脳神経外科医の経験とは何かについて記述中です。

写真は第24回日本脳腫瘍学会がお世話になった阿寒観光協会の提供です。阿寒はきれいですね(^O^)

 2005年3月31日の朝日新聞に,「揺らぐ専門医!」「基本的な知識や技術力が不足していた」「心もとない知識・技術」「外科医未術と指摘」「養成システム改革急務」と見出しが出ていました。何ともこれを書かれては,私も専門性の高い外科医としてやるせない気持ちになります(;_;)

 さらにこの記事は続けます「外科医としての技量の維持にはなるべく多くの手術をすることが望ましい。医師数が多いと1人あたりの手術数が少なくなる。研修病院を減らし、専門医の認定要件を厳しくして数をしぼるしかない。」

 そんなことは心臓血管外科専門医の分野だけではなく,脳神経外科の領域でも20年も前から分かっていることなのです。

 欧米やアジアの多くの国では専門性の高い外科手術を担う専門医の数を厳しく制限しています。でも今までも,これからも日本では制度的にそれをしていないし,する予定がない。ですから若い専門医や研修医の責任でもなんでもないのです。若い外科医がそれを自覚していて焦る気持ちが何かを起こすような気もします。

 誰がこのような状態にしたのでしょうか?また誰がこのような現状をこれからもこのまま放っておこうとしているのでしょうか?マスコミの指摘しているような専門性の高い外科医の数が無用に多いこと自体を変わらない夢として求めている人がいるのでしょうか?

 当面何も変わらないし変えようとしても20年くらいかかるでしょうから,マスメディアがこれ以上この問題を取り上げないことを願っています。批判の対象になるのは経験が浅いとされる若い外科医のみでしょう(>_<)

 では患者さんはどうしたらいいのでしょう。これは医師の側からの価値観とは全く違う観点になります。

 とても単純に考えれば,かの新聞が答えを出しているのです。「外科医としての技量の維持にはなるべく多くの手術をすることが望ましい。」ならば,経験をたくさん積んだ外科医を捜せばいいのです。

 一方で雑誌と新聞は「いい病院」を伝えます。「いい病院」はたぶん良いのでしょう。でもちょっと待って下さい。医療記事で批判の対象になるのも多くは有名な大病院です。でもそこにはたくさんの外科医がいて彼らメディアのいう「いい病院」に良い外科医はいるのでしょうか?

 ではもう一つの観点、経験のある外科医当人にとっての「経験」とは何でしょう。たくさん経験して手術の技術が高度に磨き上げられるばかりではありません。

 私にとって経験という日本語が連想させることは,患者さんと患者さんの家族との辛い思い出ばかりで,なぜか嬉しいことはこれっぽっちも残っていません。おそらく私は,そういう意味での経験の深い外科医の一人ですが,外科医がさらに経験を積むという重みを耐えるのにはとても体力が要ります。

 外科医の深くてつらい経験は正しい情報として世の中に出ることはありません。テレビを見ていて有名だとされる外科医をみるにつけいつもそう思います。Dr.コトーも結局は美しい思い出をたくさん残せる人で,そんな外科医は現実にはいないのであってーー。


 2005年9月のある日,若い研修医にいわれました「今日のような手術が成功したら達成感があるでしょうね!」彼は瞳の光っている外科医です。 そうなのかな?と思って聞きました。

 人の体を切ることは医療者にとって最後の手段なのですが,どうして私がこんなことをしているのか理屈の外にいて手術をしていると,追い詰められた感覚に捕らわれます。

 夜遅くですが,幸い手術を終えることができました。でも,やり場のない疲労感のみが残り,家に帰っても眠ることはできません。

 次の日に,その子の術後回診をしなければならないのですが,病室に行く足はいつものように重いのです。言われたような達成感を努力して想像しようとしたのですが,そうはできず,つらそうな患児の顔をまともに見ることができません。

 看護士さんから恐い顔をしているといわれます。いつの日からこんな風になったのかは,不明です(-_-)。。。

 彼が私と同じような年齢の外科医になった時,どのような笑顔で術後の患者さんを見つめるのでしょう。彼のいう達成感が彼の頭の中をよぎり,彼の疲労をぬぐい去ってくれることを祈ります。

