登山報告書

----中崎尾根から槍ヶ岳へ----

文責:三浦裕

 

プロローグ:

私は35年前の10月に、友人と二人で双六岳〜西鎌尾根経由で槍ヶ岳を登った。しかし雪山の槍ヶ岳登攀は初めてだ。還暦を過ぎた自分の体力で風雪の槍ヶ岳に到達できるのか?若干不安があった。不安を解消するために、事前に中央アルプスの木曽駒ヶ岳の上松尾根を登って体力トレーニングをした。ところがそのトレーニング中の下山路で、樹の根につまずいて転倒し、あいにく突出した根で左大腿部を強打してしまった。おそらく内出血が起こり、血腫を形成したのだろう。その打撲部に圧痛が長く残った。この打撲傷から9日目に新穂高温泉から槍ヶ岳へ向かう登山が始まった。左大腿部にはまだ圧痛があった。私は入山初日に無意識に圧痛のある左脚をかばいながら、右足に負荷をかけ過ぎたかもしれない。4時間ほど雪道を歩いて滝谷避難小屋に到着した頃から右膝が痛み始めた。内心「入山初日から膝が痛むようでは、とうてい槍ヶ岳は登れないだろう。」と弱気になった。ところが、滝谷避難小屋で一晩寝たら、左脚も右脚も痛みが消えて、気持ち良く歩き続けることができた。

 

メンバー:Takahiro YamaguchiCL、食料)、Takaharu Mano(装備)、Yutaka MiuraSL、記録)

 

行程:

14日:新穂高温泉(8:00)à 穂高平小屋(9:18)à滝谷避難小屋泊(12:40)

15日:滝谷避難小屋(6:40)à槍平小屋(8:00)à奥丸山分岐à中崎尾根 標高2350mテント泊(11:45)

16日:標高2350mテント(6:15) à千丈沢乗越à西鎌尾根à槍ヶ岳山荘(12:00)à登頂à (14:00)  標高2350mテント泊(16:55)

17日:標高2350mテント(7:05) à奥丸山分岐à槍平小屋à滝谷避難小屋à新穂高温泉(11:25)

 

行動記録

14日小雪。8:00 登山届けを提出してトイレを済ませて出発。

12:40 滝谷避難小屋(図1)着。

滝谷はほぼ完全に雪に覆われていた。幸い避難小屋から少し下りた箇所に谷川の水が流れが見える水場があった。テルモス900 ml×3本、 プラティパス2L×2本とコッヘル大の合計8Lの給水ができた。水も十分に確保できて安心して体を休めた。荷揚げした日本酒もワインも飲み干した。さらに避難小屋の中には紙パックに残された日本酒を見つけて、それも飲み干してしまい、いい気分になって滝谷避難小屋の中にテントで温かく寝ることができた。「滝谷避難小屋には幽霊が出る。」という伝説がある。私は幽霊はどういう音を出すのか?その音源を調べてみようと思って楽しみにしてシュラフに入って耳を澄ませた。滝谷避難小屋の夜中に一晩中響いていたのは、仲間のイビキだけだった。残念。

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図1 滝谷避難小屋

15日 快晴:

6:40 滝谷避難小屋出発

8:00 槍平小屋で小休止。そこから中崎尾根の稜線に出る奥丸山分岐までの急登は山口さんが先頭でラッセルした。

11:15中崎尾根平坦地(標高2350m)に到着。山口さんは、さらにその先まで偵察に行っている間に、真野さんと私の二人で比較的平坦な場所を1.2mぐらい掘り下げて地ならしをして、十分な広さのあるテントサイトを整備をした。周囲を盛り上げて、しっかり防風壁対策を施した。トイレも防風対策をして快適な生活環境を整えた。テントサイトから明日登る予定のルートがよく見える。図2に四角で囲われた部分が核心部である。

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図2 中崎尾根テントサイト. 四角で囲まれた箇所が、中崎尾根から西鎌尾根に抜ける部分の核心部分

 

16:0016:20NHKラジオ第二放送で気象庁発表の気象通報を受信して天気図を作成した。30年ぶりの天気図作成だ。4 hPaずつの等圧線を書くことも忘れていたが、何とか天気図風の概念図は描けた。日本列島は移動性高気圧圏内に入る。このまま23日は非常に安定した天気が続く予想ができた。テントから正面に槍ヶ岳から西穂高までが夕日に輝いていた。この幕営場所からの眺めは本当に素晴らしい。Yamaguchiさんはテントから顔だけだしてタバコを吹かしている。夜は満天の星空となり半月が輝いていた。

