那覇モノレールの真栄橋で降りて、とまりんの大東海運に行ったら、切符は村役場で、行きのしか売っていないと、丁重にお引き下がり くださいと言われた。
仕方ないので、前のバス停から次の目的地の普天間に向かった。具志川バスターミナル行きの琉球バスだった。IKコーチの中扉車にのったら、中扉が溶接されて、
椅子が架設されてた。
いけども飛行場など見えてこない。飛行機の音も聞こえてこない。基地かと思ったら、「きちちがい」 で瑞慶覧だった。
泊まるところを探したが、曖昧宿紛いだった。
それでも、道には人が歩いていてバスも次々通り、岩
手や酒田な
ど、他のまちと違ってフードデ ザートには程遠く住み易そうだった。
「社交場」で食べるのも乗り気にならなかったので、普天間高校脇の KingTacosで
タコスチーズバーガー350円を食べた。高校脇というのは理由にならないが、飲み物は水しか無かった。
物価が壊れて500mlの78円、350ml58円と、ソフトドリンクケトーシスの背中をおすようだった。
2日目は07:16普天間を出る77 番の沖縄バスに乗り付けた。
石川と金武の2大石炭火力をみながら、東海岸を北へ登る.
田植えが始まり、早苗が風に揺らいでいた。
辺野古は谷の底にあった。
山城の様に高専が睥睨する。あまりに立派で何かと訝しかった。
本当の住民には行き届いた地域対策がなされている様だったが、何が迷惑かというと、米軍ではなく赤軍だろう。
電波が無いと寂しくて栗鼠の様に死んでしまうネトウヨと違って、全国からリアルな仲間が飛んでくるから黄色の旗は降りることがない。本当に米軍が議会の言う 通り止めてしまうと。トモダチが来なくてさぞ寂しいことだろう。
象徴の様になっている金網の手前は校庭半分ほどの砂浜しかなく、よほど漁港の方が爪痕が抉れているようにも思える。金網から漁港の防波堤を見るといかに奥行き
が無いか、地図とあわせて見直してほしい。
帰りはコザで昼飯を食べたお彼岸だからか寂しい街で十字路の過去は今は昔。
先も述べたがヒールがいないと「お爺フェイス」ではプロレスに成らないことがマジマジと感じ られた。
勇ましいマンホールも、牙を抜かれて丸くなっていた。