躁うつ病とミトコンドリアのCa2+シグナル制御機構

 

双極性障害(躁うつ病)の原因は、セロトニンなどのモノアミンに対する細胞内情報伝達の変化と考えられている。双極性障害では、磁気共鳴スペクトロスコピーにより脳エネルギー代謝異常が見られたこと、ミトコンドリア遺伝子多型が関連していたことなどから、ミトコンドリア機能障害が存在する可能性がある。近年、ミトコンドリアが細胞内カルシウムシグナリングに重要な役割を持つことが明らかとなっており、ミトコンドリアによるカルシウム制御の障害が双極性障害の本態である可能性について、現在検討中である。

 


躁うつ病は、躁状態、うつ状態という病相を繰り返す病気である。うつ病を含むとの誤解を招きやすいため、現在では双極性障害(Bipolar Disorder)と呼ばれることが多い。躁・うつの病相が治れば、健康な人と何ら変わりない生活ができるが、躁状態時の尊大な態度や莫大な借金などで社会的信用を失い、才能ある人が社会的生命を失うこともある。リチウム、カルバマゼピン、バルプロ酸などの気分安定薬が有効であるが、効果不十分、強い副作用などにより、結局は服薬を中断し、再発を繰り返すことが多い。その上、躁うつ病患者は、5人に1人が自殺により死亡するといわれ、生命予後にも重大な影響がある。

治療薬の作用から、その症状にセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンが関与することは明らかであるが、これらにかかわる遺伝子多型と躁うつ病の関連ははっきりしない。患者の血小板で、セロトニンおよびトロンビンに対する細胞内カルシウム反応が亢進しているというよく一致した所見、およびリチウムがイノシトールリン脂質−カルシウム系に働くという事実などから、この経路の機能変化が躁うつ病と関係すると考えられる。

躁うつ病の原因には遺伝要因の関与が大きいが、遺伝子連鎖解析が盛んに行われてきたにもかかわらず、原因遺伝子は未だ一つも見出されていない。多因子遺伝による複雑疾患であること、動物モデルがないこと、躁うつ病に特異的な神経病理所見が何一つないことなどがその研究を困難にしてきた。

これまでニューロサイエンスの中で、精神疾患研究の占める割合は低かったが、ここ数年、日本でも複数の大型プロジェクトが動き始めるなど、精神疾患を最先端の神経科学的手法により解明しようという気運が高まりつつあり、脳画像、分子遺伝学的研究、死後脳研究などにより、躁うつ病の原因が解明される日も近いかも知れない。  

 

■なぜミトコンドリアか

我々は、躁うつ病患者においてリン磁気共鳴スペクトロスコピーを用いて脳エネルギー代謝を調べ、細胞内pHの低下、クレアチンリン酸の低下、光刺激に対するクレアチンリン酸反応の異常などの所見を得た(Kato 1998)。特に、光刺激に対する反応は、ミトコンドリア筋症の一つである、慢性進行性外眼筋麻痺の所見と類似しており、これらの所見がミトコンドリア機能障害を反映している可能性が考えられた。

その後、臨床遺伝学的研究により、母系遺伝(ミトコンドリア遺伝)の関与が疑われることが指摘された。躁うつ病患者の死後脳では、ミトコンドリア遺伝子(mtDNA)の欠失が増加していた。また、mtDNA 5178/10398多型と躁うつ病が関連していた(Kato 2001)

 

■ミトコンドリアとカルシウム

しかし、なぜミトコンドリアが躁うつの症状と関係するだろうか。

近年、細胞内カルシウムプールとしてのミトコンドリアの役割が再認識されている。ミトコンドリア阻害薬投与で細胞内カルシウム反応が変化すること、mtDNA変異を持つ細胞でカルシウム反応が変化することなど、ミトコンドリア機能障害がカルシウム反応の変化を引き起こすことが知られている。

ミトコンドリアは小胞体との間に密な接触がある。IP3受容体から放出されたカルシウムは、近傍のミトコンドリアに取り込まれ、その後ミトコンドリアNa+/Ca2+ exchanger (mNCE)により排出される。躁うつ病の中でも、軽躁状態とうつ状態を呈する双極II型障害に奏効するといわれているclonazepamは、このmNCEの阻害薬である。

