がん患者のセックス

2010-09-12

 長谷川まり子著の「がん患者のセックス」[ISBN978-4-334-97627-9 光文社]は、「患者と家族のセックス」と読み替えても良い。未入籍や性別の組み合せまで問えば、患者とパートナーになるが、そこまでは踏み込んでは居ない。

 まず、自分のパートナーが、血液腫瘍の悪性リンパ腫に侵されて、病者とのセックスという問題意識を持つ。海外を含めた幅広い活動範囲の中でたまに逢えればというパートナーに病気を切っ掛けにより濃密な時間や思いを持つようになる。
 そこで、まず感じた疑問が「白血球数値がいくつになれば、セックスしてもよいか」であったらしい。
 子供を作るという行為については、生殖毒性という奇形や不妊を副作用として厭わない血液内科の領域では、説明のセットメニューに入っている。精子や卵子(試みられている分野では卵巣そのもの)を化学療法前に得ておいて後に人工授精できる対応を、とくに10歳代から30歳代前半の患者や配偶者・親には説明する。しかし、人工授精できる対応という言葉が示すように、性交渉そのものはセットメニューには入っていない。若夫婦の患者では子供を作るという説明があるのに、我々未入籍の中年カップルには無かったと、そういう差別を感じ、それはそれで悔しさを覚える場面が描写されている。
 血球数についてはインターネットやそのなかでも質問を受け付ける掲示板に問いかけて白血球数二千というコンセンサスを得る。
 そして、その数を越えて、しようとしたときに若干のつまずきがある。陰嚢に紫斑様の物を見つけるのである、その日は中止し、後日、化学療法後の性毛の脱毛に伴う毛穴という解釈を得て安心する。そして性交渉に成功して、治療の結果、健康を取り戻し、日常への復帰が出来た事を再確認する。
 細かいつまづきにもさて質問をしたのが良いのか、しなくていいのか、やめるのが良いのか構わなくて良いのか、悩む患者と家族の姿が、描かれている。
 最終的に癌治療の看護師菅野さんに質問して得た答え「好中球数千で白血球数二千、安全をみれば少し高めに好中球数千五百」という答えを得て疑問を氷解させる。これは感染症にかんする目標値である。ほかの抗がん剤でも減るので、胃がんや肺がんのあとの化学療法でも、感染症予防の上の目安としてこの白血球数は妥当と思う。
 粘膜の出血という意味では血小板の数5万から十万という壁があろうし、貧血で息切れというのもあるだろう、これらの数字には長谷川さんは疑問を持たなかった故に踏み込んではおられない。
 白血球が治療の結果減るのは、長谷川さんは触れていないが、膠原病も同じである。病気そのもので感染し易くなり、使用するメソトレキセートやステロイド・抗CD20抗体といった免疫抑制剤で感染し易くなる。免疫抑制剤は腎炎や移植でも使う、その点でも「患者と家族のセックス」と読み替えても良い本である。
 長谷川さんが身内で体験したのは血液腫瘍でメスは入らない。取材対象を拡げるにつれて他の患者の悩みも知る事になる。
 ボディーイメージは、性交渉の上で避けて通れない、外形的に著しい困難を感じているとしてこの本でページを割いているのは、人工肛門と人工膀胱のオストメートである。内容物やにおいの漏れ、袋がある。骨盤内の手術の結果、性器に到る神経が切断を余儀なくされ、触感が妨げられ粘液の分泌等も支障があり、パートナーがセックスを持ちかけてきても、本音の所痛いだけで避けたいのにそれも言い出せない悩みが綴られている。
オストメイト生活実態基本調査報告書によると、平成16年第五回[pdf]では性機能の悩みを表出していたのは15.4%(男24.3% 女1.1%)であったが、平成19年第六回[pdf]では16.3%と増えて来ている。特に男23.5%に比べ女性も5.2%と問題の存在を認めるようになっている。年齢が高くても性別の結果は書かれていないが70-74歳でも20.4%が性機能の障害に悩みを抱えている、一方で40歳未満は33.3%となっているが3名しか回答者がいないので統計として判断しにくい。
高橋らが科研費で乳がん患者オストメイト患者の調査を行っているが、乳がん女性患者については【有効回答数121(有効回答率58.1%)。術前に性行為があった92名中79名(85.9%)が術後性行為を再開し、再開後の性行為頻度に年齢や治療内容との関連はみられなかった。】【「本人が性的関係を重要視する程度」と「性に関するコミュニケーションの良好度」が、術後の患者性機能に関連している】ということであったが、医療者への性の相談の持ちかけ方や配偶子保存、特に卵子の保存の情報が足らないというアンケート結果が挙げられていた。

 取材を重ね、別の患者では、性交渉より仕事が生存についての自己証明だという返事をもらう。
 あらゆる事態に対して人は自己肯定感を見失い、周囲がどう思っているか不安に苛まれ自信を失う。
 患者に限らず、事態は一つではない。そこまで敷衍される。
 ネパールから誘拐されインドに売られる少女らに援助を行っているので、著者はHIVの薬で如何に少女たちが自分を取り戻して行ったかも知っており、今回のがん患者の本でも触れている。
 降圧剤を呑んでいる自分、インスリンを注射している自分、あらゆる懊悩を患者は個々に抱え、自己肯定感を失う。
 患者さん個別の事案に個々に解決策を呈示して行くのは、リヴァイアサンそのものでもある。
 がん患者のセックスに限らず、自己肯定感を取り戻す事は、疾患に限らず、医療紛争・犯罪被害や公害被害など被害感情のセカンドレイプに苛まれている人たちにも、健康上必要ではあるが、拘泥は深く、闇は暗い。


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