妊娠の継続や母体の救命に不可欠な治療を除いて、妊娠中は薬物療法の中止を原則とする。正常妊娠でも高脂血症を呈するが妊娠により心血管事故が生涯に渡り増加すると言う疫学的証拠は無い。
妊婦は食後にインスリン分泌が亢進して摂取した食物を脂肪に同化し、妊娠期間を通じて約3kgの脂肪組織の増加が見られる。一方でインスリンの基礎分泌 は低く、hPLやエストロゲンが遊離脂肪酸(FFA)やグリセロールを脂肪組織から動員し肝臓に供給し、グリセロールを糖新生に回し胎児にグルコースを供 給すると共に、FFAをケトン体や超低比重リポ蛋白(VLDL)に合成し妊婦自体のエネルギー源として利用する。一方でエストロゲンは肝性中性脂肪リパー ゼ(HTGL)といったリポ蛋白を異化する酵素の活性を抑える。この過程で正常妊娠でも高VLDL血症を来すため総コレステロール(TC) 280mg/dl前後、中性脂肪(TG)220mg/dl前後に上昇する[1]。LDL受容体はエストロゲンの存在下では発現増加するので、もともと低比 重リポ蛋白(LDL)が高い家族性高コレステロール血症(FH)患者ではLDL異化の亢進を通じLDLの低下を見ることもあるが、VLDLの供給が上回る 正常妊婦では総じて上昇する傾向にある。
胎児が使う80%の熱量はグルコースである。リポ蛋白は胎盤を通過せず、LDL受容体やVLDL受容体を介して取り込まれ、水解と再合成を経て臍
帯血に分泌される。妊娠糖尿病ではVLDL受容体の発現の増強と臍帯血でのTG上昇が報告されている[2]。これも巨大児の原因の一つかもしれない。
FFAは母体濃度に比例して取り込まれるが母体の半分程度の濃度である。胎児では母体に比して飽和脂肪酸と多価不飽和脂肪酸濃度(PUFA)が高く、一価
および二価不飽和脂肪酸は低い傾向にある[3]。コレステロールやリン脂質は殆ど通過せず、胎盤でのエストロゲンなどの合成に用いられる。
胎児の血清脂質は母体より約1/3の低い値に保たれており、脳などで必要なコレステロールは胎児が合成していると考えられる。HMG-CoA還元酵素[4]や
スクワレン合成酵素のノックアウトマウスは胎内で死亡する。無脳児ではHMG-CoA還元酵素発現が低く、スクワレン合成酵素ノックアウトマウスは9.5
日目で発育が止まり神経管閉鎖不全が観察される[5]。スクワレンやコレステロールを母体に負荷しても改善が見られないことから、これらの脂質は胎児には
供給されない様である。
妊娠中毒症では正常妊娠にも増して血清脂質は高値である。small dense
LDLの出現や過酸化脂質増加・ラグタイムの延長などが認められ、これらも血管内皮依存性弛緩反応を阻害し、血管攣縮を増悪させると思われる[1]。ま
た、PUFAの低値や胎盤の動脈硬化性変化についても報告がある。しかし、これらが将来に渡り母体の動脈硬化性変化を促進するかは疫学的調査がなされてい
ない。脂質降下療法の適応とはならず、食事療法と血圧管理が優先される。
急性妊娠脂肪肝では供給されるFFAのβ酸化が抑制されており、VLDLの分泌不全があり肝細胞に油滴が満たされている。低血糖を呈し、画像所見から診
断するがしばしば致死的である。そのため早期の娩出や妊娠の中断を余儀なくされる。くり返し急性妊娠脂肪肝を来たした症例の検討では、全例ではないが
LCHADの欠損が指摘されている[6]
治療の実際
治療の実際についてはまず、食事制限を行うことが挙げられる。肥満があれば25~30kcal/kg、無い場合は妊娠糖尿病に準じて
30kcal/kg+350kcalのカロリー制限を行う。妊娠中毒患者では30kcal/kg+200kcalが勧められている。脂肪摂取を全体の摂取
カロリーの25%未満に抑える。多価不飽和脂肪酸/飽和脂肪酸比(P/S比)1~2の指導も行い、コレステロールが高い症例では200~300mg/日の
コレステロール制限について勉強する。LPL欠損症の急性膵炎時以外は脂溶性ビタミンの吸収などの為に10~12g/日の脂肪摂取は必須である。
妊娠中に安全に使用できる脂質降下薬は限られる。スタチンを使用した場合、ノックアウトマウスでの成績でも触れたように催奇形性が指摘されており禁忌で
ある。フィブラート製剤やプロブコールなどの安全性についても十分な検討はなされていない。高コレステロール血症患者には陰イオン交換樹脂を代替可能と考
えられるが、まず妊娠中多く見られる便秘などの場合対応に困る点と、中性脂肪やトランスアミラーゼの上昇を認める場合がある事を留意する。高中性脂肪血症
