日本うつ病学会 福岡 725-26日 

 

 日本うつ病学会は、英語名が「Jopanese Society of Mood Disorders」であり、双極性障害を含む気分障害の学会である。心理士、医師、看護師、産業保健など、幅広い職種の人たちが一同に介する貴重な機会である。期間中、双極性障害委員会の会合も行われた。

 

 今回の参加の主目的は、神田橋條治先生の招待講演の司会を務めることであった。

 

 神田橋先生の著作は以前より拝読していたが、直接お会いするのは初めてである。、どんな方だろう…と思っていたが、実に人間的魅力にあふれた方であった。その慈愛にあふれたお人柄から、専門知識を持った精神療法家としての技能だけでなく、シャーマン的な不思議な力をお持ちであるようにお見受けした。最近は色々オカルト的なお話もされるとのことで、若干の不安もあったが、そこはきちんと心得ておられ、講演ではオカルト的な話は全くなく、とても素晴らしい内容であった。

 神田橋先生のお話は、一言一言が箴言であり、問いかけでもある。従って、講演は聴衆一人一人が咀嚼する中で完成していくものであろう。従って、筆者がサマリーしようとしてできるようなものではないが、筆者が受け止めた内容の一端をご紹介する。

 

 神田橋先生が、「紹介患者に見るうつ病診療の問題点」というタイトル通りの話をするのをやめた理由の一つは、内海先生の本を読んで、精神科医は今、うつ病診療における大きな物語を失っている、ということに思い致ったためであった。

 本来、医者に来なくてすむようになることこそが治癒であるが、最近のうつ病診療では、回復後も半年薬を続けると言われていたのが、1年、1年半、と伸びていき、このままでは5歳でうつ病になって抗うつ薬で治ったら、一生薬を飲み続ける、というような話になりかねない。にもかかわらず、どうしたら薬がやめられるのか、という視点の研究は本学会にもほとんど見あたらなかった。(CINPで聞いた、SSRIactivation syndromeと離脱症候群は同じメカニズムの可能性が指摘されているが、前者の対応は「抗不安薬併用」、後者の対応は「再投与」となっている(!?)、という話を思い出した) このように、うつ病診療の向かう先に何のストーリーも見えない状況こそが現在問題である。「オタク」とは生きていく物語を失った人たちと言うことができるが、今のうつ病治療はまさにオタク的になっているのではないか。

 研究には3つの方向性がある。一つは、何とか治療につなげたいという情熱を持って行われる研究である。こうした研究では、研究がなかなか治療に結びつかないという切なさや悔しさがあるはずである(この文脈で拙著「躁うつ病とつきあう 第二版」をご紹介下さいました)。

 もう一つは、異常の研究を通して正常を知る、というストラテジーであり、精神疾患を通して人、脳、情報など高次の科学に寄与したい、病気を通して人間とは何かを理解したい、というモチベーションの研究である。(こちらは「精神の脳科学」のコンセプトである)。

 そしてもう一つがオタク的な研究。細部にこだわり、その研究が重要であると思い込むために視野を狭めている研究である。

現状は、本学会の抄録を見ても、このようなオタク的研究ばかりではないか。うつ病研究は今、「うつ病の診療がこんな風になったら良いねえ、みんなでこっちに行ってみようか…」という「物語」を失っているのである。

その後、お話はうつ病の治癒における物語の話にうつり、農地を売って、息子は不動産屋になり、経済的に豊かになってうつ病を発症し、納屋で首をつろうとした患者さんのお話をされた。納屋で首吊り、というのは、自分はまさに使われなくなった農器具と一緒、という訳である。この患者さんは、農業を再開し、日当たりを遮るビルが建ちそうになった隣の土地を買い占めてまで畑を続けた結果、良くなった。遷延性のうつ病では物語の回復こそが治療につながるのである。

うつ病患者とは、同じ方向を向き、群れることを選ぶ人たちであり、こういう人たちが自己実現できる物語を作ってあげることが治療につながる。困っている患者と一緒に困ることが同じ方向を向くということである。うつ病と言われても、そうは思えんでしょうなあ…という部分を共有する。

一方、双極性障害の人は、できるだけにぎやかに過ごすと良い。料理をしながらテレビを見て、青竹踏みもしてしまう位がちょうど良い。スーパーにあちこち行ったり、100円ショップに行ったり。

最後に、頑張るという言葉は、目的のために心身を省みない、ということなので、これはいかんというお話もされた。

質問したいことはたくさんあったが、一つだけ、「うつ病学会に見るうつ病研究の問題点」についてお話いただいたけれども、「物語を失ったうつ病研究への処方箋を教えてください」とご質問させていただいた。「みんなで頑張ることです」というジョークと共に、今のようにがちがちにならず、皆が自由にそれぞれのことをやりながらも一つの方向に向かって研究できるようになると良いですね、というような内容のお話をいただいた。

 

