天理よろずの林野先生はDiabetes-rerated distressを抑うつ気分として、鬱病そのものよりも検出し易いと指摘した。
また国府台病院内科の峯山先生は、スクリーニングの道具としての「こころとからだの質問表」(日本語版PHQ-9:例ファイザー社)は簡便で良い指標であるが、抑うつ状態を検出するので、単極性気分障害(うつ)だけではなく、双極性(躁うつ)など他の疾病も拾い、スクリーニングだけでうつと決めつけないで、専門家への相談が有用だと説明した。国立精神・神経医療センターの稲垣先生は、PHQ-9の結果を受けて、間を置いて観察や、傾聴などの支援を続ける事、連絡が取れなくなったら、それもサインだと理解する事、連絡が取れなくなった患者さんには接触を試みてもいいかと予め同意を得られたら、電話などで接触を途切れない様にする事の重要性を指摘していた。
稲垣先生は、間隔をおいて、質問表でのスクリーニングや接触を途絶えさせないことで、時間軸のなかでの気分変動を把握し、一過性ではなく継続的な場合は、特に専門医である精神科への紹介などが必要になる例があるだろうとしてきした。また、質問に答えて、時間をおいての観察で双極性などの鑑別にも役立つとも述べていた。しかし、双極性は僅かで、単極性はその10倍居ると主に、うつ病が占めていると述べていた。
質問表を行うと20から30%近い患者さんが抑うつ状態だと判定されるそうである。しかし、先ほどのように時間軸を置いて観察すると、改善する例もある。また、質問表を介さないと身体科では気がつかない例がある。また、うつの部分症状である、不眠などだけを汲み取っている例もみられる。診察の一歩はまず疑うことからであり、そのためには質問表が、有効であるというのが、三方の講演の要旨であった。
一方で、紹介して診断まで確定と患者さんの数%が治療対象としてのうつ病に該当するそうである。
この受講を通じて、Diabetes-rerated distressの重要性はここで、出てくると感じられた。質問表と精神科医の面接の結果の診断を埋める部分としての、Diabetes-rerated distressである。看護職の研究発表をみると、ロスの理論に基づいて看護研究を行うひとが多く見受けられる。
自分がまさか糖尿病とは!?、自分が薬を呑むなんて!?、一生薬を呑むのか?!、インスリンを打つなんて?!、心臓の血管が狭いから金網をいれなきゃいけないの?!透析だって(;_;)。糖尿病と過ごす人生には階段より急な崖が幾つかある。高血圧治療と違って、まして高脂血症の治療と違って、糖尿病の治療では、病態の変化・治療法の変化など、長い療養期間での、心理的葛藤を覚えるイベント「崖」が複数回くる事が多い。
キューブラー・ロス「(1)否認→(2)怒り→(3)取引→(4)抑うつ→(5)受容」
「崖」に立ち向かうごとに、Diabetes-rerated distressがあり、おおかれ少なかれ、何で自分がという否認や、何とかならないかという取引に続いて、抑うつが来る。
その抑うつを看護職や医師は寄り添いとか、決断の先延ばしにより受容をまつということで、応対して来た。時間軸を長めに設定して、接触を断たない様にしながら、支援を与えるという糖尿病医療そのものの姿ではなかろうかとも思う。今までの療養支援も包括していた概念であって、その言語化はエンパワーメントなどの術語で記載もされて来たが、稲垣先生が述べた様に、スクリーニングも加えて、抑うつ気分を見落とさない/過小評価しないようにしながら、身体科としての治療を薦めながら、うつ病70万人・糖尿病1000万人と合併ではなくとも併発しやすい二病態を見落とさないようにするのが、全人的な治療のあり方なのだろうと感じた。
そういう点では今回の講義は演者は医療職だけであったが、ロスの看護論などの看護研究を糖尿病に応用した事のある、看護職や臨床心理士などの講演もあった方が、聴衆である糖尿病療法士にとっては取り付き易かったかもしれないと思った。