コールドスプリングハーバーシンポジウム「エピジェネティクス」参加記(2004年6月2日〜7日)

 

はじめに

 本シンポジウムは、コールドスプリングハーバーで毎年テーマを変えて行われているもので、69回目に当たるという。参加登録人数は1000人以上であったが、部屋のキャパシティーが少なくて、いつも通路まで人が座るという具合であった。

本シンポジウムに参加しようと思ったのは、もちろんエピジェネティクスに興味を持っていたからであるが、その告知ホームページに、一卵性双生児の写真が使われていたことが無意識に大きく働いたかも知れない。しかし、実際に参加してみると、一卵性双生児などのヒトについての演題は少なく、植物、酵母、ショウジョウバエ、線虫、マウスの研究が大多数であった。双生児研究に関する演題は、当チームの岩本さんの演題だけだった。

 他の研究者に聞いてみると、「何で双子の写真なんでしょうね?」という人もいたが、食事の時同席したショウジョウバエでヒストンの研究をしている研究者に聞いてみたら、「同じゲノムから育った2人の双子の違いはエピジェネティックなものだからでしょう」と明確に答えてくれた。我々の「不一致例の原因はエピジェネティクス」という発想は、エピジェネティクス研究者からみても、ごく自然な発想だということであろう。

 

エピジェネティクスとは何か

 エピジェネティクス、という言葉の意味自体を議論する演題もあった程で、その言葉が意味する内容は曖昧であるが、大きく分けて、1942年にConrad Waddingtonが用いた、「形態形成と分化を導く、細胞および細胞生産物の一連の相互作用」という定義と、1958年にDavid Nanneyが用いた、「体細胞分裂と減数分裂において伝達されうる遺伝子機能の多様性のうち、DNA配列の違いによって説明できないものについての研究」という定義という、2つの流れがある。筆者の理解は後者の方のつもりであったが、「体細胞分裂において伝達されうる」という点の理解が不足していたように思う。培養細胞を飼うとき、その形態や機能が保たれているメカニズムは全てエピジェネティクスだということになる。

一方、前者の定義を考えると、現在エピジェネティクスの研究の中心の一つとなっているクローン研究が象徴的である。ゲノムが同じなのに、同じように発生しないのは何故か?という疑問を出発点にすると、ゲノム配列以外の要素で発生、分化に関与する全ての因子の相互作用は全てエピジェネティクスとなる。標的遺伝子毎に異なるメチル化DNA結合蛋白が存在する、というような話になってくると、転写因子との違いも明確ではない。ヒストン修飾についても、実は細胞分裂時にheritableであるメカニズムは明らかではない。ヒストン修飾の中では、リジン残基のメチル化は安定で、体細胞分裂時に維持されそうであるが、アセチル化となると、よりダイナミックで、分裂時に保存されるとの確証はない。また、細胞分裂時にヒストンメチル化が維持されるメカニズムも、現在論争になっている領域のようである。本学会で提案され、注目された仮説として、細胞分裂時、4量体のヒストンが、2つの2量体に分かれて、それぞれ娘細胞に伝達されるというモデルがある。メチル化されているヒストンは関連蛋白をリクルートしてくるので、反対側に新たな2量体が結合して4量体となってから、前と同じ修飾を受けるようになり、ヒストンの状態がコピーされるというわけである。この仮説は、明らかな反証が既に提示されていて、出ては消えている仮説だというが、やはり魅力的に思えた。

このように、ヒストンメチル化は伝達されるかも知れないとしても、他の修飾は伝達されるかどうかはっきりしないにもかかわらず、全てエピジェネティクス研究として行われている。他にも、微妙な転写制御の話も発表されており、エピジェネティクスは発生生物学のかなり幅広い領域をカバーするように思われた。となると、遺伝学以外がエピジェネティクス、というよりは、エピジェネティクスの一分野が遺伝学だと考えた方が良いくらいである。

 

全体の構成

残念ながら、本シンポジウムの抄録には、「この抄録の内容を引用してはならない。ここに含まれる内容はパーソナルコミュニケーションとして取り扱われるべきであり、引用する際は著者の許可を必要とする」との注意書きがあり、細かな内容は紹介することができないが、全体的な印象と、既に出版されているのに知らなかったこと(筆者の場合前知識がゼロに近いので、ほとんどがこれである)のみ、ご紹介したい。

 本シンポジウムは、全体が3つのポスターセッションを含む14のセッションに分かれており、そのタイトルは、

1 イントロダクション

2          核リプログラミング、染色体不活化、インプリンティング

3          ポスターセッションI

4          small RNA

5          DNAメチル化−そのメカニズムと制御

6          ポスターセッションI

7          位置効果と核組織化

8          クロマチンの遺伝(Inheritance)と組み立て

9          ポスターセッションII

10     遺伝子発現のエピジェネティック制御

11     ヒストン修飾

12     エピジェネティックスのねじれ?(Twist

13     small RNAI

14     エピジェネティクスと疾患

というものであり、今書いてみても、面白そうだとは思うものの、前述の通り、多くが植物、酵母、ショウジョウバエ、線虫などの研究で、マウス、ヒトは少数派である。

 

