CINPプログラム委員会参加記 2005年5月5〜6日 (at Chicago)

 

 2006年6月にシカゴで行われる国際神経精神薬理学会のプログラム委員会に参加した。学会そのものではないので、学問的知識を得たわけではないが、色々思うところがあったので、印象を記しておきたい。

CINPは前回のパリでは6000人以上が参加した巨大学会で、今回の議題は約120のシンポジウム提案の中から取捨選択、再構成しながら、最終的に50〜60のシンポジウムを決定するものであった。メンバーは、会長のBrian Leonard教授(アイルランド)をはじめとして、Hurbert Meltzer教授(米国)、Graham Burrows教授(オーストラリア)、Remi Quirion教授(カナダ)、Torgney Svensson教授(スウェーデン)他、12名であった。このような錚々たるメンバーの中に私のような若輩者が混じっているのは、山脇教授にご推薦をいただいたためであるが、前回(パリ)での委員会に続き2回目ということで、居心地の悪さも多少は薄らいだ。他の委員についてはあまり下調べもせずに参加して、雑談の中から相手がどんな研究をしているか少しずつわかってきたのであるが、せっかく著名な先生方と2日間寝食を共にするのだから、相手が現在どんな研究をしているかをよく調べて、この機会に色々聞いてみれば良かったと反省した。

 国内学会のプログラム委員会では、委員自身が提案をして、委員会での合議でシンポジウムを決めることがほとんどである。しかし、北米神経科学会(SFN)、ACNP(米国神経精神薬理学会)もCINPと同様のシステムのようであり、むしろ国際的にはこのやり方の方が一般的なのかも知れない。

シンポジウム案を広く公募するやり方は、日本のやり方と比べると、プログラム委員が知らない領域の提案や人物が提案されてくるという点は一見メリットのようであるが、実はそうでもないように思われた。実は素晴らしい提案かも知れないものでも、委員が知らないものは「つまらない」の一言で終わりになってしまう。養老先生が書いておられるように、結局我々が理解できるのは、元々自分の頭の中にあったものだけ、ということか。提案者が一所懸命に考えた提案を委員が勝手にああだこうだと変更してしまう位なら、最初から委員が提案した方が良いのでは…と思わないでもない。スピーカーに連絡したりする手間を提案者に押しつけている、と言ったら言い過ぎであろうか。中には、旅費、滞在費を期待して提案する人もいるのかも知れないが…。

結局、いわば多数決で、委員も年輩のオーソリティーの先生方が多いし、このメンバーで皆が知っている内容というと、すでに古くなってしまっている可能性もある。このやり方だと、下手をすると最先端の科学が抜け落ちる心配があると思った。若者の提案を信じて採用する勇気が必要なのかも知れない。なかなか現在の私の立場では言い出しにくいことではあるが、せめて自分が歳をとったら、このことを思い出さねばなるまい。

そんな中、日本発の提案を何とか通したいという私のもくろみは、ほとんど成功しなかった。一方、ある先生が自国発の提案について、「この提案は点数はちょっと足りないが結構良いと思うのだがどうか」などとうまく切り出して、まんまと採用させていた。後で「うまく復活させましたね」と聞いたら、「会議で自分の提案をうまく採用させるコツは、終わりの3分前に提案することさ。私の長い経験からね」とおっしゃっていた。なるほど、これが人生経験というものか…。

そんな具合で議論が進んでいくうちに、自分がこの会議に参加している意味は何だろうか、との思いもふつふつと涌いてきた。今回は旅費も向こう持ちだし、連休中に休みを一日とっただけなので、(家庭の支障はともかく)仕事の支障にはそれほどならなかったが、この議論に参加していることが果たして病気の解明や新しい治療法の開発の促進につながるのか、これは自分の使命なのか、ちょっと自信が持てなかった。そもそも学会とは何か、本当に知るべき知識とは何なのか…。自分たちは絶対に違うと断言できるが、ひょっとして学会活動のための研究という本末転倒がどこかで行われていやしないか、と漠然とした危惧を覚えたりするのであった。

そんな中でも、一つ意味があったとすれば、夏の理研BSIサマープログラム委員長に向けて、練習になったことだけは間違いない。2日間缶詰で海外の先生方と寝食を共にすることにとりあえず耐えることができた(ただし時差ぼけでディナーを一回休んだが)のは、まあまあ収穫といえる。

自分の最も苦手な英語での「雑談」には、以前より多少参加できたような気もするが、まだまだ十分理解できていない。英語のヒアリング力の問題もあるが、文化的知識、語彙のなさが災いしている。内容は十分理解できなかったが、他の先生方が、「ユダヤ人ってこうだよな!」とか言ってゲラゲラ笑っているのには驚いた。このような人種ネタはタブーじゃないんですか?と他の人に聞いたら、笑っていた3人は皆ユダヤ系なのだという。アメリカでは、人種、政治、体型などの話題はpolitically incorrectだから避けるべし、と聞いていたが、今回はこれらのネタ炸裂、という感じであった。聞くところによると、これらは「ヨーロッパ流」だという。別にまねすべきことでもないが、アメリカ=グローバルスタンダードではないことの一例であろう。

反省点としては、他の人たちから色々日本のネタをふっていただいたのに、うまく説明できなかったことだ。一例であるが、Aさん:「『Shall we dance』を見たけど、ハリウッド版には幻滅。日本版の方が良かった」 B:「へえ、どんな映画?」 →と僕に振られたが、映画を観たのに何も説明できず悔しかった。結局Aさんが、中年の危機を描いた映画である等詳しく説明してくれたが…。他にも日本文化のことなど、もっともっと説明できないといけないのに悔しかった。

今回、アジアの委員は私一人であったが、採用されたアジア発のシンポジウム提案は数少なく、アジアの人をプレナリーレクチャラーにすることもできなかった。国連の常任理事国入りの問題では、周辺国の反発を受けながらも、日本はアジアの中で、ある役割を果たしていく決意を表明している。別にアジア代表として選ばれた訳ではないが、現実に国際学会の委員の中でアジアから一人だけとなると、そのような役割を果たさざるを得ない。私のような草の根のレベルでも、そうした自覚を持って、もっとがんばらねばと思った。

 

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