 外科医の神様がいるのならば,その時も彼の瞳が光っていますように,再度,お祈り_(._.)_ 


 2007年5月の朝刊に,ある著名な脳外科医からの投稿のようなものが載っていました。公立病院に勤務する外科系の医師のことです。

 記事によれば,「日常的な長い勤務,緊張の連続,体にメスを入れる行為はもともと危険で訴訟と逮捕の危険,医学部を卒業してからの訓練期間が長い,さらに腕を上げるためには10年以上もの下積み期間がある,しかしそれに見合う報酬ではない,がんばって手術数を増やして病院に貢献しても医師が忙しくなるだけで自分の収入は変わらない,手術できる医長でも大学では時給にすれば2200円程度」とのことです (・_・、)

 「40代までは手術がうまくなりたいとがんばる。でも,その後に,何の見返りもないことに気づく。のんびり暮らした方がまし,と手術室から立ち去る。やがて,日本国内では手術ができなくなる。」とも書かれていました w(゚o゚)w

 恐いことに私はこの記事に共感します。

 50歳をすぎたくらいで,公立病院の一線から引いてしまったりっぱな脳外科医を知っています。残念です。この記事に書いてあるとおり,40代まではがんばる,それを越えて踏みとどまることできないのが,現実かもしれません。

 病院も患者さん側も,なぜ彼らをもっと大切にできなかったのでしょう。積み上げられた外科医の経験と技術は,とてもたいせつな国民の財産ともいえるものです。国がお金をかけて,患者さんは体をはって,十数年かけてそれを育てたということ,目には見えないけれども何にも代えがたい医療技術であることが,認識されていないのかもしれません。また,熟練した外科医に残された臨床医としての命は,とても短いです。

 ちなみに,すぐれた最新鋭の医療機器はお金さえあればすぐに買えます。

 この命題を考えると,逆に,モラルハザードという言葉が頭の隅をよぎります。次に予想されるエリートの倫理観の崩壊と堕落です。

 私の周りにいる多くの研修医は,とてもまじめで熱意があって,一般の方にはおそらく想像もできないくらいの長時間労働と勉強と緊張に誠実に耐えています。やりがいとか達成感とか充実感とか使命感とか義務感とかを,まだ,信じていて,あとに続く若者はいるのですが。


 私は2010年6月に北海道大学病院を退職しました。脳神経外科の医局というところに入局(就職みたいなもの)して30年以上,北大病院の正職員として20年以上勤続しました。その間,無給だったことも,研究生として逆にお金を納めて研究していたこともあり,当直料や超過勤務手当などつかない期間が長くありました。何よりもまして過労死という言葉が理解できる立場にいましたーー。 7月にいただいた退職金が,9,619,173円でした (-_-)。。 一方で,2011年厚生労働省の調べた開業医の平均年収は,27,550,000円だそうです w(゚o゚)w

 医師の年収がむやみに高いことが良いことではありません。でも,卒業間近の医学生や若い研修医の先生はよくよく考えて下さい。もちろん医師という仕事は尊い職業です。でも労働時間の観点から,自分自身と家族の生活の質も大切にした選択をしなければなりません。計算のできる方であれば,大学以外との生涯給与の差も大きいことに気づかれると思います。

 私は大学病院を否定しているのではなくて,とても充実した生活をさせていただいたと,ほんとに感謝しています。働きがいのある職場です。でも,将来の大学病院に人材を残すためには待遇の改善が必須です。

 一方で,医局から医師を派遣して地方の病院を支えるというシステムが,これからも可能でしょうか? かつてのように大学医学部に医師を集めて,医局という何らの法的根拠を持たない組織が,地域の医師の適正配置の中心を担うなどということは幻想です。この格差の是正には,自由開業制度という日本の医療の根源に触れなければならないのかもしれません。


 また書き換えたり書き加えてみる予定です(^_^)

1999年の日本脳神経外科学会(クリック)で私はこんな発言をしたことがあります。

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