種差

まず、最初の印象は、種差が大きいことである。遺伝学については、細菌からヒトに至るまで、基本的には非常に近く、真核細胞以降はほとんど同じメカニズムが保存されていると言って良かろう。ゲノムプロジェクトでも、細菌、酵母、シロイヌナズナ、米、ショウジョウバエ、線虫、フグ、マウス、ヒト、といった生物のゲノムの情報は、等価のものとして取り扱われている訳である。

しかしながら、エピジェネティクスに関しては、こうした考えは通用しないかも知れない。X染色体を2本持つ女性と1本しか持たない男性の差を埋め合わせる機構は、ほ乳類では2本のX染色体のうち1本が不活化されるという現象により行われるが、これはほ乳類のみで、ハエではオスのXが倍に発現する、線虫ではメスの両染色体の発現が半分に抑制される、というメカニズムによるという。マウスでは、精子由来のX染色体はいったんインプリンティングを受けて不活化され、胚の成長後これが解かれて、再度ランダムにX不活化されるという現象が見られる。

マウスでは、インプリンティングを受けるIGF2Rなどの遺伝子クラスター(ヒトでは11番染色体に当たる部分)に、逆向きに転写されるAirと呼ばれる長いnon-coding RNAが存在し、これがインプリンティングを調節している。Airは、X染色体不活化に関わるnon-coding RNAXistと類似点が多い。しかしながら、Xistはほ乳類では保存されているものの、Airはヒトにはなく、ヒトではIGF2Rがインプリンティングを受けない。このように、インプリンティング機構となると、マウスとヒトの間でさえ保存されていないのである。これらの分子メカニズムについては、非常に詳細な解析が報告された。(どうでも良いことだが、X染色体不活化について発表した3名の研究者が全て女性であったことが印象深かった。やはり、X染色体を2本持っていて、うち1本が不活化されている女性の方が、1本かかえて全部使っている男性より、この現象に興味を持つということだろうか?)

 

ヒストン

 ヒストンの修飾には、静的なものと動的なものがあり、静的な制御としてはリジン残基のメチル化がある。これは場合によって、遺伝子発現の抑制にも活性化にも働く。一方、動的な制御のうち、リジンのアセチル化、ユビキチン化は活性化、スモイル化は抑制的に働く。動的な制御には、セリン/スレオニン残基のリン酸化による活性化もある。他には、メチル化されたアルギニンがカルシウム依存性に酵素によりシトルリン化されることの意義を提案する報告もあった。

とにかく今回のシンポジウムではヒストン制御の話がうんざりするほど多かった。

 

RNAi

RNAiの生理的意義にについての研究の進展には、目を見張るものがあった。ただし、siRNAmicroRNARNAiなどの違いがよくわからなかった。まだ誰にもわからないのかも知れない。

RNAiは、遺伝子発現をノックダウンするツールとしての利用が先行してきたが、最近は、その生物学的意義についての研究が進んでいる。

RNAウイルスを不活化したり、内在性のトランスポゾンを抑制する、「ゲノムの免疫系」として働いている。また、染色体のセントロメアのリピート配列からsiRNAが内在性に作られ、これが多くのクロマチン蛋白質をリクルートしてヘテロクロマチンを形成し、周辺の遺伝子発現を抑制している。これらの話は、恥ずかしながら初めて聞いたが、ここ数年でこうした内容の論文が多数発表され、共通認識になりつつあるようであった。ただし、しつこいようであるが、ヒトでの研究はほとんどなく、これらは酵母、植物などの研究が多いことは要注意である。

RNAiは、脳には聞きにくいが、線虫で変異をスクリーニングすると、脳にRNAiがきくようになる変異体が見つかり、脳でRNAiを効かなくさせるメカニズムがあるのかも知れない。

マイクロRNAは、ヒトでは200250個くらい存在すると見積もられている。多くは転写因子のmRNAに相補的な配列をもっていることから、細胞が分化する途中に、それまで発現していた転写因子をマイクロRNAで抑制しつつ、新たな転写因子を発現させて細胞が分化していくのではないか、という仮説が提示されていた。ヒトでマイクロRNAにより制御される遺伝子はまだ明らかにされていない。植物のマイクロRNAが標的遺伝子とほぼ一致した配列を持つのに対し、ヒトでは配列の相補性が完全ではないと考えられているようだ。(その根拠はまだ良く理解できていない。) イン・シリコでの予測によると、種々の転写因子の他、脳由来成長因子なども制御を受ける可能性があるという。

siRNAを与えると、標的mRNA5’末側にも二次的なsiRNAが現れるが、これは最初に与えたsiRNAからアンチセンスRNAが作られ、これがDicerにより切られてできるとう。