これらの事実を結びつける仮説として、ミトコンドリアの機能障害により、細胞内カルシウム制御機構が変化した結果、セロトニンなどに対する細胞内情報伝達機能が変化することが躁うつ病を引き起こすとの仮説に至った。通常はストレスに対して次第に慣れの現象が生じるが、躁うつ病では逆に次第に弱いストレスでも再発しやすくなる現象が見られ、これを精神刺激薬投与で見られる類似の現象に対応させて、行動感作仮説と呼ばれている。細胞内のカルシウムが上昇しやすい状態であれば、シナプス伝達の可塑性にも影響を与える可能性があり、これが躁うつ病で見られる行動感作現象を説明できるかも知れない(Kato 2000)。

 

      躁うつ病におけるミトコンドリアによるカルシウム制御の研究

我々は、上記の仮説を検証すべく、いくつかのアプローチで研究を行っている。

1)         サイブリッドによる研究

mtDNAを失った培養細胞(ローゼロ細胞)を、患者または健常者の血小板と融合させる。血小板は、mtDNAは含むが、核を持たないことから、核遺伝子は全く同一でありながら、mtDNAが患者や健常者と同じ、という細胞ができる。これをサイブリッドと呼ぶ。この細胞について、ミトコンドリア膜電位に差があるかどうかを検討すると共に、ミトコンドリア蛋白の一部をつけた、カルシウム依存性蛍光蛋白、Pericamを発現させたローゼロ細胞を作成し、この細胞とのサイブリッドを作成することで、ミトコンドリア内のカルシウム濃度がmtDNA多型により変化するかを検討している(数野2002)。

2)         リンパ球を用いた研究

 躁うつ病患者及び健常者の末梢血液からリンパ球を株化して培養し、そのカルシウム反応について検討中である。これまでのところ、thapsigargin刺激性カルシウム反応が躁うつ病患者のリンパ球では亢進していること、CCCP刺激性カルシウム反応はmtDNAと強く関連していることなどを見出した。この所見は、ミトコンドリア内カルシウム反応が、mtDNA多型により異なることを示唆している(加藤2002)。

3)         ミトコンドリア遺伝子変異蓄積マウスの作成とその解析

 ミトコンドリアDNAについては、通常の方法を用いたノックアウトマウス、トランスジェニックを作成することができない。そこで、我々は、ミトコンドリアDNA合成酵素、ポリメラーゼγに、点変異を導入し、複製能はあっても校正能のない酵素とし、これを組織特異的に発現させることで、神経細胞特異的にmtDNA変異が蓄積するトランスジェニックマウスを作成した。このマウスを用いて、mtDNA変異の蓄積が、カルシウム代謝にいかなる変化を生じるか、行動学的にいかなる変化を示すかについて検討していく予定である(笠原2002)。

 

      おわりに

現在、双極性障害を診断する検査はないため、診断はもっぱら面接によってのみなされている。こうした研究により、双極性障害に特異的な異常が同定されれば、臨床検査も可能となり、例えばうつ状態で初診した際に、抗うつ薬が良いか気分安定薬がよいか、といった臨床判断に用いることもできるようになるだろう。また、現在はうつ状態で会社を休んでいても、どの程度具合が悪いか検査で示すことができないため、患者さん本人も辛く、会社も対応に困る場合がある。肝機能検査のような気軽な検査ができれば、病気としてより理解されやすくなるだろう。

また、現在の気分安定薬は、副作用、有効性などの点でまだまだ問題がある。現在双極性障害の動物モデルがないため、新規薬剤のスクリーニングができない状態にあるが、双極性障害のモデル動物、あるいはモデル細胞が作成できれば、より系統的なドラッグスクリーニングが可能となると期待される。

 

 

 

文献

笠原和起、他. ミトコンドリアDNA以上が神経特異的に高頻度で蓄積する変異マウスの作製. 第24回日本生物学的精神医学会、2002410日〜12日、さいたま

数野安亜、他. 血小板由来ミトコンドリアDNAを持つサイブリッドにおける細胞内カルシウム動態.  24回日本生物学的精神医学会、2002410日〜12日、さいたま

加藤T、他 双極性障害患者の培養リンパ芽球細胞内Ca2+反応. 24回日本生物学的精神医学会、2002410日〜12日、さいたま

Kato T (2001) Mitochondrial DNA and mental disorders. Molecular Psychiatry 6: 625-633

Kato T, Kato N (2000) Mitochondrial dysfunction in bipolar disorder. Bipolar Disorder 2: 180-190

Kato T, Inubushi T, Kato N (1998) Magnetic resonance spectroscopy in affective disorders. Journal of Neuropsychiatry and Clinical Neuroscience 10: 133-147

 

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