Foresight参加記

20061017-18

 

英国のForesightプロジェクトの「Mental Capital and Wellbeing」に参加した。

http://www.foresight.gov.uk/

Foresightとは、「技術予測」という意味であるが、その概念の起源は実は日本にある。1970年、当時の科学技術庁により大規模な技術予測が開始され、以後5年ごとに施行され、現在は科学技術政策研究所により行われている。

英国のフォーサイト・プログラムは、この1970年代から日本で行われてきた技術予測を参考とし、さらにそれを政策目標の策定や研究予算の配分にまで適用しようとするものとして開始されたという。

こうした「技術予測」のアンケートは書いた記憶があるが、まさか英国がこれを参考にしているとは思わなかった。

未来の共通構想を発展させ実行させるために、今後数十年間の科学技術の動向について、会合を開いて民官学の意見をまとめ、これを政策決定に活かしてもらうように提言する。具体的なproductは、レビューのような報告書を提出することらしい。

今回は、内容が「心の資本と健康」ということであったため、この分野で先行している(?)日本から専門家を呼ぼうということで、僭越ながら私が参加させていただくことになった。

招集したのは、Sir David Kingで、元々生化学者であるが、首相に科学技術政策について直接助言する立場の方だそうだ。

会議の参加者には、私の知っている領域だけでも、Newcastle大の加齢健康研究所所長のProf. EdwardsonepigeneticsDr. Reikや、リズムのDr. FostergeneticsDr. Owen、脳科学と教育のDr. Goswamiなど、著名な研究者が多い。他にも神経科学、経済学、教育学、人類学、工業、統計学、心理学、その他の関係者等、総勢38名が参加した。

初日の夜は、dinnerであったが、その途中、Wellbeing50年前と今とでどう変わってきたか、25年後にどうなるか、という宿題が与えられ、議論した。皆、Happinessと言う言葉をよく使っていたが、Sir Kingは「Wellbeingとはintegrated happinessである」と言っていた。(結局よくわからないが) 

なお、mental capital(心の資本)は、ほとんど造語に近いもののようで、Social Capital (社会資本)、Human Capital (人的資本)

の連想から、「心」の有効利用できる可能性のあるpotential、というような意味のような感じらしかった。

2日目は、主催者より趣旨説明があった後、AD4組に分かれて、今後25年の間に、心の資本(mental capital)と心の健康(mental wellbeing)に影響を与える可能性がある因子(driver)をリストアップし、ここから影響の大きなトップ5の因子を選び、これらによってどのような課題が生じるか(challenge)を予測する、という作業を行った。この作業では、D組が更に3組に分けられ、3名ずつの議論することとなった。当初はとても発言する機会はないのではと思っていたが、ここまで細かくしてもらえるとさすがに発言の機会が得ることができた。

こうした作業で、ITinformation technology)、社会ネットワークの変化、家族のあり方の変化(英国の場合は離婚、再婚による家庭の複雑化が問題らしい)、職場環境の変化(バーチャル環境での在宅職務など)、神経変性疾患の治療の進歩、これらによって懸念される子どもの発達への影響など、問題が抽出された。

次に、全員が集まって、4組分の意見を集約した。

その後、また4グループに分かれて、これらに関して今後25年間どのような領域の研究が重要となるか、という議論が行われ、D組では精神疾患の網羅的エピジェネティクス解析、胎児期のエピジェネティックプログラミング機構の解明(いずれも、私ではなくDr. Reikによる提案)、病気の事前診断と予防、心理社会的療法の脳への影響、Brain Machine Interface(こっちが私の提案したもの)、神経経済学がリストアップされた。

他のグループでも同様の議論が行われ、その結果をまとめて投票し、重要な4つの領域が抽出された。1位が「自律性の制御Control of Autonomy」(よくわからないが、幸せとは、自分が自分らしく生きていると感じられること、ということだと理解した)、2位が「精神疾患の脳科学」、3位が24時間体制の世の中における人間の適応、4位が個人の職業に対する適応、であった。最終的に報告書で提案するのは、上位2つとのことであったが、4つの領域に別れて更に議論を深めることになった。3)も大いに関心のあるところだが、もちろん2)に参加した。

このセッションでは、認知神経科学者と思われる女性が、「なぜ病気の研究なのか、正常の研究も重要だ」と強い調子で意見を述べたが、他の基礎研究者から、病気の研究でわかることは、健康な心の研究でわかるの裏返しであり、病気の研究というアプローチの方が有効であること、正常の機能を高めることには倫理的問題が発生し、病気を治す方が現実的な目標であること、病気と正常の間には連続性があるので、様々な研究が可能となることなどから、やはり「心の資本と健康」のためには精神疾患の脳科学が有効であろうという結論になった。