 

DNAメチル化

マウスの同一個体で組織毎のメチル化の違いをRLGSで調べた報告があり、組織特異的なスポットが同定されていた。これは同一個体で行われたもので、別個体なら10%位のスポットは違っているとのことであった。RLGSで得られたスポットのクローニングはかなり困難な作業らしいが、in silico RLGという、ゲノム情報からのスポット予測の方法が考案され、クローニングが容易になったという(Nuc Acid Res 31: 4490-4496, 2003)。しかし、又聞きの噂では、「RLGSをひとりで立ち上げようなどと思ってはいけない。ポスドク二人が死ぬ覚悟でやれ」とのことで、気軽に手を出せる方法ではないとのことである。

DNA中のメチル化シトシンは、チミンに脱アミノ化されやすいが、これを触媒する酵素が発見された。これが受精卵でよく発現しているということであったが、そんな危険な酵素が発現していて大丈夫か?と不思議である。ちなみに、この酵素をうまく使えば、バイサルファイト・シーケンス法に変わるエピジェネティクスの基本技術となる可能性があると思われ、その応用にも期待したいところだ。

Human Epigenome Projectというものがあり、まずはMHC遺伝子群のCpGサイトのメチル化の情報が調べられ、Webにて公開されているとのことであった(http://www.epigenome.org)。

マウスでDNAメチル化に関与する酵素の一つDmnt3Lをノックアウトすると、レトロトランスポゾンのDNAメチル化が低下してしまうという。

なお、ヒトでトランスポゾンを調べた研究はほとんないが、2週間ほど前にジョンスホプキンスのグループがヒトにおけるトランスポゾンの研究をネイチャーに2本同時に報告したと聞いた。詳細はまだ調べていないが、トランスポゾンが親から子供の世代の間で動いた証拠は示していないらしい。そのラボでは、現在糖尿病がトランスポゾンで起こるのではないかと考えて研究を進めているという。精神疾患までは手が回らないと言っていた。南光先生のグループが、最近ヒトでトランスポゾンが動いている証拠を見つけたが、これは非常にタイムリーな発見で、注目されるのではないかと思った。

植物でDNAメチル化酵素をノックアウトすると、ゲノム全体が低メチル化状態になる。その後野生型と交配しても、しばらく低メチル化状態が続き、数世代のバッククロスを経てやっとメチル化状態が回復するという。植物ではあるが、メチル化状態が遺伝する例の一つと考えられた。

植物では、天然にはセントロメアにしかトランスポゾンは存在しないが、メチル化酵素をノックアウトすると、テロメア側にも現れるようになる。これは、妙な場所にトランスポゾンが入ってしまうと、淘汰されるためであると考えられた。

Orion Genomics社は、ゲノム全体の遺伝子のメチル化状態を網羅的に解析する方法を開発した。これは、

1)         ゲノム全体を1kb程度の断片に物理的に切断する

2)         CpG2個あれば、その間隔は問わないというメチル化感受性制限酵素(名前忘れた)で切断する

3)         以上の操作により、メチル化されていないCpGアイランドは細かく切断され、メチル化されているCpGアイランドは1kbのまま残る

4)         ほぼ全ての遺伝子(とはいえ16000位とのこと)のCpGアイランドより、3次構造を作りにくく、繰り返し配列でなく、その遺伝子に特異的な約60bpの配列を選び、前述のサンプルの処理前後の断片にそれぞれ違う色素をつけてアプライする。

5)         これをマイクロアレイ解析すると、メチル化されているCpGアイランドがわかる

 という方法である。この方法は2に使う制限酵素と、4のアレイの設計が肝だと思われた。この技術はまだ売る段階にはないとのことで、彼らはCpGアイランドアレイよりも、この方法でガン特異的メチル化異常を見つけて、これを診断法として販売する計画とのことで、残念ながらすぐに行えるものではなさそうであった。一応共同研究はできないか、とお願いしておいた。

一緒に出席した岩本さん、倉富さんの話では、ファインバーグ氏の講演は、「今後は精神疾患などの多因子疾患でもエピジェネティクスを調べないといけない!」と強力に主張するもので、最も元気の出る講演だったという。残念ながら、筆者は時差ぼけで寝過ごしてしまった…。論文を調べたところでは、IGF2というインプリンティング遺伝子のインプリンティング状態に多型性があり、これが大腸ガンの危険因子(オッズ比5)となるとのことであった。しかも、このインプリンティング異常は、大腸のみで見られる患者もいるものの、多くの患者ではリンパ球でも見られるというのだ。これは確かにやる気の出る話である。

 

