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私立医科大学中央検査部技師長会 第20回臨床検査技師教育セミナー、9-11、2001年2月24日

臨床検査における情報技術

西堀 眞弘*

*東京医科歯科大学臨床検査医学

Clinical Laboratory of IT Era

Masahiro NISHIBORI*
*Laboratory Medicine, Tokyo Medical and Dental University Hospital

[published edition]


 このようなテーマの場合には、臨床検査に情報技術をどの活用するか、といった内容が普通ですが、今回は少し違った角度からお話をしてみたいと思います。既にご承知のように、どうやら情報技術は単なる便利な道具ではなく、「IT革命」という言葉で象徴されるように、社会全体の姿を根底から変えつつあるようです。そこで、むしろ社会全体に起こる変革を予想したうえで、医療、そして臨床検査分野がどのように変わるのか、という順番で考えてみましょう。
 一般的には、IT革命によって世界中の企業や人々が互いにつながり、あらゆる商品やサービスが市場競争に曝されるとか、その結果「デジタルデバイド」と呼ばれる差別が生じるとか言われています。でも、実際問題として何がどうなるのか、今一つよく分からないというのが実感ではないでしょうか。そこで、いくつか例をあげて説明しましょう。
 携帯電話でメールのやり取りをされる方が増えていますが、もう数カ月すると、インターネットにつなげて動画像が送受信でき、しかも世界中で使える次世代の携帯電話が出てきます。一方、保険証やキャッシュカード類は既にICカード化が決まり、一枚であらゆるカードの役割をするようになります。そしていずれ携帯電話とICカードは合体し、いつでもどこでも、なんでもできる「なんでも携帯」となって登場することになります。
 朝起きて、「なんでも携帯」で動画つきのニュースやメールをチェックし、「なんでも携帯」で車の鍵を開け、「なんでも携帯」を定期代わりに改札を通り、「なんでも携帯」で職場の電子出勤簿に記帳し、「なんでも携帯」で商談やアフターファイブの約束を交わし、「なんでも携帯」で出張の飛行機やホテルを予約し、「なんでも携帯」で昼食の予約や支払いを済ませ、「なんでも携帯」でスーパーのレジを通り、「なんでも携帯」で家の鍵を開けて帰宅します。
 休みの日は「なんでも携帯」で旅行プランを選んで予約し、「なんでも携帯」でリアルタイムに渋滞・事故情報を把握し、「なんでも携帯」に眼鏡型ディスプレイをつけて読書、ゲーム、映画などを楽しみ、「なんでも携帯」で家族や風景のビデオをとり、「なんでも携帯」で旅先の子供の様子を祖父母に見せ、「なんでも携帯」で留守宅の戸締まりや電気の消し忘れをチェックし、「なんでも携帯」でお土産を選んで発送手続と支払いを済ませます。本や映画、または家族のビデオアルバムなどは、すべて個人向けのデータセンターに保管しておき、いつでも「なんでも携帯」で呼び出せるので、棚から溢れたり見失って探し回ったりすることはもうありません。
 さらに投票や行政手続き、公開講座やカルチャースクールの受講などを含め、これらのことは世界中どこにいても、すべて「なんでも携帯」でできるようになります。このような状況を思い描けば、我々の携わっている医療、そして臨床検査がどうなっているかを想像するのは、そんなに難しくはないでしょう。
 定期的に、あるいは身体の変調を感じたときに、いつでもどこでも、「なんでも携帯」を通じて知りたい健康情報を得たり、世界中から選んだ好みの医療機関で健康管理を受けることができます。すべての受診記録は個人向けのデータセンターで安全に保管され、いつでも「なんでも携帯」で取り出せます。そして、いざというときには直ちに専門医への受診が手配され、全く症状がない段階から最高水準の発症予防技術が施されます。不幸にも予防に失敗した患者のみが投薬あるいは手術の対象となり、治療後は「なんでも携帯」で症状緩和に必要なケアを受けながら、できるだけ健常人と同じ社会生活を送ります。社会全体の医療費は激減し、浮いた医療費がさらなる医療技術の向上をもたらします。
