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カツラ(桂)の香り-----悪天候の蝶ヶ岳登山-----
2009年7月17日、午前3時起床。ラジオアイソトープ研究センター主任の石原さんの運転で、漫画家を志す石原さんのご息子、薬理の河辺先生、生化学の野路先生と私の5人で鍋冠山の登山口に向う。太田教授は、我々を見送ってから松本発の「特急あずさ」に乗って東京に待つ大学院生の指導に帰る。山は早朝から雷雨だった。真っ暗な三郷ハイウエーの最終展望台まで車で上がったものの稜線を歩くのは危険に思われた。予定を変更して、須砂渡でキャンプしている学生と合流して登山予定の相談をする。入山予定を順延しようと思いつつも翌日も天気予報では回復の可能性がない。取り敢えず三股登山口の駐車場まで様子を見に行った。すると不思議に雨が止み、青空が見え始めたので、登山することにした。
三股の沢沿いの登山路の周囲は原生林である。原生林に生えている樹木から、それぞれ独特の匂いが放たれる。野路先生に「カツラの落ち葉は甘い香りがする」ということを教わった。足下から確かにプーンと甘い香りが漂う。上を見上げるとカツラの大木が立って丸い葉を付けていた。樹木図鑑で調べてみると、カツラは乾かして粉にしてお香を作るために、コウノキ(香の木)とも言う。落ち葉は朽ちて茶色になっても、カツラの落ち葉は確かに甘い香りがする。私は、濡れ落ち葉を踏みしめながら、深呼吸をしてそのほのかな甘い香りを楽しんだ。
7月18日の悪天候の中、M6渡辺周一、小島龍司、小田梨紗、M5青木優祐が早々と到着した。続いて情報通信網の中村さん(長野県工業試験場)と、笠原さん(安曇安曇野赤十字病院)ら4名も到着した。ヒュッテの皆様を集めて診療所開所式を行った。石原さんが看板を打ち付けて、いよいよ診療所オープンである。ヒュッテのロビーのテレビでは、北海道の大雪山系トムラウシ岳で9名、美瑛岳で1名の計10名の登山客が疲労凍死した事件が報道されていた。北アルプスの天候も悪く、常念岳〜蝶ヶ岳の稜線を縦走して蝶ヶ岳ヒュッテに到着した登山客の69歳の女性は極度の疲労状態に陥っていた。8時間かけての稜線を風雨縦走し疲労の極致である。末梢血管が締まって点滴ルートの確保が難しい。2個の水筒にお湯を入れ、患者の体を暖めた。医学部6年の小田梨紗さんは、ポンポンと患者の腕をたたいて末梢血管を広げる努力もしてくれたが、点滴ルートが確保は難しい。渡辺周一さんは、患者の体位を変えるのを介助し、背中をさすった。2時間以上もひたすら患者を囲んでケアに当たった。幸いにも、初めは顔面蒼白で下肢の震えが止まらなかった患者の顔に血の気が現れてきて、全身状態もだんだん温かくなって来た。しかしこのまま患者さんを客室にもどすのは心配だ。私が患者さんと診療室に一緒に泊まり、一晩経過を診ることにした。その晩は深夜2時に、別の患者さんが急性高山病症状を訴えて診療所に訪れるなど、なかなか忙しい夜になった。午前4時、患者と同じツアー客3名が診察室に様子を見にやってきた。本人は「もう大丈夫です」と言う。昨夜ふらついていた足取りもしっかりして、診察室を笑顔で出ていくのを見送ることができた。
早朝出発したツアー客:すぐ先の稜線で、猛烈な強風に遭遇して引き返すことになった。
(蝶ヶ岳ヒュッテ玄関から)
その日も悪天候である。しかし風雨を突いて山岳ツアーの一行は、長塀尾根経由で上高地に向けて出発した。出発したがあまりの強風のために歩けなかったのだろう。暫くすると皆ヒュッテにまた引き返して、天候の回復を待つことになった。風は強まるばかりである。「上高地への下山予定」と聞いていたが、私が三股に下山してみると、皆が元気な姿で「ほりで〜湯」の食堂で蕎麦を食べていた。強風の中の稜線歩きを断念して三股に下山したのである。確かに稜線歩きは危険な状態だった。山頂付近はおそらく瞬間風速は何十(m/秒)もあっただろう。私はストックを突いて耐風姿勢を取った。後ろを振り向くと野路先生が四つん這いになっていた。二足歩行でまっすぐに歩くことができなかったのである。私のザックカバーも吹き飛んでしまった。凄まじい悪天候の山行であった。麓まで下りて樹林帯に入るとカツラの落ち葉の香に安堵感を味わうことができた。
蝶ヶ岳ボランティア診療班運営委員長 三浦 裕
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(Last modification, August 30, 2009)