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「強迫性障害の治療:行動療法研修会」(2006年2月10〜12日、熊本大学医学部総合研究棟3階セミナー室)で精神科医、心理療法士の皆様と強迫性障害OCD(Obsessive-Compulsive Disorder)の治療法としての行動療法の実際的研修を受けさせていただきました。研修会を企画していただいた原井宏明先生をはじめ熊本OCDの会の皆様には心から感謝します。

研修会で「強迫性障害が重篤化するメカニズム」を説明する際に使われたOCDの悪性サイクルの考え方は、さまざまに変化するOCD症状を体系的に理解して対処する為に、とても役立つと考えられます。OCDの悪性サイクルの考え方を軸として、研修内容を以下の3枚のFigureとしてで要約させて頂きました。考察として、数学的なイメージを使った私のOCDの病態の考え方を加えさせていただきました。

「待てば海路の日和あり」 ----- 人生は微分不能関数である -----

OCDの患者さん御自身が長い時間をかけ「強迫観念を受け入れる」暴露妨害法の治療によって強迫観念に捕われた絶望的な状態から確実立ち直る姿を目の当たりにして強い感銘を受けた。この方法論が、人の認識メカニズムとどのように繋がっているのか、私は非常に興味が湧いた。

認知の問題を微分回路的認知と積分回路的認知の二つに分類する考え方 (中井久夫著「分裂病と人類」1982年 東京大学出版会)は、複雑な心の現象を、数学的概念でイメージ化して考えることを可能にしてくれる。神経科学で有名な事実として、カエルは運動するものしか認知しない。カエルの視覚は変化の瞬間から知覚の強度が低下するからであり、典型的な微分回路的認知として分類できる。逆に運動を認知できないmotion blindnessというヒトの視覚認識異常も知られている。この異常が起こると物体の形も色も正確に認知できるが、動きを認知できないために、走る自動車を見ても静止写真の一枚一枚を眺めているようで、道路を渡ろうとしても自動車がいつ自分の所を通過するのか、全く予想できないので衝突する危険性を感じて恐怖を覚える。こういう人はカップに紅茶を注ぐことにも危険を感じる。なぜならば紅茶面が上昇する速度を予測できないので、カップから紅茶がこぼれはじめて初めて気がつく失敗をくり返すからである。これらは微分回路的認知に障害が発生した病態と考えることができる。微分回路は時間的変化を予測的に把握し将来発生する動作に対して予防的対策を講じる為に重要な情報認知回路系と言える。ただし微分回路が有効に働くのは、連続性のある滑らかに変化する関数に限られており、高周波ノイズが介入する関数では予測能力が無くなる大きな問題点を抱えている(一定の傾きの接線が引けなくなる)。

数学的なイメージでOCDの病態を考えてみると、OCDの強迫観念は階段状に変化する関数でΔt→0の極限値として微分係数を取ることができない1点で、あえて不安定な傾きを計算しようとしている危険な状況として例えることもできる。脳はこの微分係数を取れない状況を認識して「不安」と感じているのだろう。 「強迫観念を受け入れる」ことは、微分法不能の1点で「不安」になり絶望するのではなく、 Δtの時間幅を十分に保った2点以上に観測点を増やして、その間の差分法を使って傾きを求める計算法に切り替える意味があるように思う。この微分法から差分法への計算法の切り替えにより、瞬間的に発生するさまざまな高周波ノイズに惑わされることなく、大局的に関数の傾きを予測をすることが可能になるだろう。「強迫観念を受け入れる」作業には時間がかかる。一定の時間幅を設ける差分法によって関数の傾きを安定した値として計算できるようになる。人はさまざまな些末なノイズに惑わされがちである。そのような時にこの差分法的認知を使って狭い枠にとらわれずにΔtの時間幅を十分に取ることは、ノイズに惑わされないための大切な安全策だろう。

「子曰、...四十而不惑、五十而知天命。(四十歳で狭い枠にとらわれないようになり、五十歳で天命を知った。)」とあるように、不惑の域に達するには孔子でも40年の歳月が必要だった。今私達は、数年の業績評価と任期制の導入で、大学組織改革を進めている。これは時代の流れに即応するために必要不可欠な方法論だろう。しかしΔtを短く切ることは、時代のノイズに惑わされて本来の高等教育組織の機能を見失う危険性を孕むものであることも覚悟しておく必要がある。「われわれの世界を動かしている指導勢力は、近視眼的なものの見方しかしていない。科学の研究を経済競争の単なる道具としか考えていないし、その経済競争とは、株式市場がすべてなのである。彼等の考えでは、高等教育とは、高利回りですぐに利益 の上がる私的利潤への公的投資でしかない。こんな指導勢力が、すべての政府と行政機関に力を振るっている。 ...科学的な研究と高等教育は、我々の子供と孫からの来るべき要求に、長期的視点で応えようとすることから動くものである。」(Jean-Pierre Kahane パリ南大学元学長 ・フランス科学アカデミー会員・数学、「未来への架け橋」科学 2001年10月巻頭言 岩波書店)

三浦 裕 (みうらゆたか, 名古屋市立大学 医学研究科 分子神経生物学助教授 )


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(Last modification, March 15, 2006)