その他

ヒトでは、X染色体やインプリンティング以外にも、2染色体のうち1本からしか遺伝子が発現しない機構(モノアレリック発現)が見られる。嗅覚受容体、免疫グロブリン、T細胞受容体、インターロイキンなどである。この制御は、染色体レベルで行われており、染色体2本が違ったタイミングで複製されることと関係があるようだ。(この演題、すごく興味があったのに寝過ごして聞き損ねた…)

アポモルフィンに対して常同行動を示す閾値が異なるウィスター系亜種のラットが15年位前から交配されて作られた。プレパルスインヒビションの異常などがあることから、統合失調症の動物モデルとして解析しているという。その行動異常がこのラットにおけるマイクロアレイの結果、彼らがGMC4と名付けた転写物のみが下がっていた。このゲノム領域を調べたところ、野生型のウィスター系ラットではこの遺伝子はタンデムに3コピーあるが、このラットでは1コピーまたは2コピーしかなかった。これは染色体不均等交叉によるものと思われた。現在、統合失調症患者で解析しているとのことであるが、この遺伝子の機能、患者における遺伝子解析の結果はまだ秘密とのことであった。ヒトではこの遺伝子は1コピーしかないらしいが、もしこの挿入欠失多型がヒトでも病気を起こしていたら、まさに大発見であろう。ただ、発表者自身は、この遺伝子のコピー数が不安定になるエピジェネティックなメカニズムを解明したい、と言っていた。ここまで遺伝学的に明確なら、別にエピジェネティクスを持ち出さなくても良いんじゃないか?と思ってしまった。

その他、最近、羊で発見された、お尻が大きくなる遺伝子変異がインプリンティングを受ける遺伝子だった話も報告された。

植物で見つかった現象として、「ヘテロで変異を持つ植物を掛け合わせてホモ変異の植物を作り、ホモ同士で掛け合わせたら、野生型が現れた」という話も報告された。コンタミや他にも同じ遺伝子のコピーがある可能性など、色々検討した結果、残るは、細胞質に残っていた野生型のmRNAがゲノムDNAにコピーされた可能性しかないという。もし本当なら、これもエピジェネティックな現象と言えるだろうし、もしヒトでもこういう現象が起こりうるなら、RNAによる遺伝子治療が可能かも知れない。

 最終日、筆者は次の予定(MITリトリート)出席のため、ボストンに向かわねばならず、最後のセッションに参加できなかった。これが何と、「エピジェネティクスと疾患」という、最も関係ありそうなセッションだったのである(涙)。ここで、Dr.クラーという人が、統合失調症と11番の染色体の関係についての演題を出していた。抄録の内容は曖昧だし、本人と話をしたときも、今ひとつはっきりしない印象を受けたため、どうかなあ〜と思っていたが、この人は、実は酵母のエピジェネティクスの世界ではかなりの大御所らしい。参加できなくて悔しいので論文を読んでみたところ、DISC1の家系で転座保有者の半分しか発症していないのは、DISC1が原因遺伝子ではなく、11番染色体上の複数の遺伝子のかも知れない、これが酵母の遺伝学のアナロジーで説明できる、という話であった。正直なところ、違うんじゃないの〜という論文で、最後のセッションに参加できない悔しさはだいぶ和らいだのであった…。

 

感想

以上、6日も参加したのにたったこれだけ?という程度の理解内容ではあるが、これは高校を卒業する前に大学院の講義に出てしまったというレベルの、私の不勉強によるものである。これらの研究がヒトに応用され、更にこれらの病態が存在するのかも知れないと考えると、今後やるべきことはあまりに多い。

理研の隣のチームの西道隆臣チームリーダーの名言で、「研究には、漁業、農業、林業がある」というのがある。これは、とりあえずそこにいる魚を捕ってくるレベルの、やれば結果の出る研究、数年かけてじっくり育てる研究、もっと長い目で見て育てていく研究がある、ということである。例えば、集めたDNAサンプルで候補遺伝子のSNPgenotypeして関連を見る、というような研究は漁業に属し、興味あるトランスジェニックマウスを作って解析する、というのは農業に属する訳であろう。その意味では、エピジェネティクスは、精神疾患研究においては、まだ「林業」に属するのかも知れない。しかし、遺伝子研究で何一つとして確実な証拠が得られない中で、精神疾患の病因の少なくとも一部がエピジェネティクスにより理解される日が来るのではないか、と期待される。

来年は、ゴードンカンファレンスでエピジェネティクスが取り上げられるという。前半、線虫、植物、酵母の演題に疲れ果てて、来年は行かなくても良いかな、と思ったが、この勢いで研究が進歩し、様々な実験技術が確立したら、ヒトの病態研究はあっという間だなとも思った。岩本さんには、ぜひ来年のゴードンも演題を出していただきたいところである。

 

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