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気象遭難

名古屋市立大学蝶ヶ岳ボランティア診療班運営委員長 
名古屋市立大学大学院医学研究科分子神経生物学准教授 
三浦 裕

2011年5月14日 私は医学部学生の小山君と蝶ヶ岳ヒュッテ従業員の酒井君の3名のパーティで三股側から蝶ヶ岳に登った。この時期の蝶ヶ岳は積雪がある。山腹の雪は融け始めて足場が悪い。もし急斜面で滑ったとしても最初は、滑り台での気分で楽しいかもしれない。しかし、加速すると停止が難しい。加速してからアイゼンを装着した両足で制動しようとすると、頭から逆方向にヒックリかえって大失敗する。転んだ瞬間に、身を翻して胸元でピッケルを打ち込んで止めるのが停止法の基本動作である。この登山技術の基本動作を怠ると、蝶ヶ岳程度でも危険な事故が起こる。今回の登山中も私たちより先に蝶ヶ岳を登っていた一人の登山者が30mほど滑落した。私たちはその50mほど下を登っていた。滑落者の側を登っていた男女2人のパーティはその滑落事故を見て、身の危険を感じて、立ち止まった後に現場から下山を開始した。自分の力量以上の斜面だと感じたら、すぐ下山するのが無難だ。下山は登りより難しいものだ。9合目で登頂を諦めた2人の決断は正しい判断だと思う。ただし私たちは、その雪の詰まった小さなルンゼを越えれば、それより上は広く楽しい雪斜面が残っているだけで、危険はほとんどないことを知っていたので、躊躇なく登り続けた。やや心配になったことは、標高が上がるにつれて風が強まってきたことであり、稜線のハイマツ帯の所で強風に飛ばされないように覚悟してピッケルを構えて最後まで登り切った。


2011年4月30日に北アルプス全体で、10件の遭難事故が発生し、3人が死亡し、10人が負傷者した。私はその原因を探ろうと思った。以下にその時の気圧配置図を示す。


ここに掲載し天気図は日本気象協会のWebサイトからの引用である。上図が4月30日の午前6時、下図が同日の午前12時付けの状況を示している。地上気圧配置には顕著な差がないように見える。右側の降雨量図の情報から、午前12時頃に、本州では雨が降り始めていることが分かる。しかし、この時すでに蝶ヶ岳の稜線は、歩けないほどの猛烈な風が吹いている状況を読み取ることは難しい。山の天候は局地的な変化が激しい。気象の激変の中で生き残るためには、迅速な現場判断が重要で、危険な場所から逃げる判断だけが自分の命を守る最大の武器になる。大自然と正面から闘ってもまったく勝ち目はない。「三十六計逃げるに如かず」

4月30日午前6時頃の蝶ヶ岳山頂付近はよく晴れて風も強くなく、常念岳までの稜線歩きも問題ないように見える。ヒュッテ従業員も登山者も皆が安心して行動を開始している。しかし午前10時ごろから蝶ヶ岳周辺で異常に強い風が吹き始め、槍ヶ岳方面に黒い雲がかかって、急激に天候が悪化したらしい。その間に蝶ヶ岳山頂付近で、以下3件の遭難事故が連続して発生した。以下、その遭難救助活動に携わった蝶ヶ岳ヒュッテの従業員の話をまとめ、私が2週間後に現場を歩いて撮影した写真を添付して以下に記録する。

第一の遭難事故の連絡は午前8時頃に単独行の登山客(63歳男性)が重い荷物を背負って雪渓でバランスを崩して転倒して、右脚を骨折する事故が発生した。救援に向かった蝶ヶ岳ヒュッテのスタッフは、長野県警のヘリコプターの出動を要請して、一旦はヘリコプターが遭難現場の上空まで飛んできた。しかし風がどんどん強まって、安全飛行ができない、と判断してヘリコプターは引き返してしまったそうだ。


上の写真は、雪渓でバランスを崩して転倒した現場で、三股ルートの標高約2400m地点である。救援者の話によると、雪の斜面で横たわっていた負傷者を救出しようとした隙に、突然負傷者が斜面をゆっくりと滑り始めた。あっという間に負傷者は両足を上げたまま滑落して、視界から消えてしまった。しかし不幸中の幸いで、樹木に激突することもなく、200m下の雪のデブリで何事もなかったように静かに停止していたそうである。そこから遭難対策協議会のメンバーに背負われて、深夜までかかって雪道を下る大救出活動になった、という。

同日の午後、第二の遭難事故の連絡が入った。午後4時頃に「瞑想の丘付近で動けなくなっている」という登山客からの通報で、蝶ヶ岳ヒュッテ従業員が遭難現場に急行した。残念ながら遭難者(43歳男性)は収容された時点で、すでに心肺停止状態で、体温計では測定できない低体温症だったようである。


上は、死亡遭難事件が発生した2週間後(5月14日)に、私が現場検証をするために登った時に横尾分岐側の稜線から撮影した写真である。赤印の付いているハイマツの付近で遭難者が倒れている所を発見された。本人の黄色いザックは横尾分岐で放置されていたのが確認されている。横尾分岐から蝶ヶ岳に引き返すのではなく、そのまま横尾の森林地帯へエスケープして風を避ければ助かった可能性が高いが、空身で戻れば30分以内にヒュッテに簡単に逃げ込めると思ったのだろう。しかし、写真に見えるように瞑想の丘からわずか40 mほどの所まで引き返した場所で、低体温症で動けなくなり、絶命したと思われる。

第三の遭難事故は、午後3時頃に蝶ヶ岳へ向かう横尾分岐付近で起こっている。遭難者(62歳女性)は、11名(男性8名、女性3名)のパーティのメンバーの前から3番目を歩いていた。しかし荷物ごと先頭を歩く人の所まで強風で吹き飛ばされて、右手の肘を脱臼した。蝶ヶ岳ヒュッテで応急処置を受け、天候の回復を待って、翌朝(午前5時)へリコプターで救助されて安曇野赤十字病院に運ばれてギプス固定され、全治3週間の診断を受けた。この登山客が所属する東京都の山岳会の責任者から、3日後に事故報告の手紙が届いた。その手紙には以下のように記載されていた。

Yutaka Miura, M.D., Ph.D.
Associate Professor
Department of Molecular Neurobiology
Nagoya City University


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(Uploaded date: June 12, 2011)