東大ハチ公物語

東京大学出版会
ISBN978-4-13-066162-1
2015[H27]3/8初版

第5話塩沢昌著p192より

坂野八重さんは、ハチ公の飼い主である上野農学部教授の「細君」であった。
しかし、実家の反対にあい籍は入れてなかったそうである。
旧民法の相続で、家を出て家財も置いて、離れざるを得なかった。
それに対して門下生は、生前には上野教授に葉山の別荘を贈り、その別荘を処分して、世田谷に八重さん住む家を建てたそうである。
門下生は、区画整理/水利の実質的な始祖である上野教授を敬い、青山に墓を建て、農業農村工学会が祭祀しているそうである。

昔はそうだとも言えるが、今でも内縁の権利は裁判に勝つか話し合いで済むかは問わないが、主張なしに認められることは無い。
恩給も籍が無いと無理だろう。遺族年金は支給される余地は高いが、松濤の邸宅が実家からの仕送りで贖われたとしたら、権利関係は乏しかろう。そういう点では今も昔も似たようなものである。
ハチ公没後80年の今、同性婚の権利擁護が渋谷区で話し合われていることは、男女間に限らない生活/家族の多様性が今も人の死後に影を落とすことを垣間見せている。 昔は階級社会だった。物価の程度と、学歴による収入の差は今より大きかった。いまなら、贈賄とも言える、50そこそこの教授への別荘の贈与などは「贈収賄」として叩かれるだろう。卒論などの指導料などが5万円10万円の桁で新聞雑誌で炎上する平成である。
50歳そこそこ教授の教え子たちが持ち寄って家を買うだけの収入がないとしたら、耕地整理などの土木関係の会社や官庁のお金の出所が疑われるだろう。
昭和から平成に掛けては農業土木学会の関連も含めて事業量は大きく出資のやりとりもあったろうが、撤退に振り向けられる今後は、学会を支える人の輪もか細くなる蓋然性もある。
その墓については、ご遺族の諒解が得られているにも関わらず、その祭祀権が学会にあるのは例外的であり、名義人の故人となった甥の子孫への名義変更を経てからでないと、役所の慣行上定型的な決済ができないということで、八重さんの遺骨は青山の上野教授の墓には合祀出来ていないそうである。
昔できなかったことは今もできない。
ハチ公の「犬の骨」は納骨され顕彰碑は傍にあるのに、妻の遺骨を墓に納められないのである。
馬や鳩は靖国にいけるのに商船員はいけないのと同じ構図である。


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