患者には魚油・EPA製剤の使用も考慮され、子癇や子癇前症での有用性をうたう論文もあるが症例数は少ない。EPA製剤は抗血小板作用も併せ持っており、
妊娠中避けられない出血の折の止血に問題を生じ得る。
脂質異常をきたす理由が、甲状腺機能低下症などの原疾患がある2次性高脂血症の時は、原疾患の治療を優先する。
LPL欠損症の場合、妊娠中に著しい高中性脂肪血症を来すことが知られている。膵炎食を基本に食事指導をするが、IVH管理下に厳密な脂肪摂取制
限を敷き中鎖脂肪酸(MCT)を併用しながら挙児を得た症例が報告されている[7]。出生した児についても中性脂肪値を調べ、母乳栄養で著しい高中性脂肪
血症を呈しているなら、MCTを用いた人工栄養の必要性を検討する必要がある。膵炎などの恐れの高い著しい高TG血症が続く場合、VLDLを二重濾過血漿
分離交換法(DFPP)で除去することも検討する場合がある。V型高脂血症の患者で血漿交換を週1~2回行ったという報告もある[8]。
FH患者の場合、脂質を下げるのは長期的な動脈硬化の進展予防が目的なので、妊娠中は薬物療法の中止を原則とする。ヘテロ接合体のFH患者で心血管事故
を来すのは多くの場合閉経後である。思春期に心血管事故を来たしたホモ接合体などでは、LDL吸着療法を継続する場合もある。
文献
[1]若槻明彦 妊娠中の高脂血症の臨床的特徴とその治療 日本臨床59巻増刊(3)高脂血症下p771-6, 2001
[2]安田師仁 妊娠糖尿病例における血中脂質濃度の特徴および胎児胎盤系の脂質代謝に関する検討
日本新生児学会雑誌第37巻(2)p188,2001
[3]Benassayag C. High polyunsaturated fatty acid, thromboxane A2, and alpha-fetoprotein concentrations at the human
feto-maternal interface. J Lipid Res. 1997 Feb;38(2):276-86.
[4]Ohashi K. Early embryonic lethality caused by targeted disruption of the HMG-CoA reductase gene.J Biol Chem. 2003 Aug 14
[5]Tozawa R. Embryonic lethality and defective neural tube closure in mice lacking squalene synthase.J Biol Chem. 1999 Oct
22;274(43):30843-8.
[6]Wilcken B. Pregnancy and fetal long-chain 3-hydroxyacyl coenzyme A dehydrogenase deficiency. The Lancet vol341 p407-8,
1993
[7]玉澤直樹 脂質代謝異常症への多角的アプローチ 妊娠により高トリグリセライド血症を繰り返したLPL完全欠損症(ホモ接合体)の1例 The Lipid第11巻1号p79-84.
[8]佐野美保 妊娠中毒症膵炎既往をもつ高脂血症妊婦に対して間欠的血漿交換が有効であった一例 東海産婦人科雑誌 1997
食事指導の骨子
摂取カロリー |
脂質 |
蛋白 |
||
糖尿病の場合 |
肥満なし |
非妊娠時の標準体重(kg)x 30 + 350 (kcal) |
全体の25% |
全体の25% |
肥満あり |
非妊娠時の標準体重(kg)x 25〜27(kcal) |
|||
妊娠中毒症 |
BMI24未満 |
非妊娠時の標準体重(kg)x 30 + 200(kcal) |
全体の20-30%* |
標準 1.0g/kg |
BMI24以上 |
非妊娠時の標準体重(kg)x 30(kcal) |
*動物性脂肪を少なくして、魚油など不飽和脂肪酸を摂取する
略語
hPL |
human placental lactogen |
FFA |
free fatty acid |
FH |
familial hypercholesterolemia |
PUFA |
poly unsaturated fatty acid |
LCHAD |
long-chain 3-hydroxyacyl coenzyme A dehydrogenase |