 さて、肝腎の臨床検査はどうなるでしょうか。これまでは主に利用者の立場で見てきましたが、今後は職場の中を見てみましょう。情報機器に負けず劣らず、臨床検査領域の分析技術や自動化技術の進歩は止まるところを知りません。行き着くところ、すべての作業が自動化され、検査部門は無人工場となってしまうのでしょうか。
 SF映画のスタートレックには、確かナースは登場しますが、臨床検査技師、放射線技師あるいは薬剤師らしき人物の登場は記憶にありません。投薬や手術はもちろん、検査も最先端の簡便な機器を用いて、すべてドクターマッコイがほぼひとりでこなしているような印象を受けます。また機器のメンテナンスなどは、恐らく工学系の専門技術者の仕事になっているでしょう。空想の物語とは言え、これはある一面では、先程の問いに対する答えを示していると言えるでしょう。
 しかし、ドクターマッコイが相手にしているのは、長い宇宙旅行にも耐えられるような、選び抜かれたとびきり健康で丈夫な人達です。翻って実社会には、病に苦しんでいる人はもちろん、身体があまり丈夫でない人、過労で身体を壊す人、今は大丈夫だが将来の健康に不安を抱いている人など、健康上のサポートを必要としている人々が数多く存在します。
 ところで、皆さんが仕事を離れたとき、家族や友人からどのような相談を受けるか、ちょっと思い出してみて下さい。「検診で異常値が出たが、心配ないと言われた。でも良く分からず不安だ」、「最近何となく体調が悪いが、どんな検査を受ければいいか」など、医者にかかる程ではないが、できれば検査の専門家に相談したい、と誰もが感じていることではないでしょうか。
 このような質問に対して、今は恐らく、信頼できる医者に相談するよう勧めるのが正しい答えかも知れません。しかし、実はこれこそ、社会が臨床検査技師という専門職に寄せている期待の本質を示す一例なのです。
 医療の重点が予防医学に大きくシフトすれば、どんな名医でも臨床検査無しでは何もできません。そして、治療医学の対象は患者だけに限られていたのに対し、予防医学の対象は、老若男女、健康な人を含めた全員です。とても医師やナースだけでは手が回りません。先程例にあげたような相談に対し、臨床検査技師の方々が「なんでも携帯」で気軽に答えてくれるとなれば、面倒な手続きや心理的な壁にはばまれていたニーズが、一気に顕在化するに違いありません。そして医師やナースを含む医療スタッフからも、より専門的な相談が次々と寄せられるでしょう。そしてこの例にみられるような変化こそ、これまで消費者と供給者の間に立ちはだかっていた面倒なしくみをすべて飛び越し、両者を最短距離で直結するIT効果の現れなのです。
 ただし、ここで例示した新しいニーズの受け皿になれるということと、単に「臨床検査技師」という国家資格を持っていることは、決してイコールではありません。臨床検査実務を熟知していることはもちろんですが、この例の場合には、相談内容を的確に把握し、自分の職権で回答できるもの、医師やナースに振り向けるもの、試薬や機器の供給元と調整するもの等、うまく振分けたうえ、相談者が理解できる言葉で回答を伝えるという、高度な能力が求められます。さらに「IT革命」には、同じサービスを提供する者ひとりひとりが、容赦のない競争に曝されるという厳しい側面もあります。
 したがって、新たなニーズを見出しても、「その時になったら皆で対応しよう」と思っているだけでは、競争に参加することすらできません。今から準備を始め、ヨーイドンのピストルがなるまでに、できるだけ先へ進んでおくことが必要です。私たちの社会に起きつつある変革は、未だ誰も経験したことのない、厳しく過酷で、かつ無限の可能性と希望に満ちた社会への第一歩なのです。


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