、こうしたことを注意しなければならないという訳です。

 

 今ご覧いただいているホームページは、他のWebページに比べるとどう見ても見劣りのする、まことに無骨なものです。スポンサーを探して格好良いホームページを作ってもらうことも可能だと思いますが、こうした問題を考えると、たとえデザインがイマイチでも、UMIN(大学病院医療情報ネットワーク [University Hospital Medical Information Network] = 文部科学省の予算で運営されている全国42の国立大学病院のネットワーク組織)という公共のサーバーをお借りして、私個人の手作業で公平な情報を提供することの方に意味があると考えています。

 

2)     リチウム、バルプロ酸の服用量の問題

 

 さて、リチウム、バルプロ酸の量が多すぎる、と言われたとのことですが、ここにはいくつかの可能性があります。

 まず、血中濃度を測る際に、きちんと朝の薬を抜いて、最低値を測っているでしょうか? これは当然のことなのですが、朝の服薬後に採血をして測定した値を見て、「血中濃度が高すぎる」と仰る先生もおられるようなので、要注意です。

 次に、バルプロ酸の投与量と血中濃度の関係は、ちょっと変わっている点に注意が必要です。服用量を倍にすると血中濃度が倍になると何となく考えてしまいますが、バルプロ酸は、ある濃度を超えると、血中濃度がだんだんあがりにくくなってきます。そのため、血中濃度を測定しながらちょうど良いところを目指すと、1600mgとか、結構多めの量になってしまいます。これまで、保険診療ではバルプロ酸血中濃度が測れなかったこともあり、開業医の先生方の中には、600mg800mg程度(あるいはもっと少量)の無難な量を使われる先生も多かったと思います。最近、躁うつ病の病名で血中濃度を測定することが保険診療として認められましたので、今後は血中濃度を目安とした服用量設定が可能になり、こうした誤解は解けていくと思います。

 ちなみに、バルプロ酸の血中濃度と治療効果の関連については、これまで45100-125ug/mlとされていましたが、最近、新しい論文が出版されています。374名の躁病患者で、バルプロ酸群を血中濃度で6群とプラセボ群の計7群に分け、血中濃度と治療効果の関係を調べると、プラセボに比べて有意差が見られたのは71.4-85.0 mg/ml以上の群で、それ以下の群ではプラセボと有意差がなかったとのことです。また、高濃度グループ(94.1-107.0mg/ml>107.0 mg/ml)では低濃度グループ(< =55.0mg/ml)に比べ有効でした。この結果は、バルプロ酸濃度が高い程有効性が高いことを示しており、抗躁効果を期待するには、94mg/ml以上の血中濃度がベストだと考えられました(Allen MHら、Am J Psychiatry, 163:272-5, 2006)(なお、前項の関係で記しますと、この論文のfoot noteには、「Study sponsored by Abbott Laboratories[Abbottはバルプロ酸を販売している製薬会社]とあります。)

 その他、リチウム中毒は重症なので、医師としては、副作用で大変なことになるより、病気が悪くて再発する方がまし、という感覚があることも否定できないでしょう。副作用で訴えられたら大変ですから…。ちょっとうがった見方かもしれませんが、大学病院に比べ、開業医の先生方の方がリチウムの投与量が少なめになるのは、そんな事情もあるような気がします。