死の擬態


クマの糞:蝶ヶ岳ヒュッテ動力小屋奥にある焼却場周囲にて

私は、子どもの寝かせる前にいろいろな本を朗読する。ある晩に中村浩・江口清による訳本「ファーブル昆虫記」のオオヒョウタンゴミムシ(オサムシ科)の章を読んだ。

本当に死んだ真似をして、クマから逃げるのだろうか?ファーブルは伝え聞いただけのエビデンスがない迷信を信じるような人物ではない。私は、この訳本を子供に読み聞かせながら、この部分に違和感を感じた。原著のフランス語で確認したいところだ。しかし残念ながら自分はフランス語の語学力が足りない。そこで、いろいろと他の日本語訳(完訳)と比較してみることにした。手元にあった山田吉彦・林達夫訳(「完訳 ファーブル昆虫記」岩波文庫)で問題の箇所を読み直すと、

と記載されていた。奥本大三郎の訳にも「鳥はこんなお粗末な計略ではごまかせられまい」の部分が書かれている。ファーブルは「死の擬態は、捕食から逃れる方法として、あまり有効でない。」と考えた、のが真実だろう。子供に読み聞かせた省略本は、この重要な部分を省略してあった結果、文脈としてファーブルの真意と逆の意味になってしまった、と考えられる。

実際にクマに遭遇した時に、死んだふりをして助かることは期待してはいけない。ファーブルが記載したように、クマは一般的には好奇心が強い動物で、「死んだふり」をしても、ヒトを噛んだり、引っ掻いたりされるのを覚悟して、顔面、頸部(頸動脈)を保護してうずくまって防御する必要がある。
クマに対して、棒を振り回したり、大声を出して刺激することは、死闘を誘引する挑発行為として最悪の選択であるとも言われている。静かにクマを凝視しつつ、急に逃げ出さないのが最良の策だろう。たとえ至近距離までクマが突進してきても、目前で突然向きを転換してクマの方から逃げていく場合があるとも言われる。ただしその保証はない。死闘を避けるには、あらかじめ鈴などを鳴らして、クマにヒトの存在を予告して、突然の遭遇を避ける予防対策がもっとも単純で確実な方法のようである。

(キャンプ場利用上の注意)
クマは嗅覚が鋭敏である。土中に埋められた残飯などを掘り起こすことが知られている。キャンプ場に穴を掘って残飯や廃液を捨てることはキャンプ場にクマを誘引する可能性がある。テントの中に匂いの出る状態で食料を保管することは避けるべきである。私がカナダ留学中に訪れたBanff国立公園のオートキャンプ場入り口では、レンジャーから「食事が済んだらすべて車の中に食料を保管し、テント内に匂いの出るような食料を残さないように」と忠告を受けた。カナダにはグリズリーと呼ばれるヒグマの類が生息し、毎年どこかで死亡事件が発生する。1995年に私が利用したLake Louiseキャンプ場にもグリズリーが頻繁に出没して警戒警報が出されていた。しかし残念ながらその年の9月に、まさに私が利用したキャンプ場に泊まった女性が襲われて死亡事故が発生し、事件を起こしたグリズリーは射殺される悲しい結末になった。亡くなった女性は、国立公園内の小規模な期間限定のキャンプ場でレンジャーを勤め終わった後に、通年営業のLake Louiseに休暇を楽しみに寄った所だった。被害者自身はグリズリーの危険性を熟知していたはずだが、夏の間にキャンプ場を利用した他の観光客らが残した大量の残飯などに誘い出されたグリズリーに遭遇して襲われた。ゴミを適切に処理することは、自らの身を守るためばかりでなく、キャンプ場を利用する他の多くの登山客の安全を確保するための基本マナーとして心がけたい。

私は、カナダのキャンプ場でグリズリーに襲われる危険性を脳裏に描きながらも安らかに眠ったものである。日本のツキノワグマははるかに温厚であり、野生動物とのつきあい方を間違わないかぎり、じつは安心していてテントで眠って大丈夫だと考えている。むしろさまざまな局面で、人間自身に危険を感じる。オオカミは、血の出るような喧嘩の挙げ句に負けた方が降参の証として、自分の頸動脈を喧嘩相手に見せると言われている。しかし勝者は決してその頸動脈を噛み切ることはしない。オオカミは同種の仲間を殺す能力を本能的に自覚し、攻撃に抑止力が働く。一方、通常は仲間を死に至らしめる力を持たないハトの喧嘩は残酷そのもので、喧嘩相手が死んで既に無抵抗となった後も、相手の羽を執拗にむしり続ける陰湿な攻撃を加えると言う。平和の象徴であるハトが喧嘩をする際に限なく陰湿な攻撃をすることを動物行動学のコンラート・ローレンツは「ソロモンの指輪」で記述している。人間は肉体的には牙も退化した平和的動物のように見える。人間はたしかに自然の中で弱い存在者であるからこそ、本能的な攻撃抑止力に乏しいことが予想できる。事実、肉体的に弱い人間が国際紛争の解決の手段として強力な軍事力を執拗に行使する残酷な存在者であることが実証されてきた歴史がある。「死んだまね」はヒトには通じないだろう。今、核による戦争抑止力にどこまで期待できるかはコンラート・ローレンツの意見を待たずとも、多くの人が危惧するところである。

三浦 裕
名古屋市立大学大学院医学研究科分子神経生物学准教授
名古屋市立大学蝶ヶ岳ボランティア診療班運営委員長


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(Last modification, August 6, 2007)