その他のグループでは、「自律性の制御」に与える家庭、職場、学校、地域社会、物理的環境などさまざまな影響を検討すべきということや、制御感の測定をどのようにするかの検討、生産性を失った後の長い人生において自律性をどう考えるか、小児における自律性の発達についての検討、また自律性に国家がどれだけ関与しうるのか、といったことが問題提起された。「24時間体制の社会」への適応としては、各人の遺伝的なリズムへの適応性の検討、BMIによる仕事の効率化、仕事の適切なあり方などの重要性、といったことが提案された。個人にあった仕事、というセクションでは、相性の合う仕事が見つかるような求職システムの開発、柔軟性のある仕事環境、こころの健康の測定法の開発、などが提案された。

これらの結果に基づいて、今後小人数でのグループ討論が行われ、2年後位には最終的なステートメントが出されるようだ。

 これまで、税金を投入して技術予測を行うことの意義がよくわかっていなかったが、限りある資源を何の研究に使うのか、誰かがどこかで決めている訳である。これまでは決まってしまった枠の中で研究費をもらえる努力しか考えていなかったが、政策立案がこうした作業の中から行われていくと言うことを知って勉強になった。

 

 全体を通しての感想であるが、まず英国人の意識が日本人とはずいぶん異なる点があることがわかった。夕食時、皆がラグビーの話をしていて、筆者はベッカムくらいしか知らないので、英国でサッカーの人気はどうだと聞いてみたら、「ラグビーとサッカーを好む層が、何故か英国とフランスで逆なのが不思議だ」、とそっちの話になってしまい、どうやらここに参加している人はサッカーには関心がないらしかった。とにかく、classという単語がオフィシャルな発言として何度も聞かれたのは驚きであった。

 それから、今後25年に重要な領域、という中で、テクノロジーの話の比重が低いことも印象的であった。日本では当然でるであろう、ヒューマノイドロボットの話すらほとんど聞かれない。筆者が重要領域として提案したが、深く考えずに、「laboriousな作業をやってくれるロボット」と言ったのが、リストに残らなかった理由かも知れない。上記の状況から考えると、たぶんそうした仕事は誰かがやってくれるものだとでも思っているのだろう。介護ロボットなど、世界的に必要とされていると考えていたが、英国人の「知識階級」にとっては、切実な問題ではないどころか、「こうした仕事をしている人達から、仕事を奪ってはいけない」とでも思っているのかも知れない。また、日本では問題になると思われる、虐待の話も、筆者が提案しても、「それって増えてるんですかね」みたいに言われ、あまり共感が得られなかった。虐待のような問題も、別の世界のことだと思っているのかも知れない。ウォシュレットという画期的な日本独自の技術にも、日本人のある種の偏見のなさが関係していると思われるし、平等社会の日本でこそ進む研究という、意外な強みのある領域があるのかも知れない。

技術面では唯一、「体内植え込み型のコミュニケーションツールの可能性」という話がでたが、「…というツールをNTTが開発したらしい」という話であった。英国は先端技術開発については、匙を投げているのだろうか、と思わせると共に、日本の目指すべきところはやはり科学技術立国であると再認識した。

 それとも絡むが、筆者は、「安全な自動車ができて子どもが自由に外で遊べる社会」が心の健康な発達に重要だと意見を述べたのであるが、あまり共感を得られず、「人間の意志に基づいて安全に自動運転される自動車をBMIにより実現する」と言うことでBMIの文脈で理解してもらえた。筆者にとっては、豊かな自然の中でのびのびと生きることが幸せなのではないか、と思ったが、今回の参加者(私以外は全員英国人)にとっては、環境とは「人間関係」のみであると感じた。養老先生が、「中国の都市には自然の概念がない」というようなことを書かれていたが、英国人にとっても、人間といえば社会的人間であって、やはり身体は完全に取り残されていると感じた。養老先生が、いじめやひきこもりの子どもの文章を見ると、花鳥風月がない、というようなことを書かれていた。人間の存在をそのように一面的に捉えてしまうと、逃げ場がなくなるのでは、という意見であった。社会環境だけが環境ではなく、自然環境も存在するし、人間は社会的存在であると同時に身体的存在である、という、日本人にとってはごく自然に思えることが、英国人からは失われてしまっているのではないか、と感じられた。ぜひ日本発の哲学として唯脳論が世界に広まって、この極端な世の中の変革に寄与してほしいものである。

 いずれにしても、今回選ばれた4つはいずれも、「知識階級」の英国人が感じている、「社会的存在としての人間」の問題点ばかりを挙げた、ハイブロウなものに感じられ、人間のもっと不定型で言語化できない心の深層には迫っていないように感じられた。

とはいえ、精神疾患の脳科学が、今後25年間、英国で推進すべき2つの研究領域の一つと位置づけられたことは、少なくとも筆者にとっては喜ばしいことであった。