大君の通貨とニュートン

ニュートンと贋金づくり

ISBN978-4-8269-0167-3 2012年 白揚社

Newton and the Counterfeiter 2009

通貨安競争と過剰流動性が昨今の話題である。この本は科学史の本としてではなく、通貨論として読むべきである。読むべきヒトは、法経系の会社員と中央官庁志望高校生である。
17世紀から18世紀に掛けて、通貨を確立しそれに立ち会った人物としてのニュートンの読み物である。
銀と金を両替する。これは、洋の東西を問わず、金融の萌芽といえる営みである。
重さが価値を示す、貴金属をつかった硬貨では、それを削って浮き利を得るというのも、一つの庶民の知恵である。
削った結果、ビタとなった英国の銀貨シリングは、金貨のギニー1枚に対して30シリングの価値しか無くなった。改鋳を行うにあたり、本来は監事として監督にあたるだけであったニュートンは、実行役である筈の長官が余りに無能であったがために、実際の造幣のエンジニアリングにも携わる事となった。労働災害の減少や生産性の向上に意を注ぎ、交換比として1ギニーを21シリングに固定した。
しかし、こうして1699年に改鋳した銀貨は15年程度で、英国から喪われてしまったらしい。
それというのも、先に述べた通り、金貨と銀貨の交換率=為替レートに、大陸と英国のあいだで差があり、銀を英国から持ち出し、大陸の金貨を持ち帰る事で浮き利が大きく得られたためだそうだ。
ニュートンは、その兌換比が東洋ではもっと大きい事を知る。そういう差がある以上、通貨流出は「正しい」正直な商いだと結論付けるが、世の中が理解するには、まだ何世紀かを必要とした。
銀が流出し金を獲得する事で、英国は銀本位性から金本位制度へ切り替わる。
経済政策としての通貨不足は景気を冷え込ませる。銀でなくても紙で良いではないか?そういう論もニュートンは展開していたらしい。
ニュートンが主導していた訳ではないが、大陸出兵の予算獲得のために、中央銀行が設立され、紙幣が流通し出し、株式市場が形成された。
東インド会社への投資は上手く行ったらしいが、バブルの典型とされる、南海会社の投資にはニュートンは失敗したらしいのも微笑ましい。

大君の通貨では、日本の開国に伴う銀金交換比率の外交交渉とその失敗、正価である小判の流出によるインフレと国益の損壊が纏められている。
江戸幕府は銀貨の入れ目、一分銀の重さを減らしてもその価値を威光によって維持して来た。小判との兌換通貨として紙幣同様の運用をしていた。国家の通貨不足を補うとともに、財政を均衡させようと努力した。
そのため、まだ銀貨が重量そのものの銀としての値打ちで扱っていた米国の理解を得られず、辺境貿易人に過ぎないハリスや職業外交官であるオールコックには黄色人種が分け判らない事を言っていると欧米側が持論を押し通した。日本は外交交渉に失敗し敗北し、インフレに拠って幕府を支持する基盤も喪失し、政府が転覆した。
オールコックは、帰国後、そのニュートンが昔勤めた、造幣局で「小判は紙幣と同じく」「金塊ではなく」「重さで価値が定められたものではない」という説明をうけ、幕府側の主張が正しい事に愕然とする。

ニュートンはその150年前に、大陸と英国、西洋と東洋の間の金銀兌換比を明らかにしていた。市場によって、物の価値は異なり、それを埋めるべく貿易が行われるが、物の移動も兌換比の相違も、それぞれ事情が有るのがわからないと、グローバリズムも鎖国もイデオロギーだけでは説明がつかない。第二の開国と言うTPPも情緒でなく、金融論だけで説明をすべきだろう。

また、贋金を取り締まる、警察活動もおこなったとある。題名はココから来る。しかし、この辺は読者としての私の関心は買わなかった。でも、これを江戸に置き換えて、捕物帳・時代劇を撮影するのも一興かもしれない。しかし、この犯罪取り締まりも、通貨論からは瑣末である。


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