 

16日 快晴:

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図3 槍ヶ岳アタック当日の天気図

引用:気象庁発表の地上天気図。槍ヶ岳アタック当日の12:00 の気圧配置。

槍ヶ岳の山頂でも快晴無風状態となった。

 

6:15 ヘッドライトを点灯。アイゼンを装着してピッケル装備だけで、ストックはテントの固定に使ったままにして、中崎尾根の2350mテントサイトを出発。前日にテントサイトから観察した中崎尾根から西鎌尾根に抜ける急峻な岩稜帯の通過は難しかった。おそらく2500mの雪稜線の最上部からトラバースして赤旗が立っているルート沿に沿って夏道の分岐点(千丈沢乗越の道標)の方向へ抜けるのが一般ルートだろう。山口さんは周囲の雪の状態を観察して、雪崩の危険性を考えて、赤旗が立てられているこの雪原の簡単に見える赤旗ルート(下図の赤色破線)は選ばす、敢えて西鎌尾根へ直登する急峻なルート(下図の緑色の破線)を選んだ。その結果、45度以上の傾斜がある雪壁を越えて、さらに岩稜帯を登攀することになった。岩稜帯の取り付きに2本のハーケンが2mぐらい離れた位置に打たれていた。私たちはこの取り付き点でハーネスを装着してザイルを結んだ。約25m3級程度の岩稜帯を超えた所で西鎌尾根の一般ルートに合流した。

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12:00槍ヶ岳山荘到着。スコップをデポし、槍の穂先に向かった。私は37 年前の10月に槍ヶ岳の穂先まで夏道を登った経験はある。当時も鉄ハシゴがかかっていて、それを登り切った所が頂上だった。頂上の祠の北側に北鎌尾根が続いている。私は右手でピッケルを掴み、ピックの先で岩の細かい凹みに引っかけてホールドとして使った。槍ヶ岳のピークに立った瞬間に、前後左右360度の景色が広がった。周囲に自分たちより高く遮るものは何も無い。冷たい強風を覚悟していたが、驚くことに無風快晴の幸運に恵まれた。下山路では、Yamaguchiさんにザイル確保してもらって慎重に下りた。核心部は懸垂下降をした。

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14:00槍ヶ岳山荘帰還。往路をそのまま下山する途中で、日没が近ずくに従って、雪が深いアーベントロート(オレンジ色)染まって、空はますます青く変化していく。わずか15分程度の色の変化は感動的だった。残念ながら目で見てこの感動的な色彩を、写真に記録したいと思ったけれども、写真ではうしても平凡な色になって感動は伝えきれない。網膜に焼き付けた感動的アーベントロートを、いつか絵画として表現してみたい。

16:55中崎尾根標高2350mのテントサイトに日没と同時に到着。

 

17日快晴:下山するだけだから気楽だ。7:05 快晴無風雨のテントサイトを出発。奥丸山分岐à槍平小屋à滝谷避難小屋à新穂高温泉11:25着 2泊3日かけてゆっくり登ってきたルートを、下山はたった4時間20分で下りた。

 

 

山行の目的

○ 槍ヶ岳登頂:達成

○ 軽量化:達成

新穂高温泉駐車場で出発前に体重計で測定したところ3名ともザックの総重量が17.719kgに抑えるた。ただしこの重量には、歩行用ストックは含めていない。天候が安定していることが天気予報で確認できたので、YooWee(オーストラリア製スノーシュー)は持たないことにして駐車場に置いたので、通常の雪山フル装備よりも1kg軽い値になっている。具体的な装備の軽量化の内容は中崎尾根偵察山行の報告書に記載した。

