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私がFeijoaを知ったのはNew ZealandのTe Pukeという町にあるMr.Brickの農場を訪ずれた1974年のことです。その農場主の庭に植えられていた月桂樹にも似た常緑樹がFeijoaでした。独特の香りが漂う果実を近所の子供がおいしそうに食べていたのを見て、自分も食べてみました。その実の青臭いような、甘ったるいような、不思議な味と強い香りを鮮明に記憶しております。食した果実には芥子粒ほどの小さな種が入っていました。日本でFeijoaの種を播いたところ、元気に芽が出ました。鉢植えではなかなか実が付きません。小苗になった所で藤田美保教授と一緒に大学のキャンパスの片隅に植え込ませていただきました。植え込んでもなかなか実がつかず、自分は大学を卒業し、街を離れて10年以上もの歳月が流れました。大学キャンパスから遠ざかってFeijoaのことを忘れかけていました。私が忘かけていても、その植物は健気にも太陽のエネルギーを実に浴びて、地球からの水分を一杯に吸い上げ、黙って成長していたのです。計算すると、私が種を播いた時点から22年を経て、赤い花(赤いおしべ)を咲かせたのです。その知らせは、かつて一緒にその苗を植えた藤田教授から入りました。その樹は現在の自然科学研究教育センターの建物の北側にある温室の側に植えられています。翌日、昔植えた場所に行ってみると、確かに赤い花が咲き、小さな緑の実もいっぱい実りはじめて大きく育っていました。その光景を見て、自分の青春の思い出が吹き出したような、不思議な感激を覚えました。
今年(2002年)で樹齢28年となり樹高2mを超えました。最初に花が咲いてから6年が経ちましたが、不本意な剪定を受けたためか、最近は花は付けてくません。並木としても不恰好になってしまいました。残念ながら大学の実験用植物を育てる場所の邪魔となって伐採される計画があるとの話しを、今回も藤田先生から伺いました。藤田先生は移植も検討されているようでしたが、現実的には大きな樹木の根回しは難しく移植は難しいように思います。「あの芥子粒が、こんなにも大きく育ってくれた」という感傷を胸にしまって、明日の朝はまだ生きているFeijoaの樹肌を久し振りになぜてやろう。
(参考までに)フェイジョア(Feijoa sellowiana) はブラジル南部からアルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイの山地に樹高4mにもなって自生する樹木です。ヨーロッパへは1887年にスイスのバーゼルの植物園に移植された記録が最初だとされています。New Zealandではこの植物を栽培してKiWiと並んだ輸出用果物としてNew Zealand Feijoa Growers Association Incorporatedなどを組織してその生産が盛んです。
2002年2月12日
三浦 裕
名古屋市立大学医学部分子医学研究所生体制御部門助教授
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