ご講演では時間の関係であまりやりとりができず残念であったが、控え室と夕食の際にも色々とお話を伺うことができ、とても感銘を受けた。

精神療法をやっていて、どうしてこういう風になるのか、最終的に脳がどうなっているのだろうか、というところまで関心を持たない人はおかしい、とか、こういう測定ができるから何か調べてみよう、というのはだめで、目的を目指して研究しないといけないとか、研究についての哲学も語ってくださり、大先輩に対して失礼ではあるが、共に歩む同志を得たような気持ちであった。

当日、いろいろな思いに圧倒され、何も言えなくなってしまい、尻切れトンボのように招待講演を終わりにしてしまったが、この場を借りて神田橋先生、およびこのような機会を作っていただいた、神庭先生、黒木先生、および主催者の先生方に感謝申し上げます。

 

 

その他では、水島広子先生の対人関係療法(IPT)のワークショップが興味深かった。

IPTは、うつ病に対して、認知行動療法と同等以上に有効であることが証明されている精神療法で、最近は月1回の治療で寛解維持にも有効と報告されている。

IPTは、よく効くと言われていた常識的な治療をまとめたものと言うことができ、どういう人がどういう時にうつになるかというエビデンスのみに基づいていて、原因の仮説はたてない。

以下に、IPTの特徴ややり方を、断片的に記す。

 

期間限定(依存、退行を防ぐ)

焦点化(4つの問題領域の1つに絞る)

現在の対人関係に絞る

精神内界、認知、パーソナリティーなどは取り扱わず、対人関係のみに焦点を当てる

防衛規制の解釈もしない

目標は認知を変えることでなく、対人関係のパターンを変えること

(否定的認知などはうつ病の症状として理解する)

知的な議論でなく、感情に根ざしていないといけない。そのために具体的なエピソードをなるべく引き出す。

IPTは技法ではなく戦略

医学モデルを使う

治療関係(転移)を扱うのは、治療の妨げになるときだけ

 

具体的な方法としては、

 

まず、対人関係の4つの領域のうち一つに焦点を当てることを患者との話し合いの上で決める。

悲哀(重要な人の死に限る)

対人関係上の役割を巡る不和(不一致)

役割の変化

対人関係の欠如(これはなるべく選ばないようにする)

 

       例えば、なかなか妊娠できない、というような内容は「役割の変化」と捉える。身体疾患もしかり。

治療者は患者の代弁者となる。提案はするが指示はしない。指示するかわりに質問をすることで本人の力を引き出す。共感的に接し、評価を下さない。楽観的、希望的に接し、患者との共同作業を進める。

 このように、ロジャース的な部分が強いが、唯一積極的に関わるのは、焦点がそれたら必ず対人関係に焦点を当てるように工夫するということ。また、昔の話にこだわり出したら、昔の体験を思い出したきっかけは…という風に、今の問題に戻す。

 

初期: 

病者の役割(病人という社会的役割)を与える。義務や責任が免除される代わりに、改善を助けてくれる人には協力する、など。

対人関係についての質問。全ての重要な他者(亡くなった人を含む)との関係を具体的に。頻度、共にする活動など。関係における期待の程度。満足できる、できない。どう変えたいのか。納得できるまで聞く。

両者の合意によって重要な領域を決定。

 

中期:

前回お会いしてから如何ですか、と前回の面接以後今回までの内容に絞ることを伝える。

気分を話すようならそれを出来事のレベルとして具体的に語ってもらい、出来事を語るようならそれを気分と結びつけていく。そして問題領域と関連づけていく。ロールプレイなどを行う。

悲哀、を領域に選定した場合、死者に対する怒り、裏切られた感じなどは、こちらからさりげなく取り上げた方が良い。

不和を領域に選定した場合、治療が途中で行き詰まった場合、交渉を再開させるために、あえて不調和を起こさせることもありうる。その場合は事前にそうなることを予言しておかないと、ドロップしてしまう。不和は期待の違いとして理解される。現状を把握し、選択肢を検討した上、ロールプレイなどを行う。(具体例が提示された)

ワークショップは、時間の関係で終結まで行き着かなかった。

 

全体に、いつもの臨床でやっているような内容に近く、納得しやすいものであった。治療上、ちょっと迷った時などに思い出せば、指針になる部分がたくさんあると感じた。

現在の精神医学では、心理との分業の推進ということもあり、力動的精神療法をそれほど熱心に教育しているとはいえないだろう。IPTは、ヒア&ナウしか取り上げないことや、精神内界よりも行動の変容を目指す点など、現代的な精神療法特有の特徴を持ち、保険診療の中でも何とか行える現代的な力動的精神療法のエッセンスとして有用だと感じた。ただ、精神分析やロジャースの来談者中心療法を取り込んではいるものの、認知行動療法とは一線を画している。将来的には、認知行動療法の良い点も取り入れた、より総合的な精神療法へと進化していくことに期待したいと思った。IPTは技法ではなく戦略である、ということなので、カウンセリングの技法や、最小限の精神分析の知識などと合わせて学ぶ必要はあるだろうが、精神医学研修で取り上げる精神療法としては、最も適しているのではないだろうか?

 

次回のうつ病学会は、東京で、久保木富房先生を会長として行われる。