医学所見の記録に写真を用いた場合、3原色だけでは再現できない色が存在する、
あるいは撮影装置の機種間差あるいはフィルムの感度差に影響を受けるといった問題
が生じる。たとえデジタル化されても、3刺激値に基づいて色情報を記録している限
り、本質的にこのような問題は解決できない。
カラー画像に基づく形態学的診断は医療に重要な役割を果たしている。それらの色
の再現性と診断精度の関係は、用途により一様ではないが、特定の条件では不十分な
色再現が誤診を招く恐れがある。それにも拘わらず、医療現場での十分な検証がなさ
れないまま、急速にデジタルカラー画像が普及しつつあるのが現状である。
診断に耐える色再現の確保には十分とは言えないまでも、既に確立されている測色
的キャリブレーション技術を用いれば、一定の効果が期待できる。またマルチスペク
トルイメージング技術が使えるようになれば、スペクトルそのものの近似記録が可能
となるため、根本的な解決が期待される。ただしその実用化までの間は、典型画像を
用いた検証作業の徹底により、診断等価性の確保に努めるべきである。それにもかか
わらず、このような対策が殆ど講じられないまま、不十分な色再現が放置されている
現状に対し、最も誤診を恐れる筈の医療現場からは、不安や不満の声があまり聞かれ
ない。
これは決してそれが大して問題にならないからはなく、解決不可能な問題であると
誤認されているためである。例えば、皮膚病変の所見は、現在得られる最高級の写真
技術をもってしても、十分に再現できないために、肉眼診断以外の可能性を求めよう
とする皮膚科医はごく僅かである。
現場の医師は、どんなに不満足なものであっても、現実に手に入る検査や治療の手
段を使って最善を尽くすよう、常に強いられている。そのような環境の中では、「技
術的な限界」という言葉が最も大きな魔力を持つ。ある手段がいかに大きな欠陥を抱
えていても、この言葉によって、医師の自尊心も倫理的な責任も完全に充足されてし
まう。即ち、医師は色覚についての医学的知識を持っているが故に、以下に列記する
ような認識のずれに気付かず、多くは現在得られる色再現精度が技術的な限界だと思
い込んでいる。
1)センサーである錐体細胞は3種類しかないので、RGB3原色ですべての色を再現で
きる→【本当は】3種類の錐体細胞の分光感度曲線は重なっており、等色関数の
RGB値に負の値が生ずるために、理論的に再現できない色が存在する。
2)表示装置やフィルムの物理的特性には自ずから限界があるため、もともと完璧な
色再現など 不可能である→【本当は】ヒトのセンサーである錐体細胞は3種類しか
ないので、スペクトルを完全に再現しなくとも、原色点がカバーする再現域内ならオ
リジナルと同等の色知覚を与える色再現は可能である。
3)色のセンサーとしての各錐体は広い波長域に感度をもっているので、色再現精度
向上の効用は少ない→【本当は】3種類の錐体の情報を複合処理することにより、生
存に必須な認知能力は高度に発達している可能性が高い。また単色光で測定された各
錐体の感度の線形和が、スペクトルを持った光が当たったときの実際のレスポンス
と、完全には一致しない可能性もある。
4)RGBベースのインフラストラクチャーが既に普及しているので、マルチスペクトル
イメージング技術に入れ替えるのは不可能である→【本当は】分光反射率の推定に用
いる主成分スペクトルの数を3として十分に近似できるとすれば、3チャンネルを有
する現状の撮像装置でも、データ処理により対象物のスペクトルを推定できる可能性
がある。また表示については、3原色ディスプレイを適切にキャリブレーションする
ことにより、対象物のスペクトルの3刺激値を再現することができる。
以上のような誤解が支配している限り、いくら医学医療用途の記録画像の画質向上
を訴えても、あまり顧みられない恐れが高い。色再現の精度に対し、本来のニーズを
顕在化させるには、医療現場に色についての正しい認識を広めることが不可欠であ
る。そのためには、例えば前述の 4)を実証するようなデモンストレーション手段を
工夫し、その効果を医療現場の医師や看護スタッフに見せて回るといった、具体的な
アプローチが必要と考えられる。