○ 雪山テント生活

(1)コッヘルを引っくり返した。

まだ低温の水の状態たったのが不幸中の幸いであり、火傷などの被害はなかった。鍋を火にかけている間、口酸っぱく「だれか必ず抑えていろ。テント内で動く場合には、必ず声をかけてコッヘルを保持しろ。」と言われ続けてきた。私は、後ろから物を取るために体をひねった瞬間に、自分が座っていたマットから体が滑り落ちて、足がコッヘルを蹴り飛ばしてしまった。その瞬間に誰もコッヘルを保持していなかったのである。コッヘルの中の水がこぼれた。私が載っていたマットは、たまたまアタック当日の寝起きのままで、Free Lightのシュラフに装着された状態のままだった。シュラフの上にシュラフカバーで覆われて、たいへん滑り易い状態だった。偶然が重なってしまった失敗であるが、狭いテント内で体を動かす際に、細心の注意が必要であることを痛感した。

 

(2)水の凍結に注意

水を入れたプラティパス(ハイドレーション容器)を就寝時に入口付近に置いたまま寝たところ、翌朝までに完全に凍結した。コッヘルで湯を湧かして、口元を湯煎して少し融かした後に、お湯をプラティパスに注いで氷を融解させた。

 

(3)燃料不足

最終日の朝のラーメンは作ることができたが、お茶を湧かす段階で燃料が枯渇した。今回は、「0.2L×人数×宿泊数」の計算式で、0.2×3×4= 2.4L 準備して入山した。この計算式はMSR Whisper Lightの消費量の経験値である。今回採用したSOTOSOD-371 MUKAストーブは発熱量が多い分、燃料消費量も多いことは想定していなかった。コッヘルに作った1.5Lの水を引っくり返して再度水を作った失敗による損失の影響もあるけれども、初日は滝谷避難小屋で谷川から水を汲むことで、8L分の水を作る燃料が節約できたはずだ。SOTOを使う場合には、「0.2L×人数×宿泊数」の計算式では足りない。「0.25L×人数×宿泊数」程度のガソリンを最低限用意するベキだろう。なお、2名で2泊した木曽駒ヶ岳の登山では1.4Lのガソリンを消費した理由は、スパゲティ、チーズフォンヂュなど食事に凝って燃料を大量に使ったからである。

 

(4)テントマットをテント側壁の断熱材と活用する

大きめのものを用意した。就寝時に人と人が接する側のシュラフは比較的暖かい。ところがテントの壁側は外気温近くまで冷える。テントマットを敷く際に、中央の重なり部分を少な目にして、テント外壁側に巻き上るように設置すると壁部分まで断熱材で覆われるので寒対策になる。実際にはこの配慮をせずに床面だけに敷き詰めてしまったので、大きめのマットを有効活用できなかった。

 

(5)ボールペンのインク

筆記用具として用意した通常のボールペンの出が非常に悪くなった。低温で上を向けても筆記できる加圧式のボールペンが市販されているので導入を検討しよう。

 

(6)水分補給の重要性

軽量化を考えてナッツ類、ジャイアントコーンなど乾燥した食品をレーションとして用意した。ところが実際の行動中に乾燥したレーションを食べる気にならなかった。アタック行動中に摂取できたのはテルモスに入れた液体だけだ。アクエリアスには電解質にビタミン類やアミノ酸まで配合されている。特にOS-1 粉末はカリュウムイオンが強化されてスポーツの水分補給として理論的には素晴らしい飲料である。今回の槍ヶ岳アタック行動には往復10時間行動となり、その間に0.9Lを飲み干した。それでもまだ脱水傾向のために、尿は濃縮され色を呈していた。

 

(7)ブス板を排して、カーボンファイバー布製のバーナーシートを導入した。SOTOに付属しているアルミ製の円形反射板と併用して床マットにまったくダメージを与えないことを確認できた。多少床に凹凸が生じても布製だから変形して安定する。収納が楽である。

 

(8)テントの固定のためにストックを逆さにして使うアイディア。

ストックの石附を下にしてリングを雪に埋め込んでしまうと、リングが埋め込まれたまま雪が固まってしまうと、非常に抜くのが難しくなる。ストックをペグ代わりに使う場合には、リング部分を埋め込まないように逆さ向きに使うのがコツのようだ。(山口さんはリング部分を埋め込んで、抜けなくなった失敗をしたことがあるらしい。)

 

三浦 裕

名古屋市立大学大学院医学研究科分子神経生物学准教授

名古屋市立大学蝶ヶ岳ボランティア診療所 開設者

愛知県山岳連盟所属 社会人山岳会 チーム猫屋敷

 

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(Last modification, Jan, 10. 2017)